2026年復活の主日@東京カテドラル
御復活おめでとうございます。
復活の主日、東京カテドラル聖マリア大聖堂は、700人を超える参列者で一杯でした。昨晩は雨でしたが、今日はなんとか天気も回復し、桜も残っており、春らしい分に金の中での復活祭となりました。
以下、本日10時ミサの説教原稿です。
復活の主日
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2026年4月05日主イエスの復活は、受難と死の苦しみを経た後の新しいいのちの始まりであり、永遠のいのちへとわたしたちを導く、御父の愛といつくしみの勝利のお祝いです。いのちを生きる希望のお祝いです。
皆様、主イエスの御復活、おめでとうございます。
昨晩の復活徹夜祭において洗礼を受けられ、ともに主イエスに従って歩む仲間となった皆さん、おめでとうございます。信仰は一人でこっそりと生きるものではなく、ともに祈り支え合う信仰の友と一緒に、教会共同体の中で生きるものです。この教会共同体の皆さんとともに、新しく洗礼を受けられた皆さんを喜びのうちにお迎えいたします。
本日の第一朗読、使徒たちの宣教は、力強く主イエスについてあかしをするペトロの姿を記しています。ペトロは渾身の力を込めて、「わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です」と語り、すなわちイエスの福音をのべ伝えていきます。
しかしわたしたちはよく知っています。この勇気に満ちあふれた宣教者は、その少し前に、イエスを知らないと三度にわたって否定し、イエスを裏切り逃げてしまったことを。
ペトロがただの裏切り者にとどまっていたなら、世界に向けて高らかにあかしをするこのペトロの言葉は、全く薄っぺらな言葉になってしまいます。わたしたちは、同じ音を発声していても、それを裏打ちする心があるのかないのかで、言葉の重みが異なることを経験上よく知っています。深い思いと現実の体験に裏打ちされた言葉には、力があります。
2019年に教皇フランシスコが訪日された際、「教皇、日本に難民の受け入れを促す」というような内容のニュースが流れ、それに対して「大きなお世話だ」などという批判的なコメントも散見され、少しだけでしたが炎上いたしました。教皇様の日本での発言を振り返りましたが、実は難民についてはほとんど全く発言しておらず、実際に難民について触れたのは、ここ、東京カテドラルでの青年の集いにおいて、一言、こう述べた部分だけでした。
「とくにお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです。数名の難民のかたが、ここでわたしたちと一緒にいます。皆さんがこの人たちを受け入れてくださったことは、あかしになります。なぜなら多くの人にとってはよそ者である人が、皆さんにとっては兄弟姉妹だからです。」
しかしこの一言が、すべてのいのちを守るためと言う教皇フランシスコの確固たる信念に基づいた「言葉」であったがゆえに、聞く人に大きなインパクトを与えたのだと思います。
わたしたちはネット上だけに限らず現実の世界でも、薄っぺらな言葉が飛び交う時代に生きています。深く考えることもなく、その背景を探ることもなく、言葉の裏にある心に思いを馳せることもなく、反射的にデジタルの世界に投げつけられる様々な言葉。その言葉の多くが時間とともに消え去って行くことを目の当たりにするとき、これらの言葉の裏には何ら信念も価値観もないことが分かります。そういった時代だからこそ、確固たる信念に基づいた「言葉」は、いのちの「言葉」は、暗闇に輝く一筋の光のように、多くの人の心に突き刺さり、大きな反響を呼び起こします。
ペトロのあの日の力強い宣言が、力強いと感じられるのは、その言葉が信念に基づいているからに他なりません。そのペトロは、数日前の、恐れにとらわれて主を裏切った、人間の心の弱さの中にあるペトロではありません。主イエスの復活を体験し、主の十字架によって変えられ、イエスこそキリストであるという信念と、自らもその新しいいのちに招かれているという確信が、ペトロの言葉を裏打ちする信念となりました。確固たる信念に基づいた言葉には、力があります。
十字架の出来事を通じてペトロが復活の栄光の証人となったという事実を通じて、主の十字架の意味が明確になります。十字架は、神の愛といつくしみとゆるしと希望と栄光を示しています。
わたしたちも、同じ信仰に招かれている者として、確固たる信念に裏打ちされた言葉を語る者でありたいと思います。
2020年に始まった感染症によるいのちの危機以来、世界は常にいのちの危機に直面しています。東京教区では姉妹教会であるミャンマーの方々を忘れることなく、平和のために祈るようにと呼びかけ続けています。今現在も政治的に不安定な状況は変わらず、特に中部から北部にかけて、軍部による攻撃にさらされている地域もあり、平和を訴える教会への攻撃も止むことがありません。
またこの時期に始まったウクライナや聖地、とりわけガザでの紛争状態は解決することなく、いまでも多くの人が暴力にさらされいのちの危機に心安まることのない毎日を過ごしておられます。中東各地では、暴力的な状況を逃れ安全を求めて、少数派であるキリスト者が他の地域へと移住するということも起きています。加えて現時点でも、米国やイスラエルによるイラン攻撃によって始まった戦争状態はどのような展開を見せるのか定かではなく、毎日のようにさらに多くのいのちが危機に直面させられています。神からの賜物であるいのちに対する暴力は絶望を生み出し、いのちを生きる希望を奪い去ります。
十字架における受難と死を通じて新しいいのちへと復活された主は、わたしたちが同じ新しいいのちのうちに生きるようにと招きながら、ともに歩んでくださいます。ともに歩む中で力づけられ、支え合う仲間とともに、この社会の中にあって、神の愛といつくしみをあかしするようにと招かれています。賜物として与えてくださったいのちを守り、神の似姿としての人間の尊厳を守りぬくようにと招いておられます。ともに歩みながらそのように招いてくださる復活された主イエスこそは、わたし達の希望です。しかしながら世界は、その招きに応えようともせずに神に背を向け、繰り返し絶望を生み出し続けています。
復活祭にあたり、わたしたちはペトロと同じように、主の十字架が示される神の愛といつくしみとゆるしと希望と栄光に与り、新しいいのちへの確信のうちに、いのちの与え主である御父への確固たる信仰に基づいて、力強く福音をあかしするものになりましょう。「わたしたちは、すべての証人です」と語るわたしたち自身の言葉が、薄っぺらな言葉にならないように、教会共同体の中で仲間とともに歩むことで絆を深め、ともに支え合い、ともに祈り合い、ともに感謝を捧げ、信仰における確信を深めながら、神の愛の言葉を告げ知らせるものとなりましょう。
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