カテゴリー「小教区」の26件の記事

2022年2月 8日 (火)

日本26聖人殉教祭@本所教会

2022_02_06_005

2月5日は日本26聖人の記念日でした。聖パウロ三木を筆頭に、26名のキリスト者は、長崎の西坂において、1597年2月5日に殉教の死を遂げられました。

毎年2月の最初の主日には、この26聖人殉教者を保護の聖人とする東京の本所教会で、殉教祭が行われてきました。今年は感染対策をしてミサに参加する方の人数を制限しながら、2月6日の日曜日の午前10時から、殉教者記念のミサを行いました。

2022_02_06_011

本所教会は、東京での4番目の教会として1880年(明治13年)の4月に聖堂が設けられ、そのときに「日本26聖人殉教者」に捧げられました。聖堂は度重なる火事や災害や空襲で焼失しましたが、現在の聖堂は1951年に、当時の主任司祭であった下山神父様によって建設されたものです。なお26聖人殉教者が列聖されたのは1862年(文久2年)6月8日ですから、今年で160年になります。またその当時の4つの教会とは、築地、浅草、神田、本所の四カ所で、その後に麻布と関口が加わりました。このあたりのことは、こちらのリンクから本所教会のホームページへ。

2022_02_06_014

以下当日のミサの説教の時、手元にあった原稿です。原稿のあとに、本所教会のYoutubeアカウントから当日のミサの映像のリンクを張ります。説教中、一部音声が乱れますが、すぐに回復しますので、御寛恕ください。

日本26聖人殉教者殉教祭ミサ
2022年2月6日
本所教会

わたしたちの人生には苦しみや困難がつきものです。他人の目からはどれほど順風満帆な人生だと思われていたとしても、そこには大なり小なり、さまざまな意味での苦しみや困難が存在するのが、わたしたちの人生です。

特にこの二年間、わたしたちは感染症の影響で、世界中ですべての人がいのちの危機に直面しています。どうしてこんなことになったのか、誰も分かりません。いつになったら安心できるのか、誰も分かりません。暗中模索という言葉は、まさしく今現在の状況を表している言葉であり、わたしたちは闇の中で希望を求めて彷徨っています。

感染症対策が経済に影響を与え、社会的距離を取ることや不要不急の外出を避けることなどが、多くの人を孤立の闇に閉じ込め、孤独が広がっています。感染症によっていのちの危機に直面する人もいれば、その感染症への対策によってもたらされた経済の危機や隔離政策によって、いのちの危機に直面する人もいます。

なぜこんなことになったのか。なぜ今なのか。いくら問いかけても答えは見つかりません。

教皇ベネディクト十六世は、回勅「希望による救い」のなかで、「苦しみは人生の一部」だと指摘されています。この世界から理不尽な苦しみを取り除く努力をしなければならないとしながらも、教皇は、人間はその有限性という限界の故に、苦しみの源である悪と罪の力を取り除くことができないのだとも指摘します。それができるのは神だけであり、神は人間の歴史に介入されて、自ら苦しまれることで、世界にいやしを与える希望を生み出した。それは自ら創造された人類への愛に基づく行動なのであり、その神の愛による苦しみにこそ、わたしたちが掲げる希望があるのだと指摘されます。

その上で、教皇ベネディクト十六世は、人間の価値というものは、わたしたちと苦しみとの関係で決まるのだとして、回勅にこう記しています。

「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。これこそが人間であることの根本的な構成要素です。このことを放棄するなら、人は自分自身を滅ぼすことになります(「希望による救い」39)」

苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値に生きるために、不可欠な要素です。苦しみは、神がわたしたちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神がわたしたちを愛して、この世で苦しむわたしたちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。

わたしたちの主イエスの人生こそは、「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと」を具現化する人生であります。

2022_02_06_034

歴代の教皇様たちは、この世界になぜ苦しみが存在するのか、悪が存在するのかという課題に取り組んで、それぞれさまざまな教えを残しておられます。故岡田大司教様も、善である神が創造された世界になぜ悪が存在しているのだろうかと言う課題を最後まで追求されて、一冊の著書を残されました。「悪の研究」という著書は、大司教様が一年ほど前に亡くなられてから出版されました。

岡田大司教様の著書でもそうですが、悪が存在する理由は追求すればするほど、その理由は分からない。理由が分からないと言うことが分かる。悪が存在する理由は分からないけれども、神は愛をもってそれを凌駕して、わたしたちの苦しみをともにされたことによって、苦しみの中から希望が生まれるのだと言うことを明確に示された。そのことは理解ができる。なぜ苦しみがあるのかは分からないけれども、神はそこから復活のいのちへの希望を生み出していった。ですからわたしたちは、苦しみと理不尽さの中にあるときにこそ、主イエスの苦しみの人生に、そしてその死と復活の神秘に、本当の希望を見出します、

教会は2月5日に、日本26聖人殉教者を記念します。聖パウロ三木をはじめ26人のキリスト者は、1597年2月5日、長崎の西坂で主イエスの死と復活を証ししながら殉教して行かれました。

2019年11月に西坂を訪れた教皇フランシスコは、激しい雨の中、祈りを捧げた後に、次のように述べられました。

「この聖地は死についてよりも、いのちの勝利について語りかけます。ここで、迫害と剣に打ち勝った愛のうちに、福音の光が輝いたからです。・・・ここは何よりも復活を告げる場所です。あらゆる試練があったとしても、死ではなくいのちに至るのだと、最後には宣言しているからです。わたしたちは死ではなく、全きいのちであるかたに向かって呼ばれているのです。彼らは、そのことを告げ知らせたのです。」

聖人たちの殉教は、死の勝利ではなく、いのちの勝利なのだ。聖人たちの殉教によって、福音の光が輝いた。そこから「福音の光」という希望が生み出されたと教皇様は指摘されました。

