年間第22主日A@東京カテドラル聖マリア大聖堂
8月の最後の主日。本日は関口教会の10時の主日ミサを担当し。東京カテドラル聖マリア大聖堂でミサを捧げました。
説教の中でも触れていますが、今週の火曜日、9月1日から、「ラウダート・シ」にちなんだ「すべてのいのちを守る月間」が始まり、10月4日まで続きます。
東京教区では、今週の土曜日、9月5日の午後1時から、司教団の「ラウダート・シ」部門担当である新潟の成井大介司教様においでいただき、講演会とミサをすることにしております。時間がある方には、是非ご参加ください。講演会は午後1時からケルンホール、ミサを午後4時から聖マリア大聖堂です。
以下、本日のミサの説教原稿です。
年間第22主日関口教会ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2026年8月30日今年の夏は、早い時期から台風が発生したり、酷暑が続いてみたり、また先日は千葉県内でも大きな被害が出たように各地で豪雨被害もありました。今朝ほども福井県で豪雨の被害が出ていると報道されています。さらには熊本を始め各地で地震が発生したりと、自然の巨大な力の中で生きていくわたしたち人間の力が、いかに小さなものであるのかを思い知らされた夏でもありました。被害を受けられた多くの方々には心からお見舞いを申し上げます。またネパールと中国の国境地帯では、大きな土石流の災害も発生し、多くの方が被害を受けられ、亡くなられた方も多くおられると報道されています。先日訪問したインドネシアのフローレス島や、フィリピン、コロンビアやベネズエラなど、世界各地で地震災害が発生しています。被害を受けられた方々に、いのちの与え主である神様のいつくしみ深い手が差し伸べられることをお祈りいたします。
今年の5月末からは、気象庁の防災気象情報も変更され、大雨警報などの程度が数字で示され、早い段階から避難を呼びかける制度となったり、線状降水帯という言葉も、少し前までは集中豪雨などと行っていましたが、だんだんと耳に慣れてきました。明らかに気候は変動しています。確かにこの数年、日本の気候は荒々しくなり、特に夏の気候はまるで熱帯地方のようになりました。否定する人もいる中で、いわゆる温暖化による気候変動は事実なのだと確信させるに十分な、気候の大きな変化を、夏でも冬でも経験するようになりました。
教皇フランシスコが「ラウダート・シ」を発表されてから10年以上が過ぎました。2015年のことでした。「ともに暮らす家を大切に」と副題に記され、環境問題に総合的な視点から広く取り組むことが、神が創造され、人類にその管理を託されたこの自然界を養い育てると言う、創世記に記された人間の務めを果たすことにつながり、それは同時に信仰上の責務でもあると強調されました。
毎年9月1日は「被造物を大切にする世界祈願日」とさだめられていますが、東京教区では次の土曜日、9月5日の午後1時から、司教団のラウダート・シ部門の担当である新潟の成井大介司教様をお招きして講演会をケルンホールで開催し、またその日の午後4時から、成井司教様の司式で東京カテドラルでミサが捧げられます。どうぞご参加ください。
また9月1日からアシジのフランシスコの記念日である10月4日までを、被造物を保護するための祈りと行動の期間として「被造物の季節」と定められており、日本の教会ではこの期間を「すべてのいのちを守るための月間」と位置づけています。この期間は、気候変動や温暖化の問題を取り上げるだけでなく、それ以上に、「ラウダート・シ」がもとめているわたしたちの「共通の家」を守るという理念の啓発に取り組み、またそれを神から与えられた賜物であるいのちの視点から、霊的に深めていくために定められています。すべての被造物を保護するための祈りと行動の特別な時とすることが求められています。
今年の「被造物を大切にする世界祈願日」にあたり、教皇レオ14世はメッセージを発表され、そのタイトルを、イザヤ書2章から引用されて、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とされています。
メッセージの中で教皇は、「国々が「剣を打ち直して鋤とし」、いのちを損なうものを、いのちを支えるものへと変える時が来ると語りました。ところが、今日わたしたちは、それとはまったく逆のことばかりを目にします。暴力と戦争へと心血を注ぎ続けているのです」と指摘されています。
その上で教皇は、戦争こそは「次々と犠牲者を生み、家族を引き裂き、何百万人もの人を故郷から追いやり、恐怖と不正義と分断を募らせ」ると述べ、「何世代にもわたる社会の荒廃と環境の破壊を残す」ことによって、悪循環を生じさせていると指摘されます。環境問題への取り組みは、平和構築への取り組みであることを、教皇は明確に述べています。
平和構築について教皇はメッセージで、「戦争は、神にかたどり、神に似せて造られた人間として生きること、いのちを尊ぶこと、わたしたちにゆだねられている大地のケア、これらに深刻な落ち度があったことの表れです。単に政治的な失敗であるだけではなく、道徳的、霊的な落ち度でもあります」と記し、わたしたち信仰者は率先して、「真理、対話、忍耐、善意、正義、いつくしみ、理解、配慮、愛」によって、人々の心にいやしを生み出そうと呼びかけています。
「ラウダート・シ」の呼びかけは、わたしたちが享受している生活を大きく変えていくことを意味しているため、抵抗されたり無視されたりしがちであります。しかし、神がこの世界を創造し守り育み管理するようにとわたしたちに託したその願いに心を留めるならば、何もせずに今の生活を享受し続けることは、福音にあったように、「神のことを思わず、人間のことを思っている」とわたしたちも主から叱責される姿勢であることは間違いありません。
預言者エレミヤの嘆きの言葉が、第一朗読に記されていました。
「主の言葉のゆえに、わたしは一日中、恥とそしりを受けねばなりません」
わたしたちはイエスを通じて語られ、聖霊によっていまも導いてくださる主の救いの福音が実現するようにと、生活を通じて取り組んでいます。その取り組みの度合いにはそれぞれの生活の現実において違いがあるとはいえ、エレミヤが記すように、「もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上が」るのですから、止めることはできません。一度でも心で受け止めたのであれば、主の言葉は、決して消えることのない炎として、心の内に燃え続けています。
イエスのメッセージを現代社会の中で生き、さらに伝えていくことには、様々な困難が伴います。環境問題にしても、平和の確立にしても、賜物であるいのちと人間の尊厳を守ることにしても、現代社会の現実はそれに生きることが、まるで夢物語を語り続ける愚か者の生き方であるかのように、嘲笑の対象としてしまいます。社会の現実は、わたしたちが福音に従って生き、語り、行動することを、容易ではないものにしています。
福音が夢物語と見なされるときに、エレミヤの言葉を心に留め、そして第二朗読のパウロの言葉を心に留めたいと思います。ローマの教会への手紙で、「あなた方はこの世に倣ってはなりません」と、力強く勧めの言葉を記しています。わたしたちは常に、「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを」わきまえるものになりたいと思います。
この世界の常識に流されて、妥協してしまいたくなるわたしたちの心に、主は、「サタン、引き下がれ。あなたは、・・・神のことを思わず、人間のことを思っている」と厳しい言葉を向けられています。「自分を捨て、自分の十字架を背負って」という主の言葉は、苦行をしろと言っているのではありません。十字架の道は単なる苦しみの道ではなく、神が自ら創造された賜物であるいのちを救うために歩まれた、自己犠牲による愛の道です。他者のために捧げる愛の奉仕の道です。主の十字架は、苦しみの象徴ではなく、すべてを賭して、わたしたちへの愛を目に見える形で行動に移された神の愛といつくしみのあかしです。
イエス自身が歩まれた道、すなわち十字架の道を、ともに歩むようにと言う主の呼びかけに、真摯に応えるものであり続けましょう。
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