カテゴリー「説教原稿」の27件の記事

2023年9月16日 (土)

秋田の聖母の日@聖体奉仕会

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久しぶりに、秋田の聖体奉仕会修道院を会場に、秋田の聖母の日が行われ、東京から出発した17名ほどの巡礼団とともに、参加してきました。今回は、地元の成井司教様を始め、大阪の酒井司教様とわたしの三名の司教と、秋田地区などで働く司祭6名が参加して、一般の参加者も150名を超えていました。久しぶりに集まって祈りを捧げることができて、感謝です。

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この秋田の聖母の日が始まったきっかけは、2013年10月に、ローマ教区が主催して世界各地の聖母巡礼所を中継で結んだロザリオの祈りに参加したことでした。当時のことはこちらに記してありますし、当時のビデオもまだ見られますので、ご覧ください。リンク先の当時の司教の日記の一番下にビデオが貼り付けてあります。(ビデオ内で秋田が登場するのは、1時間55分あたりです)10月12日の夜に始まり、時差の関係で徹夜で祈りをささげ、翌日のミサで締めくくった集まりには、海外も含め各地から多くの方が参加されました。当時の日記には、事前申し込みは800人ほどでしたが、当日はそれ以上に人が聖体奉仕会に集まったと記されています。

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この行事に触発されて、翌年2014年から、9月14日の十字架称賛と15日の悲しみの聖母の両日、聖体奉仕会で「秋田の聖母の日」と名付けた祈りの集いを開催してきました。それ以来、毎年、国内外から、多くの方が参加してくださっています。また秋田地区の神言会司祭団も、協力してくださっています。わたしは17年に新潟教区から東京教区に移っても、毎年この行事には参加しておりましたし、それに併せて巡礼も行ってきました。

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残念ながら感染症の状況のため、2019年の集まりを最後に、オンラインでの開催が続いてきましたが、今年は久しぶりに集まることができました。十字架の道行きは個別に行われ、東京発の巡礼団も午前中にゆっくりと庭での十字架の道行きをすることができました。そして皆で集まってのロザリオの祈りでは、酒井司教様が講話をしてくださり、聖体礼拝では成井司教様の講話、そして悲しみの聖母の祝日ミサはわたしが司式させていただきました。

15日の夜は、羽田空港で雷雨があったようで、秋田便が欠航となり、東京から出発した巡礼団は慌てましたが、企画した信徒の旅行社パラダイスの豊富な危機経験と聖体奉仕会の助力のおかげで、秋田市内に宿を確保でき、巡礼団も無事に翌朝東京へ向かいました。

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みなさんご苦労様でした。企画運営してくださったみなさん、ありがとう。参加してくださったみなさん、感謝します。

以下、ミサでのわたしの説教の原稿です。なお前日、十字架賞賛の祝日のミサでの説教は、原稿はありません。

秋田の聖母の日
2023年9月15日
聖体奉仕会聖堂

3年以上に及ぶ感染症による混乱の中、目に見えないウィルスと対峙してきたわたしたちは、これから先に一体どんな未来が待ち受けているのかという、これまでであれば抱くことのなかったような先行きの見通せない不安の闇に引きずり込まれ、まるでその暗闇の中を手探りで歩いているような状況が続きました。具体的に目に見える危険が迫っているのであれば、様々に対処する方法も考えられて心の安心を得ることもできるのでしょうが、目に見えない存在がどのような影響を具体的に及ぼすかが良くわからないという状況は、わたしたちを疑心暗鬼の闇に引きずり込みました。 この秋田での、恒例となっていた秋田の聖母の日の巡礼も、そのような状況の中で集まることができず、開催することが難しい状態が続いていました。今年、こうやってみなさんと一緒にこの聖堂に再び集まり、聖母マリアの生きる姿勢に倣い、その霊性に学び、聖母の取り次ぎを求めてともに祈ることができるようになったことは、大変喜ばしいことだと思います。

みなさん、聖母とともに、ともに祈りを捧げるために、この秋田の地まで、良くおいでくださいました。

今年はさらに、夏の大雨もあり、秋田市内では聖霊高校なども洪水の被害に遭い、聖体奉仕会の近くでは土砂崩れも起こりました。大きな災害に見舞われ、まだまだ普段の生活を取り戻すには時間がかかる状況の中、今年の秋田の聖母の日を、予定通りに開催するために奔走してくださった聖体奉仕会のみなさんと協力者のみなさんに、心から感謝申し上げます。

先の見通せない不安の暗闇ということを考えるとき、聖母マリアご自身が、まさしくそういった不安に囲まれて人生を歩まれたことを思い起こさざるを得ません。

ルカ福音には、シメオンがマリアに語った言葉が記されていました。シメオンはその中で、幼子イエスについて、「わたしはこの目であなたの救いを見た」と宣言します。天使のお告げを受け、救い主の母となることを知らされ、その驚きの告知を謙遜の心で、「お言葉通り、この身になりますように」と受け入れたマリアは、あらためてシメオンの口を通じて、まさしくその幼子こそが神の救いそのものであることを告知されます。この知らせに対するマリアとヨセフの素直な驚きを、「幼子について言われたことに驚いていた」と福音は記しています。

そしてマリアに対してシメオンは、その驚きにさらに追い打ちをかけるように、イエスの将来について「反対を受けるしるしと定められています」と驚きの事実を告げ、加えて「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と、マリア自身も苦しみの道を歩むことになる事実が告げられます。

この驚くべき告知の連続は、それこそマリアにとって、先行きの見えない大きな不安の闇となって襲いかかったことでしょう。しかしそれに立ち向かわれたマリアは聖母となりました。

聖母マリアの人生は、主イエスとともに歩む人生です。主イエスと苦しみをともにする人生です。神の救いが実現するために、救い主とともに歩む人生です。奇跡を行い困難を乗り越えるようにとイエスを促す、取り次ぎの人生です。十字架の苦しみの時、主イエス御自身から託された、教会の母として歩む人生です。弟子たちの共同体が教会共同体としての歩みを始めた聖霊降臨の日に、ともに聖霊を受け、ともに福音を告げた、教会の福音宣教の母としての人生です。

その人生は、不確実な要素で満ちあふれていました。天使のお告げを受けたときから、一体この先に何が起こるのか、確実なことはわかりません。わかっているのは、確実に苦しみの道を歩むことになるということだけであり、聖母マリアはそれを、神のみ旨の実現のためにと受け入れ、神に身を委ねて人生を歩み続けました。

そこには、先行きが見えない不安による疑心暗鬼の闇に引きずり込まれる誘惑もあったことでしょう。イエスの弟子たちがそうであったように、苦しみの道を否定しようとする誘惑もあったことでしょう。そのようなことはあり得ませんと、反論したくなる誘惑もあったことでしょう。

それらはまさしく、イエスご自身がペトロを叱責された、「サタン引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をするもの。神のことを思わず、人間のことを思っている」という言葉に明らかなように、神の計画を無にしようとする悪の誘惑です。

聖母マリアは、しかしその誘惑と不安に立ち向かわれました。神への信頼のうちに、神の計画を受け入れ、身を委ねました。その力の源は、ともに歩まれる方々との連帯の絆です。ともに歩む人たちのその先頭には、主イエス御自身がおられました。

今日の福音は、聖母がその苦しみの道を一人孤独に歩んでいたのではないことを明確にします。そこにはシメオンのように、神の計画を知り、その神の計画に身を委ねるようにと励ます具体的な存在がありました。そしてもちろん天使のお告げの言葉、すなわち「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」、そして「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」というお告げの言葉における約束は、聖母にとって、救い主ご自身が常に道をともに歩んでくださるという確信を与えました。神のみ旨を識別しながら、ともに歩む信仰の道。まさしくいま教会が歩んでいるシノドスの道を最初に歩まれたのは、聖母マリアであります。

わたしたちが、感染症などの困難に直面し、怖じ気づき、疑心暗鬼の心が自己保身に走らせ、利己的な心は他者の必要に目をつぶらせ、心を安定させるために異質な存在を排除しようとするとき、聖母の生きる姿を思い起こさないわけにはいきません。わたしたちの信仰は、神の計画に信頼し、互いに助け合い、ともに歩んでくださる主に信頼しながら謙遜に身を委ねる信仰です。

教皇フランシスコは、「福音の喜び」の終わりで、聖母マリアについて語っています。教皇は、「マリアは、福音を述べ伝える教会の母です」と記しています。

教皇は聖母の生きる姿勢を、「常に気をくばる友」、「あらゆる苦しみを理解される方」、「正義を生み出すまで産みの苦しみを味わうすべての民の希望のしるし」、「人に手を貸すために自分の村から急いで出かける方」などと記して、「正義と優しさの力、観想と他者に向けて歩む力、これこそがマリアを、福音宣教する教会の模範とするのです」と述べておられます。

この混乱の時代、聖母の生きる姿勢に倣い、さまざまに飛び交う言葉に踊らされることなく、神が望まれる世界の実現の道を見極めるために、祈りと黙想のうちに賢明な識別をすることができるように、聖霊の導きを祈り、またその導きに従う勇気を祈り願いたいと思います。

この先行きの読めない不安な時代に、そして連帯と助け合いが必要なこの時代に、あたかもそれに逆らうかのように、尊い賜物であるいのちをないがしろにするように、例えばウクライナでは戦争が続いています。世界各地で、いのちを危機に直面させるような状況が続いています。

神の母である聖母マリアは、信仰に生きるわたしたちすべての母でもあります。聖母は、いのちをないがしろにすることやいのちに対する攻撃をすることではなく、その尊厳を守り、育み、始まりから終わりまで徹底的にいのちを守り、神のみ旨に生き続けることの重要さをその姿で示しています。この困難な時代に生きているからこそ、聖母の生きる姿勢に倣い、神の計画に身を委ね、ともに歩んでくださる主に信頼し、神のみ旨の実現のために尽くして参りましょう。

 

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2023年9月12日 (火)