2022_02_06_024

「殉教者の血は教会の種である」と、二世紀の教父テルトゥリアヌスは言葉を残しました。

教会は殉教者たちが流した血を礎として成り立っていますが、それは悲惨な死を嘆き悲しむためではなく、むしろ聖霊の勝利、すなわち神の計らいの現実における勝利を、世にある教会が証しし続けていくという意味においてであります。わたしたちには証しを続ける責務があります。

わたしたちは、信仰の先達である殉教者たちに崇敬の祈りを捧げるとき、単に歴史に残る勇敢な者たちの偉業を振り返って褒め称えるだけではなく、その出来事から現代社会に生きるわたしたち自身の希望の光を見いだそうとします。

わたしたちは、信仰の先達である殉教者を顕彰するとき、殉教者の信仰における勇気に倣って、福音をあかしし、告げしらせるものになる決意を新たにいたします。なぜならば、殉教者たちは単に勇気を示しただけではなく、福音のあかしとして、いのちを暴力的に奪われるときまで、信仰に生き抜いたのです。つまりその生き抜いた姿を通じて、最後の最後まで、福音をあかしし、告げしらせたのです。わたしたちは殉教者に倣い、福音に生き抜くようにと、最後の瞬間まで福音を証し、語り、行うようにと、今日、主から呼ばれています。

迫害という困難な時代に、福音に生きるとはどういうことであるのかを、殉教者たちは明確に模範を示されました。永遠の命への希望を心に刻み、どのような困難があっても神の愛を証しする奉仕の業に励み、それを最後の最後までやり通すこと。

今この感染症という困難な時代に生きているわたしたちも、この状況だからこそ、どのように福音に生きるべきなのかを見極めなくてはなりません。神からの賜物であるいのちを守り抜く行動は、自己保身ではなく隣人愛に基づく行動は、恐れのあまりの退却ではなく、積極的な愛の証しの行動です。今わたしたちは信仰を堅く保って、それをあかしし、告げしらせるために、どのような生き方をするべきか、何を語るべきか、何に心を向けるべきか、何を大切にするべきか、心の耳を開き、信仰の先達に倣い、この困難なときだからこそ、互いに助け合い支え合うことで、福音を証しして参りましょう。

 

 

| |

2021年6月28日 (月)

聖イグナチオ麹町教会で堅信式ミサ

Kojimachiconf21a

昨日、6月27日の日曜日午後3時半から、四ッ谷にある聖イグナチオ麹町教会大聖堂で、堅信式ミサを行いました。

麹町教会では毎年たくさんの方が堅信を受けられるのですが、このところの状況のため、通常の形で行事を行うことが出来ずにおりました。今年は、堅信式を三回に分け、昨日の第一回目をわたしが司式し、二回目と三回目は、わたしから主任司祭に委任して執行していただくことにしました。

昨日の第一回目で堅信を受けられたのは、95名の方々。この後、2回目に70名ほど、三回目に40名ほどが予定されているとうかがいました。堅信を受けられる皆さん、本当におめでとうございます。

Kojimachiconf21b

昨年はわたしが司式しての堅信式は行えなかったのですが、その前は2019年に141名、その前の2018年は137名の方が堅信を受けられました。新潟から東京に移ってきて初めて麹町教会で堅信式をしたときの驚きを、わたしはその日の司教の日記こう記しました。

「堅信を受けられたのは、なんと137名。137名ですよ、皆さん。と、ジャパネットの前社長なみの声で叫びたくなりますが、137名です。東京に来てから、あまりの違いに驚くばかりですが、先日の合同堅信式で200名を超えていたのも驚きましたが、今回は、単独の小教区で137名です」

今でも、地方の教区の現実と、東京の現実の違いに、堅信だけではなくてさまざまな側面から、驚き続けております。

Kojimachiconf21c

先日の清泉インターナショナルと同じように、今回も感染対策をとり、聖座の典礼秘跡省の感染対応の臨時の許可に従って、個別の按手を全体での一度の按手としたり、聖香油を綿棒で塗油するなどといたしました。またミサ後の祝賀会も行われませんでしたので、直接ご挨拶できなかった方々がたくさんおられたと思います。またミサの終わりには、花束や素敵な感謝のあいさつもいただきました。ありがとうございます。

麹町教会は、その地理上の位置にしても、背後に上智大学などで働かれるイエズス会員が控えていることからも、さまざまな意味で、重要な役割を持っている教会です。規模が大きいので、なかなか共同体意識を育てるのは至難の業だと思いますが、麹町教会としての共同体意識だけでなく、東京教区の全体と一緒に一つの体を形作っているという教区共同体の意識を、強く深く持っていただければと思います。(下の写真は主任の英師とミサ後に。)

Kojimachiconf21d

当日のミサの説教原稿はありませんが、以下のビデオから、お聞きいただくことが出来ますので、興味ある方はどうぞ。(19分11秒からスタートするリンクにしてあります)

 

 

| |

2021年5月16日 (日)

高幡教会50周年、そして西千葉教会の新司祭館・信徒会館

Takahata21a

5月15日の土曜日には、日野市にある高幡教会の創立50周年の感謝ミサが行われました。1969年に創立された教会ですから50年は2019年で、もともとは一年かけ記念の年を昨年感謝ミサで締めくくるはずでした。それが昨年の公開ミサ中止で延期に。今年は、感染対策を徹底し、参加者を限定し、さらに同じ感謝ミサを午前10時と午後1時半の二回行い、限定した参加者をさらに二つに分ける工夫をされました。加えて、聖歌の歌唱は答唱や拝領で独唱。ミサの応答も司会者のみと徹底しておりました。(写真上、高幡教会。すぐ近くには多摩動物公園がある、緑に囲まれた教会です)

Takahata21c

入り口で受付や消毒、検温にあたったスタッフの皆さん、典礼を準備した皆さん、ありがとうございます。主任司祭は、ミラノ宣教会のベロッティ・ジャンルーカ神父様です。(上の写真は、間隔を開け、番号指定で離れて着席をお願いする準備が整った高幡教会聖堂)

