あれから20年です
今から10年前、新潟の司教だった頃の2014年5月3日に書いた「司教の日記」(リンクはこちら)から引用です。
「2004年5月3日。折から来日中の神言会副総会長ケラー師(当時)を隣に乗せて、私は名古屋から岐阜県の多治見に向かっておりました。多治見修道院の敷地内に新しく完成した建物の竣工式を執り行うためです。そのとき私は、神言会の日本管区長でありました。
連休中ですから道路は大混雑。それを避けようと、瀬戸市方面を経由して裏から多治見へ行こうと考えましたが、それでも瀬戸市内で渋滞に遭遇。
と、その瞬間を見計らったかのように私の携帯が鳴りました。ちょうど渋滞で動く気配もなかったので、即座に応答。すると、相手は英語でしゃべっているではありませんか。しかもなにやらやたらと親しげに。こんな時に誰だろうと思いつつ『どこの誰』と尋ねると、なんと電話は教皇庁大使館からでした。新潟司教への任命のお知らせでありました。
渋滞中とはいえ車は動き出すやも知れない。隣には副総会長が乗っている。しかも英会話。しどろもどろになりながら、『あとでかけ直して良いですか』と尋ねるものの、『今すぐ回答を』と迫ってくる。それでもやっとの思いで、連休明けに電話するから待ってくれと頼むことに成功。あれから10年も経ちました。その年の5月14日に、溝部司教の高松転任と一緒に発表されました。司教叙階式に届いた教皇ヨハネパウロ二世からの任命書の日付は、なんと4月29日でした」
というわけで、この司教の日記からさらに10年。司教の任命を当時の教皇大使から告知されて、2024年5月3日で20年がたちました。司教叙階式はその後、2004年9月20日に新潟で行われました。
この20年間、司教としての務めをなんとか果たすことができたのは、多くのみなさまのお祈りとご支援のおかげです。助けてくださったみなさまに心から感謝申しあげます。新潟、そして東京と、教区の司教としての務めを果たすには、教区の司祭団、修道者、信徒の方々の力が必要です。みなさまの助けと協力がなければ、この務めは果たすことが全くできませんでした。
特に、司牧の協力者である司祭団には、感謝申し上げます。教区は一人司教のものでもなく、司祭のものでもありません。その地にあってともに共同体を作り上げている皆のものです。教会は時の流れの中を旅する神の民です。私たちは、すべからく、その神の民の一員です。
どうかこれからも、司祭、修道者そして信徒の皆様の力を貸していただき、ともに教会共同体を神が望まれる方向で強めていきたいと思います。
20年前に司教に任命されたとき、モットーを選ばなくてはなりませんでした。わたしは「多様性における一致」を選択しました。
今でこそ「多様性」は、いろいろな社会的な意味合いを帯びていますが、このことばは、もちろん聖書のローマ書12章にあるとおり、「わたしたちのひとつのからだは多くの部分から成り立っていても」からとられていますが、実際には第二バチカン公会議の教会憲章からの引用です。信徒の召命を語っている32項あたりで「多様性」ということばが度々もちいられ、その項目の終わりのあたりに、「こうして、多様性の中にあって、すべての人がキリストの体における優れた一致についてあかしをたてる」と記されています。
わたしの司教モットーのラテン語は「Varietate Unitas」で、「多様性」のラテン語は教会憲章で用いられている「varietas」です。これは、最初に日本語のモットーができて、それをラテン語訳するときに相談したラテン語の先生の示唆で、英語の「diversity」からすぐに頭に浮かぶ「Diversitas」ではなくて、教会憲章で用いられている「Varietas」のほうに倣うことを採用したためです。上述の教会憲章の32項のラテン語版は、教皇庁のホームページで読むことができますのです、興味のある方はご覧ください。
いま教会はシノドスの道を歩んでいますが、まさしく今ほどVarietate Unitasが重要なときはありません。聖霊の導きに耳を塞いだままでいるのか、聖霊の導きに身を任せようとするのか、それぞれの決断が求められていると感じています。
20年がたちました。健康が許すのであれば、75歳の定年まではあと10年あります。どうかこれからも、皆様のお祈りと、ご支援、そしてご協力を、心からお願いし、また信じて、ともに歩んで参りたいと思います。感謝のうちに。
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