セバスチャン西川哲彌師葬儀ミサ@東京カテドラル

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東京教区司祭セバスチャン西川哲彌神父様は、9月8日、聖マリアの誕生の祝日の早朝に帰天され、本日9月12日午後1時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、葬儀ミサを執り行いました。西川神父様の永遠の安息のために、お祈りくださったみなさん、ありがとうございます。

西川神父様は、ご存じの方は多いと思いますが、なかなかユニークな方で、面倒見が良く優しい反面、時には厳しく叱りつけることもありました。その評価は、それぞれの体験によって様々に分かれるところですが、以下の説教でも触れたように、病人訪問に足繁く通うなど、困難と孤独のうちにある人に徹底的に寄り添う方でもありました。

わたし自身はカリタスジャパンの委員会を通じて、司祭時代に知り合いましたが、その後、新潟の司教になってからは、西川神父様がしばしば秋田の聖体奉仕会を訪れマリア様に祈って行かれたことを存じ上げていました。祈るだけでなく、得意の大工仕事を披露されたり、様々なものを寄付して行かれました。

さらに東京の大司教になってからは、しばらく関口で一緒に生活をしていましたが、わたしが関口教会でミサをしたときには、必ず説教を褒めてくださる。褒めて育ててくださる方でありました。

1年半ほど前、司祭館で階段からの転落事故で一命を取り留めたものの意識が回復せず、1年半にわたる闘病生活の後に、帰天されました。

以下、葬儀ミサの説教原稿です。

セバスチャン西川哲彌師葬儀ミサ
2023年9月12日
東京カテドラル聖マリア大聖堂

西川神父様、人生の最後の最後に、苦しみのうちにじっと耐え忍び、よく頑張りました。御父の元で、すべての苦しみから解き放たれて、愛といつくしみの光に包まれて、休まれますように。

2022年2月26日の早朝、清瀬教会の朝ミサに出てこられないことから、司祭館を訪ねた信徒の方によって、倒れているのを発見されました。朝、新聞を取りに行った帰りに、階段で転落したものとみられます。即座に病院に運ばれ、手術を受け一命は取り留めたものの、意識は戻りませんでした。その後、ベトレヘムの園病院に転院され、シスター方を始め医療スタッフの手厚い看護の中、一時は意識が戻るのではないかという期待もありましたが、それもかなわず、9月8日、聖マリアの誕生の祝日の早朝、80歳の人生を終えられました。

感染症の状況の中、病院では面会もままならず、わたしも7月11日に、許可をいただき、15分だけ面会し、病者の塗油を授けることができました。手を握ると、確かに目が動いて、誰かが来ているとわかっているのではないかと感じました。しかし残念ながら最後の日まで意識は回復することなく、1年半に及ぶ闘病の末、御父の元へ旅立って行かれました。西川神父様。本当によく頑張りました。

司祭は叙階式の時に、司教からいくつかの質問を受けます。「福音をのべ伝え、カトリックの信仰を表すことによって、神のことばに奉仕する務めを誠実に果たしますか」と問われて、「はい、果たします」と力強く応えます。また、「教会共同体の助けのもとに、貧しい人、苦しむ人、助けを必要とするすべての人に、主の名において、神のいつくしみを示しますか」と問われて、「はい、示します」と約束いたします。

1976年11月3日に、このカテドラルで司祭叙階を受けた西川哲彌神父様も、その日同じように力強く約束されたことだと思います。そしてそれから50年近くにわたる西川神父様の司祭人生は、まさしくその約束を具体的に生きる人生であったと思います。

今日、西川神父様とのお別れのためにお集まりの皆様は、わたし以上にたくさんの思い出をお持ちだと思います。司祭に叙階された後に、高円寺教会の助任にはじまり、清瀬教会に至るまで、10近い小教区で司牧にあたられましたので、そこで、その「とき」に出会い、時間をともにし、様々な交わりのあった方々は大勢おられることと思います。限りなく優しく、思いやりにあふれる司祭である反面、時に厳しく叱りつけることなどもありましたから、その思いではそれぞれユニークでバラエティに富んでいることと思います。

わたし自身は司教になる前、もう20数年以上前にカリタスジャパンの援助秘書をしていた時代、東京教区のカリタス担当者であった西川神父様と、会議の席で初めてお会いしました。独特の雰囲気に圧倒されましたが、その頃からよく声をかけていただくようになりました。

東京に来てからは、西川神父様は関口の主任でしたので、毎日の朝食にはじまって、生活を一緒にする機会がありました。様々な思い出がある中で、心に残っていることは、説教を必ず褒めてくださったことと、どんな遠くであっても、病人を訪問することを大切にされていたことでありました。時に、車に乗って何時間もかかる遠方まで、病人訪問に出かけておいででした。

マタイの福音にある、あの羊と山羊を分ける話の、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。・・・わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」という主の言葉にあるように、人生を終えて、主の御前に立つ西川神父様に、主御自身がその労をねぎらっておられることだと確信します。

司祭としての人生の中で、西川神父様は、困難に直面する人たち、孤独にある人たちのもとを訪ね、そこで主御自身と出会った来られてのだと思います。

わたしたちは信じています。イエスはキリストです。すべての人をその懐における安息と永遠のいのちに招かれる救い主です。わたしたちは、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉を信じています。イエスをキリストと信じるわたしたちには、すべての人がその救いに与ることができるように、神の愛といつくしみ、あわれみを、ひとりでも多くの人に伝え分け与える使命があります。そのために、わたしたち自身の言葉と行いを持って、主との出会いの機会を生み出していかなくてはなりません。

2019年11月に東京で、東北の大震災の被災者とお会いになった教皇様は、「町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」と、人と人との交わりの重要性を強調されました。

暗闇に輝く希望の光は、互いに助け合う人との出会いから生まれ、連帯を通じて強められます。しかし残念ながら、実際の世界ではその連帯は実現せず、かえって孤立と孤独が激しくすすみ、この歴史に残る困難の中で、暴力がいのちを危機にさらしています。今わたしたちの社会は、不安の暗闇の中に置き去りにされている恐怖から、他者に対する配慮をする余裕を心から奪い、不寛容な心は利己的になり、自分を守ることにばかり集中して、助けを必要として叫びを上げている人の存在を見えないものにしています。わたしたちには互いに助け合うものとして、多くの人との出会いが必要です。その出会いの中での支え合いが必要です。西川神父様は、司祭としての人生を歩みながら、その人と人との出会いの機会を生み出し続けてこられました。それを通じて、多くの人が、主イエスご自身と出会う機会を生み出してこられました。

2013年11月の教区ニュースでのインタビューに、西川神父様のこういう言葉が記されていました。
 「司祭叙階までの歩みを振り返ると、ダメな自分ばかりです。ダメな自分の根は、意固地さだったり、コンプレックスだったり、照れ隠しだったりするわけです。自分自身だけを見るとどうしようもない存在です。しかし、そんな自分がイエスを背負っている、自分の背中にイエスがいる、背中にいるイエスがダメな自分を生かしてくれるという、叙階の秘跡の持つ偉大な神秘を噛みしめました」

西川神父様は、毎日、その背中にいつくしみそのものであるイエスを背負って生き続けてこられました。いま御父の御許で、その背中におられるイエスが、西川神父様を後ろから抱きかかえ、すべての苦しみから解き放ってくださっていると、信じます。西川神父様が永遠の安息に与ることができますように。

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2023年7月23日 (日)

五井教会堅信式@2023年7月16日

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一週間遅れになってしまいましたが、先週の日曜日、7月16日午前10時から、千葉県の五井教会で、堅信式ミサを行い、18名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

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五井教会の主任司祭は、コロンバン会のティエン神父様が主任司祭で、日本人信徒のほか、フィリピンやベトナム、インドネシアなど、様々な国出身の信徒の方が大勢おられる共同体です。

余裕を持ったつもりで、朝の8時に関口を車で出発したのですが、京葉道路は事故渋滞で、途中で下道におり、ミサが始まる10時を少し過ぎての到着となってしまいました。

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以下、当日のミサの説教を録音から書き起こしたものです。

カトリック五井教会堅信式 (2023@年間第15主日)

今朝は、8時には出てきたのですけれども、京葉道路が事故渋滞をしていたので途中で降り、下道を走って2時間ちょっとかかってしまいました。遅れて申し訳ありませんでした。また、たぶん木曜日の夜、寝ている間に熱中症になったのかもしれません。昨日、一昨日と、熱が出ましたが、コロナは陰性でした。二日間休んでいたのでちょっと本調子ではないのですが、幸い喉は影響を受けておらず声が出るので、今朝は堅信式のために五井教会来ることができほっとしています。

今日、堅信を受けられる18人の方に、心からお祝いを申し上げたいと思います。
今日の第一朗読では、イザヤの預言が朗読されました。その後半に「わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」という言葉が記されています。

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ご存知のようにヨハネ福音書の冒頭には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と記されています。つまり、イエス・キリストは、神の言葉そのものであると記されています。ですから、このイザヤの預言が記している「わたしの言葉」、それはイエスご自身のことであります。「わたしの口から出る」、つまり神の言葉は人となって、わたしたちのところにやって来られた。そしてその言葉は、何も成し遂げることがなくむなしいままで、御父のもとに帰ってゆくことは絶対にあり得ない。「わたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」のだと記されているわけです。

イエス様ご自身は33歳の時に十字架にかけられて死に、復活し、御父のもとに帰ってしまわれたよね。ではそのあと、その神の言葉はどうなってしまったのでしょう。

わたしたちはイエスご自身が目に見える形でわたしたちの間に存在していなくても、わたしたちと共にいてくださるということを信じているからこそ、いまこうやって一緒に共同体として集まっているわけですよね。つまり、神の言葉は、受難と死と復活と昇天の後にいなくなってしまったのではなくて、わたしたちと共に、それからずっと一緒に存在しておられるのです。

では、いったい神はどこに、イエス様はいつもどこに、いてくださるのですか?