Nishichiba21d

5月9日の日曜午後には、西千葉教会で、閉園となった教会隣接の旧聖マリア幼稚園を改築した信徒ホール兼司祭館をカリタス館と命名し、その祝別式ミサを行いました。千葉県は緊急事態宣言の対象ではなく、まん延防止等重点措置の対象地域です。(上の写真は、人数制限をした西千葉教会聖堂。下の写真は、西千葉教会カリタス館一階で、祝福の祈りを唱える)

Nishichiba21a

ミサには千葉中央宣教協力体から、茂原のルイス神父様、東金の小沢神父様、そして西千葉と千葉寺の福島神父様、パル神父様が共同司式。西千葉と茂原の数名の方に堅信も授けました。このミサも、感染対策を徹底して行いました。堅信はバチカンの指示に従って、コットンパッドで一人ひとり塗油し、按手も触れないように行われました。もちろん一緒に歌うこともなく、粛々とミサを行いました。

高幡教会の皆さん、そして西千葉教会の皆さん、おめでとうございます。(下の写真は、高幡教会の聖母子像)

Takahata21d_20210516124701

以下、高幡教会でのミサの説教原稿です。

高幡教会50周年ミサ
2021年5月15日

カトリック高幡教会が誕生して50年の節目にあたり、皆様にお祝いを申し上げます。

わたしもまだ東京教区のすべての教会の歴史を把握していないので申し訳ないのですが、1969年にベリス・メルセス会の修道院が創立され、その地に司祭が派遣されたことで、教会共同体がはじまったとうかがいました。そして、ベリス・メルセス会の好意により、修道会敷地内に現在の聖堂が献堂されたのが1982年12月5日ですから、間もなく聖堂も献堂40周年となります。

新型コロナ感染症の影響で本日の記念ミサは、たびたび延期となっていましたが、高幡教会の皆さんは、この2年間、これまでの歴史を振り返り、次の節目である100年を目指して進むべき道を模索するときを、十分に過ごされてきたと思います。 

これまでこの教会において、宣教と司牧に献身的に取り組んでこられた司祭の皆様に心から感謝します。また、この50年の間、宣教師や教区の司祭とともに教会共同体を育て上げてきた高幡教会の信徒・修道者の方々にも、心から感謝申し上げます。

「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」
先ほど朗読されたヨハネ福音は、有名なカナの婚姻の場面でしたが、そこに記された聖母マリアの言葉であります。

教皇ヨハネパウロ二世は、使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」で、祈りをとおしてマリアとともにキリストを黙想することの重要性を指摘され、それを通じて、マリアとともにキリストを思い起こし、キリストを学び、キリストの姿に似たものとなり、キリストに願い、キリストを伝えていかなくてはならないと記しています。

教皇はカナの婚姻での聖母のこの言葉を取り上げ、「イエスが行った最初の「しるし」において、マリアは、召し使いにイエスのいいつけ通りにするよう促す教師の姿」を示し、わたしたちを「マリアの学びや」に招いていると指摘します(14)。

その上で、「キリストと聖霊がわたしたちの心に湧き上がらせてくださる祈りを支えるために、マリアは間に立って執り成してくださいます。・・・カナの婚礼において、福音書はマリアのこの執りなしの力をはっきりと述べています。マリアは人が必要としているものをイエスに知らせているのです」(16)と記しています。

カナの婚姻の物語は、聖母とともにキリストを学ぶようにわたしたちを招き、同時に聖母の執りなしの力強さを教え、特に困難にあるときに、聖母に祈ることの大切さを思い起こさせます。

わたしたちは今、歴史に残る困難に直面しております。

新型コロナ感染症の蔓延は、未知の感染症であるが故に、わたしたちを不安の暗闇の中へと引きずり込みます。わたしたちはすでに1年以上にわたって、出口が見えないまま、まるで闇の中を光を求めて彷徨い続けているかのようであります。徐々に感染症の全貌が明らかになり、ワクチンの接種が始まったとは言え、確実に安心できるまではまだ時間が必要なようですし、わたしたちが直面しているいのちの危機は継続しています。

Takahata21e

教会も、さまざまに対応してきました。なんといっても、当初から、密接・密集・密閉を避けるようにと呼びかけられているのに、教会はその三つの密のオンパレードでありますし、ましてやミサなどになれば一緒になって大きな声で聖歌を歌ったりいたします。

大げさなようですが教会は、いまアイデンティティの危機に直面しています。なにぶんこれまでは、日曜日にできる限りたくさんの人が教会に集まってくれるようにと働きかけてきたのです。この教会という場所に集まることが、共同体なのだと思っていました。少しでもミサに参加する人が増えることが、宣教の成功だと思っていました。

それが物理的に集まることが難しくなった今、集まってもなるべく離ればなれになり言葉も交わさないようにしている今、教会共同体というのは、そもそもいったい何のことだろうかと自問させられています。

もちろんわたしたちは、以前から教会というのは単に聖堂という建物のことだけではないと学んできました。第二バチカン公会議は教会憲章において、教会はまず第一に「神の民」であると指摘し、その上で教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)と教えます。教会は神の民という共同体のことであり、その共同体は、「神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具」として、この地域に存在しています。

教会に集まることが難しい今だからこそ、わたしたちは自分の生活の場へと「出向いていく教会」として、「神との親密な交わりと一致」をあかしする神の民でありたいと思います。

教皇フランシスコの語られる「出向いていく教会」は、神の言葉が人となられてわたしたちのうちにおいでになったという救いの業の行動原理に倣う、教会のあるべき姿を表しています。闇雲に出向いていくのではなく、助けを必要としている人のもとへと出向いていく教会であります。孤立しいのちの危機に直面している人のもとへと、出向いていく教会であります。

コロナ禍のもたらす疑心暗鬼の暗闇の中で、対立と分断、差別と排除、孤立と孤独が深まる現代世界にあって、教皇様は、神のいつくしみを優先させ、差別と排除に対して明確に対峙する神の民であるようにと呼びかけておられます。とりわけ教会が、神のいつくしみを具体的に示す場となるようにと呼びかけ、東京ドームのミサでも、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」と力強く呼びかけられました。

