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2026年4月 5日 (日)

2026復活徹夜祭@東京カテドラル

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主イエスの御復活、おめでとうございます。

復活徹夜祭で洗礼を受けられた皆さん、おめでとうございます。

昨晩、東京カテドラルでは16名の方が洗礼と堅信を受け、共同体に加わりました。

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以下、復活徹夜祭の説教原稿です。

復活徹夜祭
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2026年4月04日

お集まりのみなさま、主イエスの御復活のお喜びを申し上げます。

わたしたちの主イエスの受難と十字架上での死を思い起こし、四旬節の間ともに歩んできたわたしたちにとって、いのちの絶望である死を打ち破り、永遠のいのちへと復活された主エスは、わたしたちの希望の源です。

復活徹夜祭の典礼は、小さな光から始まります。ろうそくにともされた光が、明るい部屋の中であればそれほどのインパクトを残すことはありません。しかし光の祭儀の時に、この聖堂の照明は落とされ、それによって、小さなろうそくの光であっても、暗闇を切り裂くように光り輝く様をわたしたちは体験します。そして旧約聖書に記された様々な物語から語られる、神のことばに耳を傾けました。

これらは神と共に歩む最初の旅路の物語であります。わたしたちすべてを永遠のいのちへと招かれている御父は、それを仰々しい大きな天変地異を持って始めることはされませんでした。すべてを、ひとりの人から、一つの家族から、一つの民から始めて行かれ、まるで暗闇にろうそくの光が輝くように、この世の闇の中で小さく輝く救いの物語でありました。世界の片隅で、神は選ばれた民とともに歩み、その光を徐々に大きく育て上げ、輝きを増していきます。その救いの物語、すなわち救いの計画は、主イエスの受難と死と復活を通じて、小さな民から世界へと羽ばたき、いまや世界中でその光を輝かせる民となりました。

しかし、一人一人が掲げる光は、ろうそくの光のように小さなものであることに変わりはありません。この世界の中で、一人一人は小さな存在に過ぎません。だからこそわたしたちは、この光を輝かせるために、共に神の民として歩み続けます。

暗闇が深ければ深いほど、小さな光でも力を持ちます。いまの世界は、闇を深めています。世界各地で頻発する紛争状態は終わることなく、主イエスご自身が最初に福音を告げた地、聖地を始め、中東での緊張状態は続いています。単に社会の状況が落ち着かないといったレベルではなく、今日、このときにも、いのちの危機に直面し、希望を失い、絶望と嘆きの中で、助けを求めて叫び続けている人がどれほどいることでしょうか。この暗闇だからこそ、わたしたちは光を輝かせなくてはなりません。一緒になって、神の民として、いのちを生きる希望の光を掲げていかなくてはなりません。絶望のうちに失われていくいのちがあることを、いのちの与え主である神ご自身が望まれているはずがありません。

今夜、このミサの中で、洗礼と堅信と初聖体の秘跡を受けられる方々がおられます。ご存じのようにキリスト教の入信の秘跡は、洗礼と聖体と堅信の秘跡を受けることによって完結します。ですから、その三つの秘跡を受ける方々は、今夜、いわば完成した信仰者、成熟した信仰者となるはずであります。大人の信仰者として教会に迎え入れられるのですから、そこには大人のキリスト者としての果たすべき責任があります。もちろん、すでに洗礼や聖体や堅信を受けているわたしたちすべてにも、同じ責任があります。それは一体なんでしょうか。

先ほど朗読された出エジプト記には、モーセに対して語られた神の言葉が記してありました。

「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。」

モーセに導かれてエジプトでの奴隷状態から逃れようと旅だった民は、エジプトのファラオの強大な権力の前で恐怖にとらわれ、希望を失い、助けを求めて神にただただ泣き叫ぶばかりでありました。そこで神は、モーセに対して、行動を促します。勇気を持って前進するようにと命じます。しかもただ闇雲に前進するのではなく、神ご自身が先頭に立って切り開く道を、ともに歩めと、命じておられます。

教会はいま、シノドスの道を歩む教会となろうと呼びかけ続けています。教皇フランシスコが何度も繰り返されたように、それは何か新しい組織になるための制度改革をしようとかそういう話ではなく、まさしくこの旧約聖書の物語にあるように、人間には不可能に見える道を、神の導きに信頼して勇気を持って前進する神の民になろうという呼びかけてあります。そのために神の呼びかけ、聖霊の導きを皆で識別しようという呼びかけです。すなわち旧約聖書に記されているように、希望を掲げて勇気を持って歩み続けるという、神の民の原点に立ち返ろうという呼びかけであります。

復活の出来事を記す福音書は、復活されたイエスの言葉をこう記しています。

「恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。」

イエスを失った弟子たちは、落胆と、不安と、恐れにとらわれ、希望を失っていたことでしょう。力強いリーダーが突然いなくなったのですから、呆然と立ちすくんでいたのかも知れません。絶望のうちにバラバラになろうとしていたのかもしれません。

恐れと不安にとらわれ、前に向かって民としてともに歩むことを忘れた弟子たちに対して、「立ち上がり、ガリラヤへと旅立て」とイエスは告げます。立ち止まるのではなく、前進することを求めます。行動するようにと促します。ガリラヤは新しいいのちを生きる希望の原点です。なぜならばガリラヤでこそ、イエスが最初に福音を告げ、最初に弟子たちを呼び集めました。ガリラヤ湖畔で、イエスはペトロをはじめとした弟子たちと出会い、従うようにと呼び出しました。ガリラヤは弟子たちにとっての信仰の原点です。自らが教え諭したその地、信仰の原点に立ち返り、そこから改めて勇気を持って希望の旅路をともに歩み始めるようにと弟子たちに命じています。神の民は旅する共同体です。

主の死と復活にあずかるわたしたちの責務の第一は、勇気を持って前進することです。パウロが聖木曜の朗読であったコリントの教会への手紙で述べていたように、わたしたちの責務は、「このパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせること」であります。復活の栄光へと繋がった主の死を告げ知らせることです。十字架上での受難と死を通じてあかしされた、神の愛を告げ知らせることです。復活を通じてわたしたちに示された、いのちを生きる希望を告げ知らせることであります。

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