まず一つ思いつくのは、最後の晩餐の時に、パンと葡萄酒を取って、「わたしのからだである」、「わたしの血である」、これを飲む時、食べる時、わたしのことを忘れずに記念し続けなさいと言われたあの主の言葉通り、こうやって集まりご聖体の祭儀に与る時、そこに主ご自身はご聖体のうちにおられるということです。

そしてもう一つ、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」という主の言葉です。こうして主のみ名において共同体が集まる時、ここに、主ご自身がおられるのですよ。

そしてさらに、ミサの中では、第一朗読、第二朗読、そして福音朗読と、3回聖書が朗読されます。この聖書の朗読は、昔、書かれた本を懐かしく読んでいるのではありません。いま、朗読されるまさしくこの時に、その神の言葉は、わたしたちのうちに現存するのです。神の言葉が声に出される時、ここに神が現存される。イエスが現存される。

わたしたちは教会で、三つのイエスの現存に出会います。
一つはご聖体におけるイエスの現存。そして、二人三人がイエスの名のもとに集まっているという時におられるイエスの現存。そして聖書の言葉が朗読される時に、その言葉のうちにおられる主の現存。イエスは、三つの現存を通して、わたしたちと共におられるのです。

ですから、神の言葉は、神の口から出て、人となってわたしたちのところにお住まいになり、いまに至るまで、わたしたちと共にいて、その使命を成し遂げようとしておられます。その使命を、どうしたら成し遂げるようにすることができるのか。神様に任せてしまえば良いわけではありません。

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福音書は、種蒔きの話を記していました。

種を蒔く。種は神の御言葉ですよね。神の御言葉である種を蒔くけれども、その蒔かれていく土壌によって、育ち方が違っていくのだと。
道端に落ちてしまうと、鳥が来て食べてしまう。石だらけの土の少ない所では、あっという間に枯れてしまう。茨の間に落ちると、茨に塞がれてしまって育つことができない。

「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」と記されています。

ここでは種を蒔くのは神様ですから、わたしたちにできることは何なのかと考えてみると、それは、種が蒔かれるための土壌を、土を、良い土を、用意することです。

神様はイエスをこの世に人として遣わし、神の言葉をここに残し、そして、毎週、毎週、ミサの中で聖書が朗読されるたびに、この神のみことばのうちに現存し、わたしたちと共にいてくださる。

その神のことばが使命を成し遂げるためには、その種が蒔かれて育つ土、土を用意しなければならないのです。わたしたちの使命は、土を、良い土を準備することです。神様が蒔かれた種が育つことができるような、良い土を用意していくこと。それがわたしたち一人ひとりに与えられている使命のひとつであると思います。

では、どうやってその良い土を用意するんだろうか。

本当の農業であれば、必要な材料を買ってきて土壌改良するでしょうけれども、相手は人間の心なのですよ。この人の心をどうやって良いものにしていくのか。

それは他の人の良い模範、他の人の良い心に触れること、でしかあり得ないんですよ。わたしたちにとって大切なのは、自分自身の良い心、良い思い、それをわたしたちの言葉と行いを通して、他の人たちの間で証ししていくことなのです。

決して、人前に立って、あなた方みな回心しなさい、そうしなければ地獄に落ちるぞというのが、わたしたちにとって土を改良していくわざではないのです。

わたしたちは日々の生活の中で、いろんな人たちと出会っていきますよね。この日本において多くの人は、キリストを知らないか、または誤った解釈をしているか、もしくは変な宗教の一つだと思っているか、ではないでしょうか。キリスト教徒がものすごく少ないこの国の中で、わたしたちはそのような人と毎日出会い、一緒に生活をしているわけですね。

その中で、わたしの語る言葉、わたしの行い、それを通じて、神様の愛を、神様のいつくしみを、あわれみを証ししていきたいんですよ。その証しをすることこそが、福音を伝えることであり、神のみことばの種が蒔かれるための、良い土を作る働きなのだと思います。

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堅信を受けられる方々にあっては、水による洗礼を受け、ご聖体を受け、そしてこの堅信で聖霊の恵みを受けることによって、キリスト教徒になっていくプロセスが完成します。ですから、この堅信の秘跡を受けることによって、完成したカトリックの信者、キリストの弟子になるのです。そして完成しているということは、お恵みもいただきますけれども、同時に、求められていること、務め、責任がそこには必ず発生をするわけです。

その責任の最たるものは、この言葉と行いを通して、神の愛といつくしみとあわれみを証しをしていくこと、福音を告げ知らせていくことが、わたしたち一人ひとりに課せられている務めであります。

それを心に刻んでいただきたい。ですが、容易にできることではないので、だからこそ聖霊を、この堅信の秘跡の中でいただくのです。聖霊は、わたしたちの福音を証しするぞという決意を、後ろから後押ししてくれる神の息吹、神の力です。わたしが、何とかしてこの社会の中で良い土を用意するために、言葉と行いで証ししていくぞという、この決意を、後ろから支え押してくれる、後押ししてくれるのが、聖霊の働きだと思います。その聖霊の働きに信頼し、これからも福音を述べ伝えることができるように、努力をしていただければと思います。

そして、ここに集まっている多くの人たちは、この18人以外には関係ないと思っているかもしれないですが、今日、堅信式の時に、集まっているみなさんにも質問するんです。ご存じですか?

堅信式の中で、堅信を受ける人たちに質問するんですよ。

最初、「あなたは悪霊を捨てますか?」とか、「神を信じますか?」って、質問します。みんなハイって答えると思います。そしたらその後に、実はですね、「ではここにお集まりのみなさんにも、一つ質問があります」とわたしは尋ねます。だいたいみんな気が付かずに、すーっと通り過ぎていってしまうんですけれども、本当はみなさん、すごいことを約束するんですよ。

今日、気をつけて聞いておいてください。みんなすごいことを約束しますから。よく耳を傾けて、一体自分は何を約束するのだろうかと、気をつけておいていただければと思います。

 

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2023年7月 7日 (金)

幼きイエス会来日150周年感謝ミサ

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ニコラバレで知られる幼きイエス会。東京の四谷にある雙葉学園を始め、各地で学校教育にも取り組んでこられました。日本に宣教のために最初のシスターが来日して、すでに151年です。

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日本に最初にやってきた宣教師はフランシスコ・ザビエルで、よく知られていますが、最初に日本にやってきたシスターは幼きイエス会のメール・マチルドと4名の会員です。その意味で、幼きイエス会のシスター方は、日本の福音宣教のパイオニアです。

来日150年を記念する行事が関係する各所で一年間行われ、その締めくくりの感謝ミサが、総長様(上の写真)も迎えて、6月24日午後、麹町聖イグナチオ教会で捧げられました。教皇大使とともに司式させていただきましたが、以下、当日の説教の原稿です。日本語の後に、サマリーが英語でついています。

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幼きイエス会のみなさん、おめでとうございます。

幼きイエス会来日150周年感謝ミサ
麹町教会
2023年6月24日

幼きイエス会のシスター方が、再宣教がはじまったばかりの日本で、福音をあかしする活動を始められて、すでに150年以上が経過しました。長い迫害の時代を経て、大浦天主堂において聖母の導きのもと、信徒が再発見されたのが1865年。いまから158年も前のことであって、そのときはまだ明治にもなっていません。その後、あらためて起こった厳しい迫害の出来事を経て、キリシタン禁制の高札が撤去されたのが1873年。ちょうど150年前の出来事です。

150年がたったいま、現代社会の視点からその当時の状況を推し量ることは簡単ではありません。わたしたちからは考えられないような困難に直面されたことでしょう。とりわけ、外国からやってきた宣教師として、ただ単純に日本で生きるのではなくて、福音を具体的に伝えあかしする業に取り組むことには、いまからは考えられない困難があったことだと思います。

その困難な状況の中にあっても、シスター方には、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」にこそ御一人子が受肉されたこと、そしてそれは、「世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため」であったことを心に刻み、人生を賭けて、天の御父の御心をあかしされて行かれました。志を同じくする仲間達は、修道会のカリスマを具体的に生きながら、キリストの一つの体のそれぞれの部分として、社会において言葉と行いを通じて希望の光を証しすることに真摯に取り組み、いま150年という時を刻みました。これまでの歴史を刻んできた修道会の先達の奉献の志しとその働きに心から感謝いたしましょう。またその宣教活動の始まりからいまに至るまで、幼きイエス会のみなさんを導いてくださる主のはからいを心にとめ、その招きにこれからも信頼のうちに応え続ける決意を新たにしたいと思います

幼きイエス会のホームページの冒頭に、ニコラ・バレ神父様のことが記されていました。

17世紀、貧富の差の激しかった当時のフランスで、貧しい家庭の子どもたちの教育が顧みられていない現実のなかで、彼らが神の子の尊厳にふさわしく育つのを助けるため、無料の小さな学校を始め、その学校の女教師たちのグループが、幼きイエス会の起源だと記されていました。

また、「貧しく、うち捨てられた子どもを受ける者は、まさに、イエス・キリストご自身を受けることになる。これこそ、本会の第一の、そして主要な目的である」という言葉も記されていました。その思いを具体的に生きるために、女子の教育や孤児の世話など、社会に大きく貢献される事業を日本においても続けてこられたのは、まさしく福音を目に見える形で生き、あかしする福音宣教の業であったと思います。

それから150年という年月を経て、いま問われているのは、大きく変革した社会の状況の中で、いま、その同じ思いを生きるとは具体的にどういうことなのか、改めて問いかけることであり、それこそは日本の再宣教におけるパイオニアである幼きイエス会の重要な務めであるとも思います。

わたしたちはこの3年間、歴史に残る困難に直面してきました。

新型コロナ感染症の蔓延は、未知の感染症であるが故に、わたしたちを不安の暗闇の中へと引きずり込みました。なかなか出口が見えない中を、わたしたちはまるで闇の中を光を求めて彷徨い続けるような体験をいたしました。いのちが危機に直面するというような体験は、なかなかあるものではありません。その意味で、先行きの見えない不安がいかに人を疑心暗鬼の闇に引きずり込み、それが社会全体においていかに自己保身と利己主義を強め、排他的にしてしまうのかを、目の当たりにしたことは、貴重な体験であったと思います。いま世界はまるで暴力に支配されているかのようです。ウクライナで続く戦争は言うに及ばず、神から与えられた尊い賜物であるいのちを危機に直面させるような状況は、偶然の産物ではなく、社会全体が排他的になり暴力的になった結果であり、わたしたちが生み出したものです。