疑心暗鬼の暗闇の中で不安に苛まれる心は、寛容さを失っています。助けを必要としているいのちを、特に法的に弱い立場にある人たちを、いのちの危機に追い込むほどの負の力を発揮しています。わたしたちは神からの賜物であるいのちを守る、野戦病院でありたいと思います。

教会共同体は、その体の一部である一人ひとりが、それぞれの生活の場で神のいつくしみをあかしする言葉と行いに忠実であることによって、出向いていく教会となります。わたしたちのあかしするいつくしみの言葉と行いは、個人の業ではなく、共同体の業です。わたしたちは、共同体で受けた神の愛といつくしみを心にいただき、それをそれぞれが生きる場で分かち合うのです。

聖母マリアは、 深い祈りと霊性に支えられながらも、つねに行動することをいとわず、困難に直面する人のために手を貸すためであれば待つことなく即座にそのもとへ出かけていく、まさしく出向いていく教会の母であります。対立と分断、差別と排除、孤立と孤独のうちに危機に直面する命を守るため、積極的に行動する教会の母であります。

困難な今だからこそ、教皇様がこの5月に呼びかけられているように、聖母の執りなしの力に信頼して祈り続けましょう。そしてわたしたち自身も、社会のさまざまな場にあって、対立と分断、差別と排除、孤立と孤独がいのちの危機をもたらすことのないように、言葉と行いを持って教会の信仰をあかしして参りましょう。

 

| |

2020年11月20日 (金)

吉祥寺教会で堅信式

Kichijojiconfb

11月15日の日曜日に、吉祥寺教会で29名の方の堅信式と、3名の方の初聖体ミサを捧げました。

新型コロナの感染が継続する中、バチカンからは様々な指示が送付されてきておりますが、堅信の秘跡の授け方についても、過日、典礼秘跡省から指示がありました。今回のコロナ禍という緊急事態にあって、個々の堅信を授ける際に、直接頭に按手することが秘跡の要件として不可欠かどうかと言う問いに対して、典礼秘跡省は、塗油前の按手の祈り(聖霊の七つの賜物を願う祈り)において、司祭が手をさしのべることで十分であると回答。また塗油の際には、直接親指で聖香油を塗らなくても、たとえば綿棒などを用いても良いと指示がありました。(もちろん緊急事態下の特例です)

通常は按手の祈りでも手をさしのべますが(下の写真のように)、同時に、個別に塗油をする際に右手を頭に乗せて按手をするのですが、当分の間はその直接触れる按手を省略しています。また、聖香油の塗油も、さすがに綿棒というわけにも行かないので、脱脂綿に聖香油をしみこませ、一人ずつ塗油させて頂いています。

Kichijojiconfc

参加者も限定され、聖歌も最小限となり、いつもとは異なる雰囲気の中でしたが、秘跡の力は変わりません。堅信を受けられた方々、初聖体を受けられた皆さん、本当におめでとうございます。

125282363_2456883584608643_3192027037737

なお当日は、神言会で先日叙階された篠崎エジルソン師が、まず堅信式ミサに共同司式され、その後に、ご自分の初ミサを捧げられました。篠崎神父様は、キューバに宣教師として派遣されることになっているそうです。(写真すぐ上)

ミサ後には、これまた先日、司祭叙階60年をお祝いされたばかりの後藤神父様を囲んで、吉祥寺教会の神言会員と昼食でお祝いして参りました。

なお堅信式のミサは、こちらのリンクからビデオを見ることができます

Kichijojiconfd

以下、堅信式・初聖体ミサ説教です。当日は原稿なしでお話ししましたので、多少の繰り返しや逸脱がありますが、ご参考までに。

吉祥寺教会堅信式・初聖体ミサ

このところまた毎日のように報道されていることですが、PCR検査で陽性者の方の数が増えています。これから寒くなっていくので感染が拡大するだろうと専門家の方々は仰っていますし、クリスマスと年末年始がやってくる中で、教会の活動はどうなっていくのかという大きな不安を抱えながら、私たちは今、信仰生活を歩んでいます。

今日堅信を受けられる方々もそうでしたが、今年は聖週間、そして復活祭を祝うこともできませんでした。ご復活に洗礼を受ける為に準備されていた方々はじめ、いまだに洗礼を受けることができない方々が沢山存在しています。堅信式も、教区が聖霊降臨の日の合同堅信式を中止にせざるをえませんでしたので、多くの方が堅信の秘跡を待ち望んでいるという状況でもあると思います。

そういう中で私たちは今、「教会っていったいなんなんだろう・教会とはいったいどういう存在なんだろう」という、私たち自身のアイデンティティに関わる問題を目の前に抱えています。

感染を避ける為に自分が病気にならないだけでなくて、他の人を病気にしない・感染させないという双方向の責任があり、自分さえ良ければということではなくて、他の人の命を守るという、積極的な意味合いをもって感染対策をしていかなくてはなりません。感染対策としては真っ先に「密集、密接、密閉の三つの密を避けましょう」と言われていています。またそのために、「社会的距離を保ちましょう」というわけですけれども、教会というのは残念なことに、毎週日曜日に集まる度に、小さなこの建物の中に多くの人が集まって「密集、密接、密閉」の状況でお祈りします。しかもその中で一緒に歌を歌ったりするのですから、まさしく、「避けなければならない」といわれていることをすべて行うのが、教会の活動であるわけです。

Kichijojiconfe

いつも通りの教会活動ができない。一緒にお祈りができない。一緒に歌えない。様々な活動、例えば教会の日曜学校や聖書研究会、祈りの会など、人が集まる事自体が非常に難しくなっています。