この現実の中にあるからこそ、わたしたちは、教会が存在する理由を改めて見直し、それに忠実に生きていきたいと思います。第二バチカン公会議の教会憲章は、教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」(教会憲章一)であると記します。

いまわたしたちはこの日本の地において、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしと道具」になっているでしょうか。

教皇フランシスコは、コロナ禍のはじめ頃から、ポストコロナを見据えて、全世界的な連帯の重要性を説き続けてきました。教会こそは、その連帯を具体的に生きることで、「神との親密な交わりと一致」をあかしする存在となることができます。

今の世界を支配する疑心暗鬼の暗闇の中で、対立と分断、差別と排除、孤立と孤独が深まるなかにあって、教皇様は、神のいつくしみを優先させ、差別と排除に対して明確に対峙する神の民であるようにと呼びかけておられます。とりわけ教会が、神のいつくしみを具体的に示す場となるようにと呼びかけ、東京ドームのミサでも、「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです」と力強く呼びかけられました。

疑心暗鬼の暗闇の中で不安に苛まれる心は、寛容さを失っています。助けを必要としているいのちを、特に法的に弱い立場にある人たちを、いのちの危機に追い込むほどの負の力を発揮しています。異質な存在を排除する力が強まっています。この現実の中で、わたしたちは神からの賜物であるいのちを守る、野戦病院でありつづけたいと思います。

来日150年を記念され、新たな次の一歩を模索される中で、みなさんが「神との親密な交わりと全人類一致のしるしと道具」であり続け、野戦病院であり続けることができますように、聖霊の導きを祈りましょう。

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More than 150 years have passed since the Sisters of Infant Jesus began their missionary activities in Japan together with MEP missionaries.

The long-standing declaration of prohibition of Christianity was officially lifted only in 1873 and that was the social background of the time when pioneer missionaries started their work of evangelisation in Japan. There must be unimaginable difficulties existing in the society against activities of expatriate in Japan at that time. So we admire their courage to proclaim the Good News of Jesus Christ in Japan and we are sincerely grateful to their missionary zeal.

In these difficult and challenging situation at that time, the pioneer Sisters always kept in their hearts that Heavenly Father gave his Son so that "whoever believes in him should not perish but have eternal life" and Jesus came among us not to "condemn the world, but in order that the world might be saved through him". The Sisters made serious efforts to be witnesses of love and mercy of God the Father.

According to the Web-page of the Sisters of Infant Jesus in Japan, the foundation of the congregation was laid in France in 17th Century to help children of poor families to maintain their God given human dignity, the founder Nicolas Barre established free school for kids. In Japan, too, from the beginning the Sisters continued the work inspired by the teachings of the founder in education and social welfare. Past 150 years, Sisters of Infant Jesus continued the missionary activities especially in Education to be witnesses of love and mercy of God. For this, we are grateful.

Now you are stepping into the new page of the history after 150 years in Japan. So the question would be how to continue to be witnesses of love and mercy of God in this modern, secular and rapidly changing society.

We have been going through difficult time of the history because of COVID pandemic for past 3 years. Anxiety makes us defensive, defensiveness made us selfish, and selfishness made us exclusive, and exclusiveness made us aggressive.

That is why we should go back to our very basics of the Church. According to the Lumen Gentium, Church is "a sign and instrument both of a very closely knit union with God and of the unity of the whole human race" So we want to put this definition into practice. As Pope Francis always emphasizes, only solidarity among us makes us witnesses of unity. We want to go out, as Pope encourages us to do, to be witnesses of solidarity and mercy being field hospital of mercy and love of God.

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2023年4月30日 (日)

復活節第三主日堅信式ミサ@成城教会

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一週間経過してしまいましたが、先週、4月23日午後に、成城教会で行われた堅信式ミサの、説教の録音を起こした原稿ができましたので、掲載します。

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この日のミサでは、53名の方が堅信の秘跡を受けられました。53名は東京でも、一つの教会の堅信の数としては多い方です。堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。

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以下、説教の録音からの起こした原稿です。

カトリック成城教会堅信式@復活節第3主日
2023年4月23日

今日、堅信を受けるために準備をしてこられた方々に、こころからお慶びを申し上げます。神様がこの秘跡を通じて、皆様に聖霊をしっかりと送ってくださり、これからのキリスト者としての人生を護り導いてくださるように祈りを捧げたいと思います。

先日帰天された教皇ベネディクト16世は、教皇になられる前、ラッツィンガー枢機卿として、カトリック教会の教理省というところの長官を長年務めておられました。教理省というのは、カトリック教会の教えを司っている役所です。ラッツィンガー枢機卿が教理省の長官だった頃には、やはり彼はドイツ人ですし、教会の正しい教えを守ることに厳しい指摘をされる、とても厳しい枢機卿だと言われていました。

実際には、教皇になられてからローマで何度かお会いしましたが、とっても優しいおじいちゃんで、耳にしていた厳しい番人、教会の教えの番人というイメージはまったくありませんでした。

そのラッツィンガー枢機卿様が教皇ベネディクト16世になられたとき、最初に「デウス・カリタス・エスト」という本を書かれました。「神は愛」です。教皇になって、いったいどんな本を最初に書くのだろう、どんな教えの本を書くんだろうと、彼のことだから何か厳しい教えを書くのじゃないかと固唾をのんで見守っていましたら、最初に書いた本は、「神は愛」でありました。神の愛についての考察です。

その冒頭に、「人をキリスト者にするのは、決して、倫理的な選択や高邁な思想」ではないと書いてあります。
教皇ベネディクト16世は、人生をかけて神学を学んだ人です。第二バチカン公会議のときには、司教さんたちが集まっている中で、新進気鋭の若手の神学者として、30代半ばだったと思いますけれども、神学の顧問として呼ばれ、教会の教えというのはこうゆうことなのだと、はっきりとさせるための中心人物だったんです。しかも大学で神学を教える先生だったその人が、人をキリスト者にするのは、高邁な思想だとかの知識の積み重ねではないというんです。

では、いったい何が人をキリスト者にするのでしょう。教皇ベネディクト16世は、「それはある人との出会いだ」と。ある人との出会い、それこそが、人をキリスト者にするのだと書いています。ある人との出会いとは何のことか。それは当然、イエス・キリストとの出会いです。イエス様との出会い、その出会いこそが人をキリスト者にするのだと。

彼は決して、知識の積み重ねは必要ないと言っているのではないです。ここは非常に重要なところで、高邁な思想や知識の積み重ねは要らないと言っているのではありません。そうではなくて、その積み重ねの上で、イエスとの出会いが必要なんだということを述べておられるんです。

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先ほど朗読された、イエスの復活についての、一番美しい物語である『エマオの弟子』。イエスが殺されて、十字架につけられて殺されて、葬られて、いなくなってしまって、さあどうしようと不安に駆られている弟子たちのうちの二人が、エルサレムを離れ逃げて行ったんでしょうね、安心安全を求めて。エルサレムからエマオに向かって歩いて行った。

その間に彼らは、その二人は何をしていたか。これまで積み重ねてきた知識について語り合っているんです。聖書に書かれていることとか、学んできた様々な知識を二人で論じ合っているんですそこにイエスが現れます。そしてイエスと出会ってゆくんです。つまり、知識は彼らをキリスト者にしなかったのです。

そこでイエスが二人に、聖書に書かれているのはこうゆうことなのだと改めて教え、そしてさらに一緒に食卓に着いてパンを割く。そのとき、あっ、あの最後の晩餐の出来事と同じだと。このイエスと出会ったときに初めて二人は目が開かれて、キリスト者になったんです。本当の意味でのキリスト者に、変えられていった。知識に基づいて信仰の道に入り、イエスと直接出会って、キリスト者へと変えられていったのです。
そして二人は、「わたしたちの心は燃えていたではないか」と、言いますよね。

なぜ燃えたのか。つまり、燃料はそこにあったんです。つまり知識があったんです。様々な思想があったんです。体験があったんです。それに火を点けたのは、イエスとの出会いです。実際にイエスと出会ったことによって、積み重ねてきた燃料に火が点いたんです。だからあのとき、心は燃えていたんです。

ですから、わたしたちの信仰には二つのことが絶対に不可欠です。

一つは、知識の積み重ねです。教会の様々な教え、カテキズムですね。そうしたことをしっかり学んでいく。それは必要なのですが、でもそれに留まらないのです。それだけではわたしたちはキリスト者になりません。それに火を点けないといけない。では火は、誰が点けてくれるのか。それは、イエスとの出会いです。これが二つ目です。

では、イエスとどうやって出会うのか、どこでイエスと出会うのか。
第二バチカン公会議は、イエスはここに現存しているのだと。このミサに集まるときに、ここにおられるんだということを強調します。
二つの現存があるのです。

一つは、この朗読台から聖書が朗読される、その神のみことばの中に、主は現存される。ここで語られるのは、昔、書かれた古文書を読み上げているだけではないのです。いまここに、ことばで語られることによって、声に出して語られることによって、そこに主は現存されている、と教えています。

そしてもう一つ、ご聖体の秘跡。聖体のいけにえが捧げられているときに、そのご聖体のうちに主は必ずそこに現存される。それは主ご自身が「わたしのからだ」「わたしの血」だと約束されたからに他ありません。

この二つ現存、朗読されるみことばにおける現存と捧げられるご聖体における現存。わたしたちが聖堂に集まっているとき、主はここにおられるのです。そしてもう一つあります。

それは、主ご自身が、「二人、三人がわたしの名によって集まるところに、わたしはそこにいる」とおっしゃったことです。わたしたちがこうして一緒になって集まっているとき、そこに主ご自身がおられるんだと信じている。

ですから、教会にとって共同体はとても大切なんです。共同体として集まることは、とても大切なことなのです。信仰は、自分の部屋の中でひとりで保ってゆくことは、もしかしたらできるかもしれない。迫害の時代に、確かに人は信仰を自分ひとりで持っていました。

でもあの迫害の時代に隠れキリシタンとして、潜伏キリシタンとして信仰を守ってきた多くの人たちは、自分たちはいつかあのパパ様に出会うことができる、信仰の絆で結ばれている。その誰かに結ばれているんだという思い、自分は孤立していないという思いが、ずっと彼らを支えてきたわけです。

それは今も同じです。自分の部屋にいようが聖堂に集まろうが、どこにいようとも、わたしたちは洗礼によって一つの絆で結び合わされている。共同体は、ただ単にこの聖堂に集まってくる人たちだけではなく、すべての洗礼を受けた兄弟姉妹が、わたしたちの兄弟姉妹として共同体に繋がれている。この思いを常に抱いているということは、とても大切なことだと思います。

今日、堅信の秘跡を受けられることによって、洗礼、ご聖体、そして堅信という3つの秘跡をいただくことになります。これが、キリスト教の入信の秘跡の完成です。わたしたちがキリスト者になっていくのは、水による洗礼、ご聖体、そして聖霊による堅信、この3つが必要です。この3つがあることによってわたしたちは、完成したキリスト者になっていくのです。

今日、堅信の秘跡を受けて完成するみなさんは、成熟した大人のキリスト者としてこれから信仰を歩んでゆくわけですけれども、社会の中で大人には権利と責任があるように、教会にも権利と責任があります。

特にどんな責任がわたしにあるんだろうかということを、是非とも今日は考えて頂きたいと思います。
一つだけ責任について申し上げます。それは、主イエスご自身がご復活のあと弟子に現れて、天に上げられるときに命じられていった、「全世界に行って福音を述べ伝えなさい」です。福音を述べ伝えるという、あの福音宣教命令は、いの一番の務め、責任であります。
だからといって、道端に立って太鼓を叩いてキリストの教えを説けというのではなく、毎日の生活の中で、わたしたちの語ることば、わたしたちの行う行い、ことばと行いを通じて、イエスキリストの福音を証ししていくということです。その務めが一人ひとりに与えられているということを、どうぞ心にしっかりと刻んで頂きたいと思います。

そんなことはわたしにはできない、わたしにはそんな力はない、と思うでしょう。

誰にもそんな力はないんです。そんな力がないからこそ、堅信の秘跡を受けるんです。聖霊の助力をいただくんです。聖霊は、そうしたわたしのことばと行いを、福音を証ししたいという思いを、後ろから後押ししてくれます。それが、聖霊の力です。

聖霊は皆さんを一生懸命これから助けてゆこうとしています。後ろから前に向かって吹いて支えてくださいます。それを信頼し、日々の生活の中でイエスキリストの福音を証しする務めを果たしていくと、今日、心に決めていただきたいと思います。

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2023年2月21日 (火)

2023年堅信式ミサ@清瀬教会

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2月19日の日曜日、清瀬教会で、9名の方の堅信式ミサを行いました。堅信を受けられたみなさん、おめでとうございます。

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堅信式ミサは、関係者だけで、午後2時からささげられましたが、その前に午前10時から、清瀬教会の司牧訪問のミサも捧げました。前回の訪問が2018年でしたので、その間にコロナ禍が挟まれて、5年ぶりとなりました。午前中のミサは、聖堂一杯のみなさんにお集まりいただきました。歓迎していただき、ありがとうございます。

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清瀬教会を担当するのは、お隣の秋津教会の主任司祭でもある野口神父様です。清瀬教会の前任の主任司祭であった西川師が倒れられ入院されて以来、野口神父様に兼任をお願いしています。またこの日の堅信ミサには、かつてこの教会で司牧実習をしていたコンベンツアル会の外山助祭と、いつもは秋津教会で司牧実習をしている東京教区の今井神学生も参加されました。

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以下、当日の堅信式ミサの説教録音を文字おこししたものです。

2023年2月19日 清瀬教会堅信式 年間第7主日

堅信を今日受けられる方々、堅信の秘跡の意味は、準備の間に勉強されたことと思います。それは、聖霊の照らし、聖霊の恵みを受けることによって、成熟した信仰者としての道を歩みはじめる、信仰生活における成人式のようなものだと思います。

使徒言行録に書いてある初代教会のとき、五旬祭の日に聖霊が弟子たちと聖母マリアに降り、そこで弟子たちが、いろんな国の言葉でイエスキリストの福音を語り始めました。あれが最初の聖霊降臨の出来事で、そこから教会は福音を宣教する道を歩みはじめています。
ですから、堅信の秘跡によって聖霊を受けることの一番大きな目的は、その日から聖霊の照らしを受けて、弟子たちがそうであったように、福音を多くの人たちに告げ知らせていくということです。

その五旬祭のあの日、聖霊降臨が起こったときの出来事をよくみてみましょう。
聖霊降臨が起こるまで、弟子たちは恐れていました。先生であるイエスが殺されてしまい、自分たちは暗闇に放り出されたようになってしまった。どうしたらいいかわからない。そんな思いを抱えて集まり、隠れていたんですね。
その隠れていた弱々しい弟子たちが、聖霊を受けることによって大きく変えられたのです。

その日からいろんな国の言葉で、…もちろんいろんな言葉で話せるようになったら嬉しいですが…、それよりももっと大事なことは、すべての人にわかる言葉で福音を述べ伝えはじめたということです。つまり、隠れていた弱々しい人が、聖霊を受けることによって福音を述べ伝える者となった。それが成熟した信仰者として生きていく、信仰の成人式です。

昔は、堅信の秘跡はキリストの兵士になることと言いました。堅信を受けることによって、キリストのために世の中で戦ってゆく兵士になるんだと。当たらずとも遠からずだと思います。わたしたちの目的は、兵士となって力で戦うのではなくて、福音を述べ伝える戦いの兵士になっていくということです。わたしたちは、堅信を受けることによってキリストの兵士となっていくのです。

ですから、今日、堅信を受けられるお一人おひとりは、やはり同じように、神様のために福音を述べ伝える者となっていかなければならないわけですね。

ところが、ここからがものすごく大きな問題なのです。
いままで何千人、何万人という人が堅信を受けてきました。私自身、司教になってから何人の人に堅信を授けてきたかも覚えていません。それくらい沢山の人が堅信を受け、成熟した信徒として、キリストの兵士として歩みはじめているはずなのですが、あまり成果が上がっていないんですよ。

これだけ沢山の人が堅信を受けたんですから、日本中そこら中に、キリストの福音を耳にしてキリストの福音に従おうと決意する人たちが、沢山現れてきてもおかしくないですよね。ところがいまだに日本でカトリック信者は、本当にほんの少しですよね。人口の1%以下。40万人いればいい方だと思いますけれども、その状態から変わらないわけです。一体何が足りないんだろう。せっかく堅信を受けたのに、何が足りないんでしょう。

一番大きいのは、自覚が足りないんです。洗礼を受けて堅信を受けることによって、自分がキリストの福音を述べ伝える者となったんだという自覚が、足りないのだと思います。

もう一つは、聖霊に対する信頼です。聖霊に対する信頼が足りないのだろうと、わたしは思っています。

教会は、あの第二バチカン公会議もそうですけれども、最初にできたときから常に、聖霊によって導かれています。
様々なことが教会の歴史の中では起こってきましたが、いままで連綿として信仰が伝わってきた一番大きな理由、それは、わたしたちが聖霊によって導かれているからです。ですから、わたしたちがその聖霊の働きを、どこまで信じて、どこまで信頼しているのかが大切なのです。

聖霊を受けたからといって、聖霊が、その日からわたしたちをスーパーマンに変えてくれるわけではない。急に変身して、勇気あるすごい人になることはないです。

聖霊は本当に神様の息吹なのです。後ろからフーッと吹いてくる息でしかないんですよ。そして、それが力を発揮するのは、わたしたちがその息吹の方向に従って前に向かって進もうとするときです。そのとき、後ろから来る風が力を発揮するんです。わたしが斜め横に向かって進むとき、真っ直ぐ吹いている風はあまり効きません。横を向いて全然違う方向に行こうとすれば、風は全く力を発揮することができないんです。

聖霊の恵みは、確かにお恵みとして、わたしたち一人ひとりに与えられます。7つの賜物があると聞きましたよね、堅信の勉強をしたときに。
つまり、聖霊の7つの賜物は、後ろから真っ直ぐ、フーッと神様の息として吹きかけられている。それが本当に効果を発揮するためには、わたしたちが真っ直ぐその息吹と同じ方向に向かって、歩いて行くことが必要なのです。

聖霊の息吹がフーッと吹いている、その方向と同じ方向に向かってわたしたちが歩いているというのは、とても大切な条件なのですよ。
「風がどこから吹いてくるのか、人は誰も知らない」という典礼聖歌の歌がありますけれども、まさしく神の息吹ですから、目に見えないですよね。風が一体どこからどこへ向かって吹いているのか、パッと見ただけじゃわかんないわけですよね。
同じように聖霊も、一体どこからどこに向かって吹いているんだろうということがわからなければ、わたしたちはその風と同じ方向に向かって進んで行くことはできないわけですよ。ですから、わたしたちにとって大切なのは、風はどこからどこに向かって吹いているのかということを、知ろうとすることです。

では、それはどうやって知ることができるのでしょう。
教会に来ていれば、シノドスという言葉を耳にしたことがあるかもしれない。もしもまだならば、今日から是非、シノドスというのは何だろうと考え、学んで頂ければと思います。東京教区や教区ニュースでも、YouTubeのチャンネルで短いビデオをいろいろ作っていますので、是非ともご覧ください。

シノドスというのは、共に歩む、という意味です。教会はシノドスの教会なんだと、教会のあり方はシノドスなんだということを教皇様がおっしゃって、それでいま「教会が、共に歩む教会になりましょう」ということを呼びかけています。