「では教会っていったい何なんだろう?」
これまでであれば、日曜日に教会に時間通りに出かけていってミサに与ることで、「ああ、私は教会の一員なんだ。普遍教会のメンバーなんだ、共同体の一員なんだ」ということを肌で感じることができたわけですけれども、それが出来ない、またはそれが難しい。行きたいけれど行けないというような状況が続いている中で、じゃあ「教会共同体」とはいったい何なんだろうと。

集まることで、たしかに安心を得ることができますよね。一緒の仲間がそこにいて、一緒に祈って、一緒に聖体拝領に与って、一緒に御言葉に耳を傾けたり。。。そうした事が、私達に教会共同体の安心感を与えてくれるわけですけれど、残念ながらそれができない中で、「じゃあ私たちの教会はいったい何なんだろう?」それを本当に考えさせられる。

「私たちの共同体っていったいどうやって存在しているのだろう?」
同じ所に住んでいるわけでもない、同じ地域に固まってみんなで住んでいるわけでもない。同じ場所で同じ仕事をしているわけでもない、全然違う所でまったく違う生活をしている人たちが、集まることすらできない中で「私たちは共同体です。教会共同体です」と言うことに、いったいどういう意味があるんだろうかと、それが出来ない状況下で、いやおうなく考えさせられています。

すぐにこれが回答ですというモデルは出てこないのですが、考えるヒントは第二バチカン公会議です。教会っていったい何なんだろうかと考えた時に、教会憲章の中には、教会というのは二つの実体があるんだと記されています。この地上における組織としての教会と、天上と繋がっている霊的な共同体、この目に見える物理的な存在と、霊的な存在という、2つの側面が教会にはある。そしてその二つはそれぞれ独立して別々に存在しているわけではなく、一緒になって、混じり合って一つの実体として存在しているのが教会なんだと、教会憲章に記されている。それを読むにつけ「教会って物理的な側面だけではなくて、霊的な側面、霊的な繋がりの側面というのがとても大切なんだ」ということを、私たちは今年、あらためて思い起こさせられているのですね。

今までは、物理的な側面が強調されてきた嫌いがある。しかし、霊的な側面、霊的な繋がりの重要さ、私たちには教会の霊的な繋がりがあるんだということを、今年思い起こさせられています。

「霊的な繋がりを充実させましょう」と簡単に言うけれど、実際に具体化させるのはとても難しいです。例えば同じ祈りをしているんだ。例えばロザリオの祈りをしているんだ。時は違えど、場所は違えど、同じ祈りで繋がれているんだ。または聖書の言葉、聖書に記された神の御言葉。日曜日の朗読の箇所は「聖書と典礼」に載っていますし、今はインターネットの時代ですから、インターネットを通じて今日の朗読をすぐに知る事ができますが、この神の御言葉を共有している。今日この神の御言葉を、時は違えど、場所は違えど共有しているんだ。同じ神の御言葉で私たちは繋がっているんだという、この思いがとても大切だと思います。

Kichijojiconfa

東京教区で3月1日の主日から10月31日までカテドラルからミサの中継をしていましたよね。
いろいろ事情があって、この間の10月31日で一旦終わりにしたわけですけれども、それ以外でもイグナチオ教会やいろいろな所でミサの中継が継続されています。実はミサの中継を観るということも一つの霊的な絆を強めていく為の手段ですよね。残念ながらカトリック教会としては、オンラインだけでは、実際に典礼に参加したことにはなりません。ご聖体拝領もできませんし、オンラインではミサに参加するという勤めを果たしたことにならないわけですが、それでもあのオンライのミサを観ることによって、霊的な繋がり、この祈りによって、この霊的聖体拝領を通じて、私たちは結びあわされているんだという思いを、強めることはとても重要だと思います。

そして、今日堅信の秘跡をを受けられる方々、初聖体を受けられる方々。
私たちは綿々とイエスキリストの時代から、この聖霊による堅信、聖霊による祝福、聖霊による導き、それによって教会がずーっと導かれている、その聖霊を受けることによって、私たちは綿々と繋がっている霊的な共同体の一員となるのだと実感します。同じ聖霊の恵を受けて、同じ聖霊の祝福を受けて、同じ聖霊の守りを頂いて、私たちは霊的な兄弟姉妹として今結び合わされている。それも今、この場所だけではなくて、世界に広がる普遍の教会、そしてそれはイエス様の時代から始まって今に至る、綿々と連なる聖なる普遍の教会の中で私たちは繋がれているんだということを、改めて感じさせられています。

ご聖体を今日初めて受ける、これによって最後の晩餐でイエスご自身が、「これを私の記念として行いなさい」と残されていったあの記念、あのイエスの御体と御血を頂くことによって私たちは、あのイエスの最後の晩餐から今に至るまで、綿々と続いているこの信仰共同体の絆の中にあって、主と繋ぎあわされている。霊的な絆の内に私たちは一つの共同体として生かされているんだということを、堅信と初聖体を通じて、改めて感じさせられます。

「私が聖霊を受けた、私ががご聖体を受けた」、そういった私だけの喜びではなく、それは世界に広がる普遍教会の絆の内に、そして天上の聖人たちとともに、天上におられる人々とともに、すべて繋がっている普遍の教会の共同体の絆のうちに私が加えられたという、堅信や聖体の秘跡に与ること、それは「私」だけの喜びではなくて、教会の喜びなんです。

洗礼を受けて、堅信の秘跡を受けて、御聖体の秘跡を受けることによって、それぞれ綿々と伝えられてきたこの信仰共同体の絆の中に、あらたに生かされる。この絆の内に繋がれる兄弟姉妹にとって、普遍教会全体にとっての大きな喜びが、今日のこの堅信の日、初聖体のミサであると思います。

秘跡を受けられるお一人お一人の上に、神様の豊かな祝福と聖霊の導きがあるよう、心からお祈り致します。

 

| |

2015年3月16日 (月)