なぜならば、そうすることではじめてわたしたちは、聖霊がどっちに向かって吹いているのかを知ることができるからです。自分一人ではわからないけれども、みんなで一緒になって、集まって、互いが感じていること、互いが思っていることを話し合い、分かち合って、相手の言うことによく耳を傾け、自分の語りたいことを語り、そして、一緒に祈って、一緒に助け合って、道を進んで行くときにはじめて、どちらの方向に神様は息を吹いているのかがわかるんです。その方向を見誤っていると、聖霊は働かないのですよ。ですから、みんなで一緒になって正しい方向を見極めてゆくことは、とても大切なことです。

その見極めの取り組みの一つが、さっきもお話した、1965年まで開かれていた第二バチカン公会議です。
その公会議には、当時のすべての司教さんたちが世界中からバチカンに集まり、一緒になって何年間も会議をしたのです。
その中で、一緒に祈り、一緒に分かち合い、耳を傾け合い、そして互いに手を取り合って、助け合って進んでいきましょう、という作業を重ねていきました。それによって、一体いまの教会に対して、神様はどちらの方向へ風を吹いておられるのかを、見極めようとしたんです。それを、教会がよく使う言葉で「識別する」と言います。

神の意志を識別する。識別という言葉をよく使いますけれども、それは聖霊がどちらに向かって吹いているのか知ろうとする作業のことです。
ですから第二バチカン公会議はまさしく、その識別の作業でしたし、いまもなお、それが続けられているはず、なんですよね。ところがわたしたちは、そうしたことを時間が経つにつれて忘れてしまうわけです。

そこで教皇様はあらためて、シノドス的な教会、つまり、みんなで一緒になって支え合い、みんなで一緒に祈り合い、みんなで一緒に道を見つけてゆく、識別をする教会であることが当たり前の教会の姿にしましょうと呼びかけられた。聖霊がどちらに吹いているのかを、常に知ることができる教会にと。そして、そちらに向かって歩いていけば、おのずと聖霊の力が教会に働いてくれるわけです。
ですから、みんなで一緒になって識別をするというのは、とても大切なことだと思います。

こうして、何人もの人たちが一緒に堅信を受けますね。
今日堅信を受ける皆さんも、自分一人だけが今日から成熟した信徒となるということではなくて、一緒になって、神様の息吹が吹いている方向を見極めてゆく、助け合ってゆく仲間ができたんだということを、是非とも忘れないでいて頂きたいと思います。そしてそれは、今日堅信を受ける方たちだけでなくて、この教会共同体と言われているこの教会に集まって来るすべての人にとっても同じです。

一緒になって、神様の息吹の吹いている方向性を見極め、そちらに向かって足を踏み出すことで、教会は常に、聖霊によって満たされ、聖霊に導かれ、聖霊に後押しされる豊かな教会になってゆくと思います。

聖霊の力を受けて、皆さんお一人おひとりが、今日から成熟した信仰者、キリストの兵士として、聖霊に信頼しながら、福音を述べ伝えてゆく者となることを、心から期待してお祈りしています。

 

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2023年2月11日 (土)

パウロ安次嶺晴美神父葬儀ミサ@東京カテドラル

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去る2月4日に帰天された東京教区司祭パウロ安次嶺晴美神父様の葬儀ミサは、2月8日午後1時半から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。

安次嶺神父様の略歴については、こちらをご覧ください

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安次嶺神父様は、東京教区が新潟教区を助けるために司祭を派遣してくださった、その第一号でした。新潟教会で3年間活躍してくださり、新潟にも友人がたくさんおいででした。新潟教区の司祭団は、2月7日、毎月の司祭静修にあわせて、新潟のカテドラルに集まった司祭で、安次嶺神父様のために祈りをささげてくださったと、成井司教様から連絡をいただきました。

様々な病気を抱えられ、人工透析のために週三回は病院に通わなくてはならなかった中で、最後の任地となった茂原教会で、できる限りで頑張っておられましたが、病状が深刻になり、信徒の方々の手助けがなくては生活もままならない状況の中で、ペトロの家に移動していただきました。昨年末頃にはペトロの家での介護も難しくなり、もっと手厚い介護をしていただける施設への移動を調整していましたが、その間に様態は急変し、入院先の病院で、2月4日に亡くなられました。

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神父様の永遠の安息のために、どうぞお祈りください。なお、後日、カトリック府中墓地にある教区司祭共同納骨墓へ納骨いたしますが、その日程は追ってお知らせいたします。

以下、2月8日の葬儀ミサの説教原稿です。

パウロ安次嶺晴実師葬儀ミサ
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2023年2月8日

わたしたちは信じています。イエスはキリストです。イエスはわたしたちの罪の贖いのためにご自身をいけにえとしてささげ、その受難と死にあずかる者が、主ご自身の復活の栄光にも与るようにと招いておられます。神は、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む人々を世の終わりに復活させてくださる」のだと確信し、永遠のいのちに生きる大きな希望を持ちながら、この世界における人生の旅路を歩んでいます。

イエスはキリストです。すべての人をその懐における安息と永遠のいのちに招かれる救い主です。わたしたちは、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉を信じています。イエスをキリストと信じるわたしたちには、すべての人がその救いに与ることができるように、神の愛といつくしみ、あわれみを、ひとりでも多くの人に伝え分け与える使命があります。

司祭は叙階式の時に、「福音をのべ伝え、カトリックの信仰を表すことによって、神のことばに奉仕する務めを誠実に」果たすことを約束します。また司祭は、「教会共同体の助けのもとに、貧しい人、苦しむ人、助けを必要とするすべての人に、主の名において、神のいつくしみを示しますか」と問われて、「はい、示します」と約束いたします。

1987年3月15日に司祭叙階を受けた安次嶺神父様も、その日同じように力強く約束したことだと思います。安次嶺神父様は1949年9月生まれですから、司祭に叙階されたときは37歳であったかと思います。それから35年間の司祭としての人生において、様々な困難に直面しながらも、安次嶺神父様は、すべての人がキリスト・イエスの約束された救いに与ることができるように、イエスの愛といつくしみを、ひとりでも多くの人に分け与えようと使命を果たされてきました。

この数年、ただでさえ感染症の拡大の中でいのちの危機に直面しているのですが、賜物である人間のいのちを、まるでもて遊んでいるかのような方法で、暴力的に奪い取る理不尽な事件も続発しています。

特にこの3年間、様々ないのちの危機に直面する中で、教皇フランシスコは連帯の重要性をたびたび強調され、感染症が拡大していた初期の段階、2020年9月2日の一般謁見で、 「このパンデミックは、わたしたちが頼り合っていることを浮き彫りにしました。わたしたちは皆、良くも悪くも、互いに結びついています。この危機から、以前よりよい状態で脱するためには、ともに協力しなければなりません」といのちを守るための連帯が必要だと強調されました。

2019年11月。教皇様はここ東京で、東北被災者に向かってこう言われました。

「一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」

暗闇に輝く希望の光は、互いに助け合う人との出会いから生まれ、連帯を通じて強められます。しかし残念ながら、実際の世界ではその連帯は実現せず、かえって孤立と孤独が激しくすすみ、この歴史に残る困難の中で、暴力がいのちを危機にさらしています。今わたしたちの社会は、不安の暗闇の中に置き去りにされている恐怖から、他者に対する配慮をする余裕を心から奪い、不寛容な心は利己的になり、自分を守ることにばかり集中して、助けを必要として叫びを上げている人の存在を見えないものにしています。わたしたちには互いに助け合うものとして、多くの人との出会いが必要です。その出会いの中での支え合いが必要です。

安次嶺神父様が以前、東京教区ニュースのインタビューに答えられた記事を読んでみると、何か劇的なことがあったわけではないが、お母様を通じてプロテスタント教会に出会い、さらにカトリックに改宗し、そして様々な人との出会いがあって、それによって司祭へと導かれていった人生の歩みが記されていました。人との出会いが、司祭召命への道となったことが述べられていました。

忠実に小教区での司牧に携わってこられた安次嶺神父様の司祭としての働きに一つ特筆するところがあるとすれば、それは東京教区と新潟教区の協力関係の中で、東京から新潟へ派遣された一番最初の司祭であったことだと思います。わたしが前任であった佐藤司教様が新潟教区司教であった時代です。そこでの毎日の生活の中でも様々な人との出会いを通じて、安次嶺神父様は多くの方と強い人間関係を築き、その後もしばしば新潟の友人たちを訪問されていました。

最後の任地となった茂原教会では、特に外国籍の信徒の方々を共同体にどうつなげていくのかに心を配られていたようです。残念ながら、様々に抱えておられた病気のために、特に定期的に透析を受けなくてはならなかったこともあり、5年間茂原教会で働かれたあと、2019年10月にはペトロの家に来られ療養生活を始められました。73歳での帰天は早すぎると感じますが、特に人生の終盤では、様々な病気を抱える中でご自分の思い通りにならないもどかしさの中で、その苦しみを祈りの内にささげられる毎日であったと思います。

わたしたちは地上の教会において、御聖体を通じて一致し、一つの体を形作っており、互いに与えられた賜物を生きることによって、主ご自身の体である教会共同体全体を生かす分かち合いにおける交わりに生きています。同時に教会は、地上で信仰を生きているわたしたちの教会が、天上の教会と結ばれていることも信じています。ですからわたしたちは生きている互いのために祈るように、亡くなった人たちのために祈り、また聖人たちの取り次ぎを求めて祈ります。そのすべての祈りは、一つの教会を形作っている兄弟姉妹のための、生きた祈りであります。

安次嶺神父様の永遠の安息を祈ると共に、わたしたちも人生における出会いを大切にし、その中で互いに助け合い連帯しながら、福音をあかしする道を共に歩んで参りましょう。

 

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2023年2月 7日 (火)

2023年日本26聖人殉教祭@本所教会

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2月5日は日本26聖人殉教者の記念日です。今年は主日と重なったため、特別にこの日を祝った教会などをのぞいて、もちろん主日のミサが優先されました。(なお現在、日本のこういった記念日が主日と重なった場合に、その年の記念日を移動することを司教協議会で検討中です)

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しかし、毎年、26聖人の殉教祭を祝っているところでは、この日曜日を許可を得て殉教者の記念日としたところもあったと思います。東京教区の本所教会もその一つです。長年にわたって、2月5日に一番近い主日を、殉教祭として祝ってきました。以前にも記しましたが、わたしも1972年頃から10年近くは、毎年、他の神言会の神学生たちと一緒に名古屋から、この殉教祭に参加していました。

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今年の本所教会での殉教祭には、聖堂入り口のところに、26聖人それぞれについての紹介のパネルも用意され、ミサも、ラテン語あり、グレゴリアンの天使ミサありと、かつての殉教祭を彷彿とさせるお祝いでした。寒い日でしたが、東京はお天気に恵まれ、本所教会の裏手にはスカイツリーもそびえ立ってきれいに見えていました。

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ミサ後には、本所教会で数年前に作成したという26聖人殉教祭の法被をまとって、教会のカリタスの業について、30分ほどお話をさせていただきました。参加してくださった皆さん、ありがうございました。

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以下、当日の説教の原稿です。

日本26聖人殉教者殉教祭ミサ
2023年2月5日
本所教会

イエス・キリストの十字架での受難と死にこそ復活の栄光があると信じるわたしたちは、自分の十字架を背負ってついてきなさいと命じられる主の言葉を心に刻みながら、現代社会にあっていのちを生き続けています。

特にこの三年間、新型コロナ感染症の状況の中で、わたしたちは、世界中のすべての人たちと一緒になっていのちの危機に直面し、どこへ進めば光が見えるのか分からないままに、暗闇の中を光を求めて彷徨い続けてきました。

いのちが危機に直面し続けるいまだからこそ、いのちは神の似姿として創造された尊厳ある存在であり、すべてのいのちは例外なく神からの賜物として与えられたと信じるわたしたちには、この世界の現実の中で特にいのちの意味について深く考え、責任を持って語り行動する義務があります。

いのちの尊厳を守りながら生きることは福音を生きることであると、教皇ヨハネパウロ二世は、回勅「いのちの福音」で強調されました。

教皇様は回勅に、「人間のいのちを守るようにという神のおきての深遠な要素は、すべての人に対して、またすべての人のいのちに対して、敬意と愛をしめすようにという要求して現れます」と記し、ローマ人への手紙を引用して、「愛は隣人に悪を行いません」と述べています。(41)

それにもかかわらず、わたしたちが直面するいのちの危機は深まり続けています。感染症によってもたらされた危機は、わたしたちを疑心暗鬼の闇に引きずり込みました。先行きが分からない中で、人は自分の身を守ることに躍起になり、心は利己的になりました。利己的になった心は余裕を失い、社会全体は寛容さを失いました。寛容さを失った社会は、暴力的、攻撃的になり、異質な存在を排除して心の安定を求めるようになりました。その結果は、深まる差別感情であり、異質な存在の排除であり、究極的には暴力を持って隣人のいのちを奪う戦争の勃発です。

この感染症の危機の中で、皆で光を求めなくてはならないときに、ミャンマーではクーデターが起き、すでに二年になるのに平和と安定への糸口は見えず、一年前にはウクライナで戦争まで始まりました。

教皇フランシスコは、このパンデミックの状況の中で、幾たびも、連帯すること、支え合うことが、この困難から抜け出す唯一の道であると強調されてきましたが、実際にわたしたちの前で展開しているのは、連帯や支え合いではなく暴虐と排除です。

このようないのちの危機が深まっているときだからこそ、いのちを賜物として与えられているわたしたちは、そのいのちを守ることを、いのちの尊厳に敬意を払うことを、互いのいのちに愛のまなざしを向けることを、あらためて愚直に強調し続ける義務があります。

教会にあって、殉教を遂げた多くの聖なる先達は、自分の十字架を背負ってついてきなさいと呼びかけられたイエスに忠実に生きることによって、主ご自身の受難と死という贖いの業に与り、それを通じていのちの福音を身をもってあかしされた方々です。

聖パウロ三木をはじめ26人のキリスト者は、1597年2月5日、長崎の西坂で主イエスの死と復活を証ししながら殉教して行かれました。自ら十字架での死を遂げることで、逆説的に、いのちの尊厳をあかしされた方々です。イエスの福音にこそ、すべてを賭して生き抜く価値があることを、大勢の眼前であかしされた方々です。すべてを投げ打ってさえも守らなくてはならない価値が、いのちの福音にあることをあかしされた方々です。

教皇ベネディクト十六世は、回勅「希望による救い」のなかで、 「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。これこそが人間であることの根本的な構成要素です。このことを放棄するなら、人は自分自身を滅ぼすことになります(「希望による救い」39)」と苦しみの意味を記しています。

苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値に生きるために、不可欠な要素です。苦しみは、神がわたしたちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神がわたしたちを愛して、この世で苦しむわたしたちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。

教会は殉教者たちが流した血を礎として成り立っていますが、それは悲惨な死を嘆き悲しむためではなく、むしろ聖霊の勝利、すなわち神の計らいの現実における勝利を、世にある教会が証しし続けていくという意味においてであります。わたしたちには、同じ信仰の証しを続ける責務があります。

26人の聖なる殉教者たちは、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」という、ガラテヤの教会にあてられたパウロの言葉を、その人生をもって生き抜き、証しいたしました。

26人の聖なる殉教者たちは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という、マタイ福音書に記されたイエスの言葉を、その人生をもって生き抜き、証しいたしました。

26人の聖なる殉教者たちは、信仰に生きるということは、そのいのちを失うこと以上に価値のあることなのだという確信を、殉教において証しいたしました。

26人の聖なる殉教者たちは、混沌としたいのちの危機の中で生きるわたしたちに、福音を生き抜くとはどういう意味があるのか、その答えを示されました。

「世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と約束された主は、わたしたちと歩みを共にしてくださいます。ともに歩みながら、わたしたちが与えられた賜物であるいのちを、神が望まれたように充分な意味を持って生きることを求められています。わたしたちは、ともに歩んでくださる主に励まされながら、賜物であるいのちを守ることを愚直に叫び続け、互いに連帯し支え合うことで、主とともにその愛に生き、いのちを生きる希望を生み出すものでありたいと思います。

 

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2022年12月29日 (木)

一年の締めくくりに

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12月28日の一般謁見で教皇様ご自身が呼びかけられたように、名誉教皇ベネディクト十六世の健康状態が悪化しているようです。名誉教皇様のためにお祈りをいたしましょう。ベネディクト十六世は引退後、バチカン内のバチカン市国政庁近くにある修道院にお住まいでした。(上の写真は2007年のアドリミナで)

バチカンニュースによれば、教皇フランシスコの呼びかけは以下の通りです。

「すべての皆さんに、沈黙のうちに教会を支えている名誉教皇ベネディクト16世のために、特別な祈りをお願いしたいと思います。名誉教皇は重い病状にあります。ベネディクト16世の教会への愛のこの証しにおいて、主が最後まで彼を慰め、支えてくださるよう祈りながら、名誉教皇を思いましょう」

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一年の締めくくりとして、主の降誕の祝日の翌日、12月26日(月)の午前中、東京教区の聖職者の集いが行われました。伝統的に年の終わりには神に感謝をささげながら「テ・デウム」を歌うことから、この集まりも「テ・デウム」と呼ばれています。東京教区で働いてくださっている司祭を中心に、教皇大使もお招きして、聖体賛美式を行い、終わりには教皇大使の「日本語」でのあいさつに続いて、ラテン語で「テ・デウム」が歌われました。

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ラテン語の「テ・デウム」は、そもそも音程が高いので歌いにくいのはさておき、年々、諳んじて歌える神父様も減ってきていると、皆で歌う様子を耳にしながら感じます。

以下、聖職者の集いでの、わたしの説教の原稿です。

2022年東京教区テ・デウム
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2022年12月26日

主ご自身が幼子として誕生された受肉の神秘を祝う降誕祭は、あらためていのちの尊さをわたしたちに教えています。その小さないのちは、しかし、暗闇に輝く希望の光であることを天使たちは輝く栄光の光の中で羊飼いたちに告げています。暗闇が深ければ深いほど、小さな光であっても輝きを放つことができます。

いまわたしたちが生きている時代を見つめるならば、希望と絶望がまるで天秤にかけられて、時に希望が力を持つかと思えば、絶望へと大きくシフトすることを繰り返しています。残念なことに、世界は神からの賜物であるいのちへの尊厳を最優先とすることなく、いのちを生きているわたしたちは、危機に直面しながら、希望と絶望の繰り返しのなかでこの数年間を生きています。

特にこの三年におよぶ感染症の状況は、よい方向に向かっているとは言え、わたしたちを取り巻く暗闇を深めています。その暗闇がもたらす不安は、多くの人の心を疑心暗鬼の闇に引きずり込み、他者の叫びに耳を傾けることのない利己的な姿勢を強めさせています。感染症の状況が終わっていない闇の中で、わたしたちの姉妹教会であるミャンマーにおけるクーデター後の不安定な状況や、ウクライナにおけるロシアの侵攻がもたらす戦争状態によって、暗闇はさらに深められています。暗闇は世界から希望を奪っています。暴力が横行する中で、いのちを守るためには互いに助け合うことが必要であるにもかかわらず、深まってしまった利己的姿勢は、自らの命を守るために、暴力には暴力を持って対抗することを良しとする風潮すら生み出しています。しかし暴力の結末は死であり神の否定です。わたしたちはいのちを生かす存在であることを強調し、あくまでも愚直に暴力を否定したいと思います。暴力を肯定することは、いのちの創造主である神への挑戦です。

困難の中で、神父様方にはそれぞれの現場において、困難に直面している多くの方に、それぞれの方法で、手を差し伸べてくださったと思います。皆様のお働きに心から感謝申しあげます。また教区からお願いしたさまざまな感染対策をご理解くださり、協力してくださっていることに、心から感謝申し上げます。多くの人が集まる教会であるからこそ、責任ある隣人愛の行動を選択し続けたいと思います。

ご存じのように、いまわたしたちの国では宗教の意味やその存在が問われています。元首相の暗殺事件以来、宗教団体がその背景にあると指摘され、それが宗教全体の社会における存在の意味を問いかけるきっかけとなりました。