カリタス四旬節黙想会@静岡城内教会

Reihai1501
金曜日の朝にバンコクから帰国。その日は教皇様が呼びかけた四旬節の全世界での祈りの日でしたので、新潟教会でも午後7時から8時まで,私が司式して聖体礼拝を行いました。平日の夜で,しかも雪が降る寒い日でしたが、30名を超える方が集まってくださり、一緒に御聖体の前で晩の祈りを唱え、ゆるしの秘跡に与る一時を持ちました。青山教会から坂本神父とアンリ神父も参加。3月11日に近いこともあり、東日本大震災の被災者の方々のためにも,この聖体礼拝で祈りました。

Reihai1503
翌土曜日は,朝から静岡に移動。午後3時から静岡市内の城内教会を会場に,四旬節黙想会を行いました。この黙想会は城内教会をはじめとする静岡近辺の教会のにもよびかけ、130名を超える方が集まってくださいました。

Shizuoka1501
またカリタスジャパンとの共催にして頂き、カリタスジャパンが国際カリタスと共に推進中の,反貧困キャンペーン、飢餓撲滅のための「五つのパンと二匹の魚」を分かち合う内容とさせて頂き、東京の事務局からもカリタス職員が参加して,アピールをさせて頂きました。

土曜日には近隣の教会の神父様方も参加下さり、二回の講話のあと、ミサを一緒に捧げ、その中で共同回心式を行いました。個別のゆるしの秘跡がたくさんあったので、すべてが終わったのはすでに7時過ぎでありました。

Shizuoka1502

そして日曜日は朝9時半から第三回目の講話。そしてその後ミサとなりました。ミサはちょうど教会学校の卒業式にあたったので,こどもたちを中心に,朗読や司会進行をして頂きました。またミサ中には洗礼志願者の典礼も。

すべてが終わって夜には,私が神学生時代に教会の夏のキャンプなどをお手伝いして理バンドで歌をうたったりした教会の旧知の方々と夕食会。(静岡の写真は,信徒の方にご提供頂きました。)

今日はこれから、長崎へ移動して,明日は信徒発見の150周年ミサです。その後、アドリミナのために即座にローマへ行きます。

| |

2014年11月16日 (日)

洗礼・堅信ミサ@十日町教会

Tokamachi141103
今日の日曜日は、新潟県の十日町教会を司牧訪問。新潟の司教館から北陸自動車道と関越自動車道で川口インターまで行き、その後国道を走って、だいたい1時間40分で到着。今日は一日小雨模様の肌寒く曇ったあいにくの空模様でしたが、それでも秋らしい山の風景がそれなりに望めるドライブでした。

Tokamachi141102
10時半からのミサでは、洗礼と堅信式を行いました。十日町教会は周辺の地域にフィリピン出身の奥さんたちがたくさんおられることから、ミサに集まるのもそういった方々とこどもたち、そしてご主人たちです。ご主人たちのなかにも、すでに洗礼を受けておられる方がおられます。今日は司教が来るというので、そういった家族からのリクエストもあり、主任司祭が幼児洗礼を二人、大人の洗礼を一人、そしてその方を含めて大人の堅信を二人準備しておりました。

私たちの信仰共同体に属する条件は、もちろん信仰の有無だけが要件です。しかしながらまだ言葉を語ることのできない幼児に信仰の有無を問いただすことはできません。そこで、幼児を共同体のメンバーとして迎え、さらにその信仰に基づいて神の救いに与る洗礼の秘跡を受けさせるために、両親と代父母が代わりになって信仰を宣言します。それは単に儀式としてそうするのではなく、これからこどもたちが自分で判断できるまで、信仰を豊かに育てることを約束するのです。その約束を信頼して、幼児に洗礼を授けます。今回は二人とも母親が信徒でご主人たちはそうではありませんが、ご主人たちもしっかりと正装して、一緒に洗礼式とミサに参加して下さいました。こういったご主人たちの中から、この共同体のリーダーになるような人物が出てきております。今日堅信を受けられた一人も、そういった共同体のリーダーになるようなお父さんの一人です。

幼児洗礼はそれだけで特別なものですから、いろいろと両親や代父母に質問があったりするので、大人の洗礼などとは一緒にせずに別にして行います。そのあとに大人の洗礼と、二人の堅信を行いました。ですから今日は、盛りだくさんのなかなかに長いミサとなりました。

Tokamachi141104
ミサ後は隣接する幼稚園の一室を借りて、持ち寄りパーティーです。特にフィリピン出身の方々にとっては一番の得意な行事。久しぶりに楽しく自分の言葉で話し、お互いに持ち寄った食事を分かち合い、私もその中で楽しい一時を過ごすことができました。

私自身、ガーナで8年間「外国人」として暮らしたことがありますが、故郷の言葉や食事ほど心をいやしてくれるものはありません。文化や習慣の違いは簡単に乗り越えられるものではありませんから、ときとして日本の教会共同体の中で対立や批判を生み出すことがあると聞いたことがあります。確かに違うのは事実で、「郷に入っては郷に従え」で日本に合わせないさいと要求することはあながち間違いではありませんが、同時に私たちの側にも、落ち着いてみれば、他の文化に生きる人たちの習慣や生き方から学ぶことがたくさんあるのも事実です。落ち着いて、よく観察してみましょう。私はいつも、静かに皆さんの関係を眺めながら、他文化の方々の互いの思いやりや配慮の関係に、思わず感動させられることがしばしばあります。

互いの違いを乗り越えて、少しでも良い共同体を育てることができるように、互いの努力を怠らないようにしましょう。難しい道であろうことは否定しませんが、人生を豊かにしてくれる道であると思います。

| |

2014年11月 9日 (日)

青山教会堅信式@新潟

Aoyama14110901
ラテラン教会献堂の記念日に当たる今日の日曜日、新潟市内にある青山教会で堅信式を行いました。9時からの主日のミサの中で、3名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。堅信の秘跡は、幼児洗礼を受けた方が中学や高校の時に受けることが多いため、何となくこれから身も心も大人になっていく信徒を対象に行っているように思い込んでいましたが、今日の青山の受堅者は三名とも成人女性。責任ある信仰者として、教会共同体の中でよりよく成長を続けて頂きたいと思います。なお主任司祭は新潟教区の坂本耕太郎神父です。

主日であるにもかかわらずお祝いするラテラン教会とは、ローマの司教である教皇様のカテドラルです。普遍教会の牧者である教皇様のカテドラルの献堂を祝うことは、私たちの教会は、あたかも支店本店の関係のように、ローマ教会の支店として存在しているのではなく、ひとりの牧者の下に一つの神の民を形成している部分なのだということを思い起こさせます。その意味で、私たちに、教会とはいったい何なのかをあらためて考えさせる祝日です。

この地上における目に見える組織としての教会は、同時に霊的な交わりとしての教会でもあり、さらには天上の教会ともつながれています。教会憲章の8項には、次のように書かれています。

「位階制度によって組織された社会とキリストの神秘体、目に見える集団と霊的共同体、地上の教会と天上の善に飾られた教会は、二つのものとして考えられるべきではなく、人間的要素と神的要素を併せ持つ複雑な一つの実在を形成している」

ですから教会共同体の有り様を、普遍教会のレベルでも部分教会のレベルでも、社会一般の価値観で定め、判断していくことは、必ずしもふさわしいことではありません。私たちは、様々な考え方や思想を持った人間ですが、同じ信仰において結ばれていることを心にとめて、自分の考えではなく神によって集められたものとして、互いの違いを乗り越えてキリストの神秘体を形作る努力をしなくてはなりません。私たちひとりひとりが教会です。教会を構成するのです。日曜日に教会という建物に来たときだけが、私たちが教会の部分になるのではなく、信仰者として生きている限り、常にどこにあっても、私たちは教会を生きていることを心にとめなければなりません。

Aoyama14110902
青山のミサ後には信徒会館で茶話会。コーラスがすばらしい歌声を披露してくれました。青山教会の皆様ありがとうございました。

| |

2014年11月 3日 (月)

亀田教会訪問@新潟

Kamedavisit1401
死者の日でもあった昨日、11月2日の日曜日。新潟市内にある亀田教会の司牧訪問でした。亀田教会と言えば、多分毎回記しているのでしょうけれど、「亀田のあられ、おせんべい」で耳に残るコマーシャルソングで昔から有名な亀田製菓がある町です。

Kamedavisit1402
教会はJR亀田駅前から昔ながらの商店街を抜けたあたりの裏手、市民会館のすぐ前あたりの住宅街に隠れるように建っています。ただし、教会よりも幼稚園の方が有名だろうと想像します。

現在の主任司祭は、新潟教区司祭の山頭神父。数週間前にも登場しましたが、山頭神父は亀田と白根の主任司祭を兼任し、さらに両幼稚園の園長も兼任されています。

聖堂は2006年に改築した新しい建物で、道路から見ると珍しい形の鐘楼がすぐに目につきます。この中には本当に鐘があり、日曜のミサの開始時には電動で鐘が鳴るようになっている、はずなのですが、昨日はなぜかスイッチを押してもならない。

Kamedavisit1403
それぞれの教会には、それぞれの伝統的な「やり方」があるものですから、司教の司牧訪問の時には、司教の方から「ああしろ、こうしろ」と言うことはほとんど無く、主任司祭の言いなりになって動くようにしております。亀田教会はこの死者の日に、亡くなられた信徒の方々の写真を持ち寄り、祭壇前に飾って祈りを捧げ、さらにミサ後には、聖堂前にある納骨堂で祈りを捧げることになっているとのことで、昨日はその通りにいたしました。

祭壇前に、多くの私たちの信仰の先達の写真が飾られ、教会の歴史と共同体の基礎の強さを感じながら、永遠の安息を祈りました。同時に、新潟教区のすべての死者の永遠の安息もお祈りいたしました。

死者の日に亡くなられた信仰の先達のために祈ることは、悲しみの側面であるよりも、その方々は消えてしまったわけではなく、今や永遠の生命に与っているのだという私たちの信仰における確信を新たにする日でもあります。ですからこの日は、悲しい日というよりも、永遠の生命への希望を新たにする「希望に満ちあふれた日」でもあります。

教皇フランシスコは、教会は神の愛といつくしみから人を排除するようなことをしてはならないと戒められます。私たちは、信仰における喜びと希望、特に、私たちを徹底的に愛し、自らの死と復活をもって来るべき永遠の生命を示して下さった主イエスにおける希望に満ちた信仰の喜びを、教会共同体の有様を持って世に示して行かなくてはなりません。それが証しによる福音宣教です。私たちひとりひとりの、永遠の生命に対する希望を、この死者の月に、信仰の先達を思い起こしながら新たにしていきたいと思います。

Kamedavisit1405
ところで亀田教会の長年のもう一つの伝統は、皆で集まって行われる鍋パーティー。土曜日の夜には、私の56回目の誕生日祝いもかねて集まって下さった亀田の信徒の方々と、鍋パーティーでありました。亀田教会の皆さん、ありがとうございました。

| |

2014年1月19日 (日)

新潟市内の一致祈祷週間祈祷会@花園教会

Icchi1402b
時たま雪がぱらつく寒い日曜日となりましたが、本日午後2時から、新潟市内の諸教会で行っているキリスト教一致祈祷週間の中心集会が、カトリック花園教会を会場に行われました。花園教会の聖堂は、カトリックの信徒を中心に、日本キリスト教団の各教会などから牧師先生や信徒の方もおいでくださり、一杯となりました。(写真は新潟教会野村さん撮影)

祈祷会の司式はカトリック花園教会の主任である高橋学神父。日本キリスト教協議会とカトリック中央協議会で用意された、一致祈祷週間の冊子に記された式次第に基づいて進められました。説教で高橋神父は、これまでの歴史にも触れられましたが、そこで述べられたように、第二バチカン公会議の「エキュメニズムに関する教令」が1964年の11月に発布され、その後公会議に参加していた当時の新潟教区司教である伊藤庄治郎司教が、1965年に日本の司教団のエキュメニズム委員長に任命されたことから、新潟市内では盛んに一致のための祈祷会が行われるようになったとのことです。

もちろんそれに先だって1957年頃から超教派の朝祷会が行われていたとのことですが、カトリックから参加したのは1968年の朝祷会全国大会からであると、今日頂いたパンフレットに記されていました。ちなみにこの朝祷会の第53回全国大会は、今年5月30日から6月1日に、新発田市の敬和大学と敬和高校を会場に開催されるとのことです。

祈祷会の終わりには、集会室で茶話会が催され、高橋神父の司会で、参加した各教会の紹介が行われ交流を深めました。

土曜日の一致祈祷週間の終わりまで、前記事で触れたように、あと3回の祈祷会が行われます。残念ながら私は海外へ出張のため参加できませんが、どれも午前10時半からですので、時間の許す方は是非一度足を運ばれますように。

今回のテーマでもあるように、「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」というパウロの言葉は、私たち現代社会に生きるキリスト者にもある種の決断を迫るように響いてきます。とりわけ日本を含め福音が十分に宣言されていない国において、キリスト者が一致の内に、それぞれの方法で同じ福音を告げないのなら、キリスト者である意味がないではありませんか。

今年が50周年である公会議のエキュメニズムに関する教令は、次のように指摘しています。

「あたかもキリスト自身が分裂しているかのようである。このような分裂は真に明らかにキリストの意志に反し、また世にとってはつまずきであり、すべての造られたものに福音をのべ伝えるというもっとも聖なる大義にとっては妨げとなっている(1)。」

またエキュメニズムの意味について教令は次のように解説しています。

「第一は、分かれた兄弟の状態に公正と真理に基づいて対応していないために、彼らとの相互関係をより困難にしていることば、判断、行動を根絶するためのあらゆる努力である。次に、異なる諸教会や諸共同体に属するキリスト者が宗教的意図のもとに企画した会合において、適切に教化された有識経験者の間で行われる『対話』である(4)。」

つまりただ単に一緒になればよいものでもなく、同じ祈りを一緒にすれば済むものでもない。それよりも「公正と真理に基づいて」互いのことをよく知り合い理解を深め、適切な対話を行って一致して福音を証ししていくことができる道を探っていく努力が求められているのです。またそれは、私たちが自分自身の信仰を真摯にふり返って、私はどのように福音に生きているのかをあらためて見直すことをも求めるものです。単に、さあ一緒になって何かしようよという活動における一致の呼びかけなのではなく、自らの信仰をふり返って、それを現代社会の中で真摯に生きるためには互いにどうするべきなのかを模索する道だと思います。

| |

2014年1月 6日 (月)

カトリック長岡教会の出発

Nagaoka1401
新潟県の長岡市には、上越新幹線と信越線のJR長岡駅をはさんで東側と西側に二つのカトリック教会がありました。東側が福住教会で、1929年の献堂。神言会による小教区として始まりました。西側は表町教会で1963年の献堂。戦後に長岡地区の宣教がフランシスコ会に委託された後、修道院として建設され、その後小教区として独立しました。

長岡における福音宣教自体は、2014年をもって百周年を迎える歴史があります。今年の9月15日には、長岡宣教100周年の記念行事が予定されています。

この二つの教会、福住教会と表町教会は、距離にして1キロ強。この一月一日をもって一つの小教区として合併することになり、聖堂は西側の表町教会として、昨日1月5日に、合併の感謝のミサを執り行いました。

私が教区司教になる前にも、合併の話があったようですが、そのときは諸般の事情で取りやめとなったようです。今回の合併に関しては、数年前に司牧を担当するフランシスコ会から、会員の高齢化と減少を主な理由に、長岡の二教会からの撤退のお話があった時に始まりました。

そう言われても教区司祭にも余裕はなく、非常に困惑しましたが、とりあえず当時の両教会の役員の方々に集まってもらい、ほぼ半世紀に亘って司牧にあたってきたフランシスコ会員がいなくなったあとの教会のあり方や建物の維持管理について、検討をお願いいたしました。

この検討は幾たびにも及び、二年程度の時間をかけたのではないかと記憶しています。その後、実際にフランシスコ会員が転任となった段階で、両小教区の信徒総会での話し合いを度々お願いしました。提案は二つの小教区を合併し、表町に集約すること。長年の歴史を持った両小教区を一つにするのですから、簡単に合意をいただける事柄ではありません。複数回の話し合いをお願いいたしました。両小教区の信徒役員の方々のご尽力に、心から感謝申し上げます。

Nagaoka1403
最終的に、提案通り合併し、聖堂は表町の聖堂とすることが両信徒総会でも承認され、この1月1日の合併となりました。その間、神言修道会のご配慮をいただき、現在の主任である上村(かみむら)神父を派遣していただきました。上村神父は長年、名古屋教区で働かれてすでに70を越えておられますが、生まれて初めての新潟での宣教司牧への任命に、勇気を持って応えてくださりました。(上の写真は、挨拶する上村神父)

Nagaoka1402
昨日、主の公現の主日に、これまでの表町と福住の多くの信徒の方が一緒に集まり、聖堂は一杯でした。共に聖体祭儀に与り、これからの新しい『長岡教会』の前途に、神様からの護りと祝福を祈りました。(写真はミサ後の祝賀会で)

これからは一つになった共同体をどう育てていくのかが課題ですし、同時に、古くなっておりまた中越の二度の地震で傷ついた建物を、今後どのような形で維持管理していくのかも、共同体にとっては大きな課題です。

今回の大きな犠牲を伴う決断を受け入れてくださった皆様に、心から感謝いたします。神様の豊かな祝福を受けて、長岡教会がこれから大きく育って行かれますようにお祈りいたします。

なお新しい長岡教会のミサの時間は、一番上の写真にありますように、日曜日は午前9時半と午後6時となっております。(なお下の地図の"A"が長岡教会となった旧表町教会。"B"が旧福住教会です。ご参考までに)


大きな地図で見る

| |