宗教は、いのちを生きる希望を生み出す存在であるはずです。その宗教が、信仰を強制して信教の自由を踏みにじったり、いのちを暴力的に奪ったり、生きる希望を収奪するような原因を生み出してはなりません。家庭を崩壊させたり、犯罪行為を助長したり、いのちを生きる希望を絶望に変えたり、人間の尊厳を傷つけるようなことは、わたしたち宗教者の務めではありません。教会はすべての人の善に資する存在として、この社会の現実のただ中で、いのちを生かす希望の光を掲げるものでなければなりません。

その中で、保守的傾向を強める社会全体の風潮に流されるように、異質な存在を排除することを良しとする傾きが、教会の中にも見受けられるようになりました。一見、教会の教えを忠実に守るかのように見せかけながら、その実、異質な存在への攻撃的な言動をすることが、神の愛とあわれみを証しするとは思えません。教会は一部の選ばれた人たちだけの安全地帯ではなく、神が創造されたすべてのいのちを抱合する共同体です。排除ではなく、ともに歩むことを求めている神の民です。他者を攻撃し、排除する様な価値観を、それも多様性の一つだと主張して承認させようとする考え方には同調することはできません。あらためて強調しますが、教会はどのような形であれ、神の賜物であるいのちに対する攻撃を、ゆるすことはできません。

教会のシノドスの歩みは続いています。新しい年のはじめ、2月から3月にかけて、各大陸別のシノドスが開催され、アジアの大陸シノドスも2月末にタイで開催されます。その後、今年の10月と、来年2024年10月の二会期に渡ってローマでの会議が開かれ、その結果を受けて教会は2025年の聖年を迎えます。聖霊が教会をどこへと導こうとしているのか、共同体の識別の道はこれからも続けられます。東京教区にあっても、今後も小グループによる分かち合いを通じた聖霊の導きへの識別を深め、互いに耳を傾けあい支え合うことが当たり前である教会共同体へと変貌していきたいと思います。これからも、シノドスに関する呼びかけは継続していきたいと思います。

この困難な状況のなかにあって、私たちは、互いに耳を傾け、ともに現実を解釈し、現代の時のしるしを見極め、聖霊の導きに勇気を持って身を委ねる共同体でありたいと思います。

この一年にいただいた神様の祝福と守り導きに感謝しながら、新しい年、2023年に向けて、ともに歩みを進めていくことができるように、聖霊の照らしと導きを祈りましょう。

皆様、この一年間、本当にありがとうございました。皆様のお祈りと、支えに、心から感謝です。新しい年も、神様の祝福に満ちた平和な一年となりますように。

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2022年12月14日 (水)

日本聖書協会クリスマス礼拝@銀座教会

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一般財団法人日本聖書協会(JBS)は、聖書協会世界連盟(UBS)に所属している140を超える聖書普及のための団体の一つで、「聖書翻訳、出版、頒布、支援を主な活動として全世界の聖書普及に努めて」ている組織で(ホームページから)、基本的にはプロテスタント諸教派が中心になって運営されています。もちろん聖書の普及は福音宣教に欠かせない重要な役割であり、カトリック教会の体力がある国では、カトリック教会としても聖書の翻訳や普及活動に携わっていますが、日本を含めた宣教地では、カトリック教会も聖書協会の活動に協力しながら、一緒になって聖書の普及に努めてきました。

特に、現在カトリックの典礼などを活用させていただいている新共同訳の事業を通じて、現在の聖書協会共同訳に至るまで、そのかかわりは深くなっています。

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昔、わたし自身もガーナで働いていたときに、首都アクラにあるガーナ聖書協会に、しばしば聖書の買い付けに出掛けたことを懐かしく思い出します。私が働いていた部族の言葉そのものの翻訳はありませんでしたが、それと同じ系統の言葉での翻訳が新約聖書にあり、それを大量に買っては、訪れる村で信徒の方に配布していました。(なお旧約は、英語の聖書から、その場でカテキスタが翻訳してました)

そういった協力関係もあり、日本聖書協会の理事会には、司教団から代表が一人理事として加わっていますが、ありがたいことに司教団の代表の理事は、聖書協会の副理事長を任ぜられています。現在は私が、司教団を代表して理事として加わり、副理事長を拝命しています。

そのような関係から、先日、12月8日の午後、聖書協会の主催になるクリスマス礼拝で、はじめて説教をさせていただきました。礼拝は数寄屋橋の近くにある日本基督教団銀座教会。ここは有楽町の駅の近くの表通りに面したビルの中にあり、正面に立派なパイプオルガンがある教会です。

感染対策のため、入場制限がありましたが、多くの方が集まってくださり、その中にはカトリックの方も多くお見えでした。

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以下、当日の説教の原稿です。

日本聖書協会クリスマス礼拝
銀座教会
2022年12月8日15時
「光は暗闇に輝いているのか」 ルカ福音2章8節から12節

世界はあたかも暴力に支配されているかのようであります。この数年、わたしたちはただでさえ感染症の拡大の中でいのちの危機に直面し続けています。この状況から抜け出すためにありとあらゆる努力が必要なときに、あろうことか、神からの賜物である人間のいのちに暴力的に襲いかかる理不尽な事件が続発しています。

例えば2021年2月に発生したクーデター後、ミャンマーでは政治的に不安定な状況が継続し、思想信条の自由を求める人たちへの圧迫が横行し、義のために声を上げる宗教者への暴力も頻発しています。2022年2月末には、大国であるロシアによるウクライナ侵攻が発生し、いまに至るまで平和的解決は実現せず、戦争に翻弄されいのちの危機に多くの人が直面しています。 この状況の中で、戦いに巻き込まれたり、兵士として戦場に駆り出されたりして、いのちの危機に直面する多くの人たち。独裁的な権力のもとで、心の自由を奪われている多くの人たち。様々な理由から安住の地を追われ、いのちを守るために、家族を守るために、世界を彷徨い続ける人たち。乱高下する経済に翻弄され、日毎の糧を得る事すら難しい状況に置かれ、困窮している多くの人たち。世界中の様々な現実の中で、いま危機に直面している多くのいのちに思いを馳せたいと思います。尊いいのちはなぜこうも、力ある者たちによってもてあそばれるのでしょうか。

理不尽な現実を目の当たりにするとき、「なぜ、このような苦しみがあるのか」と問いかけてしまいますが、それに対する明確な答えを見出すことができずにいます。同時に、苦しみの暗闇のただ中に取り残され彷徨っているからこそ、希望の光を必要としています。その光は闇が深ければ深いほど、小さな光であったとしても、希望の光として輝きを放ちます。2000年前に、深い暗闇の中に輝いた神のいのちの希望の光は、誕生したばかりの幼子という、小さな光でありました。いかに小さくとも、暗闇が深いほど、その小さないのちは希望の光となります。誕生した幼子は、闇に生きる民の希望の光です。

この2年半の間、様々ないのちの危機に直面する中で、カトリック教会のリーダーである教皇フランシスコは、互いに連帯することの重要性をたびたび強調されてきました。感染症が拡大していた初期の段階で、2020年9月2日、感染症対策のため一時中断していたバチカンにおける一般謁見を再開した日には、集まった人たちにこう話されています。

「このパンデミックは、わたしたちが頼り合っていることを浮き彫りにしました。わたしたちは皆、良くも悪くも、互いに結びついています。この危機から、以前よりよい状態で脱するためには、ともに協力しなければなりません。・・・一緒に協力するか、さもなければ、何もできないかです。わたしたち全員が、連帯のうちに一緒に行動しなければなりません。・・・調和のうちに結ばれた多様性と連帯、これこそが、たどるべき道です。」

しかし残念なことに、「調和のうちに結ばれた多様性と連帯」は実現していません。「調和・多様性・連帯」の三つを同時に求めることは簡単なことではなく、どうしてもそのうちの一つだけに思いが集中してしまいます。わたしたち人間の限界です。調和を求めるがあまりに、みんなが同じ様に考え行動することばかりに目を奪われ、豊かな多様性を否定したりします。共に助け合う連帯を追求するがあまり、異なる考えの人を排除したりして調和を否定してしまいます。様々な人がいて当然だからと多様性を尊重するがあまり、互いに助け合う連帯を否定したりします。

暴力が支配する世界で、いま、わたしたちの眼前で展開しているのは、調和でも多様性でも連帯でもなく、対立と排除と暴虐であります。暴力が世界を支配するかのような現実を目の当たりにし、多くの命が直面する悲劇を耳にするとき、暴力を止めるためには暴力を使うことを肯定してしまうような気持ちへと引きずり込まれます。しかし暴力の結末は死であり神の否定です。わたしたちはいのちを生かす存在であることを強調し、暴力を否定したいと思います。暴力を肯定することは、いのちの創造主である神への挑戦です。

ローマ教皇就任直後の2013年7月に、地中海に浮かぶイタリア領のランペドゥーザ島を訪れ、アフリカから流れ着いた難民たちとともにミサを捧げたとき、教皇は次のように説教で語りました。

「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

教皇フランシスコは、自分の安心や反映ばかりを考える人間は、突けば消えてしまうシャボン玉の中で、むなしい繁栄におぼれているだけであり、その他者に対する無関心が、多くのいのちを奪っていると指摘し続けてきました。

2019年11月に日本を訪れたときには、東京で東北の大震災の被災者と出会い、「一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」と述べて、連帯こそが希望と展望を生み出すのだと強調されました。

わたしは、1995年に初めてルワンダ難民キャンプに出掛けて以来、昨年まで、カトリック教会の海外援助人道支援団体であるカリタスに、様々な立場で関わってきました。その中で、一つの出会いを忘れることができません。

2009年に、カリタスジャパンが支援をしていたバングラデシュに出掛けました。土地を持たない先住民族の子どもたちへの教育支援を行っていました。その支援先の一つであるラシャヒと言う町で、息子さんが教育支援を受けて高校に通っている家族を訪ねました。不安定な先住民族の立場でありとあらゆる困難に直面しながらも、その家族のお父さんは、私が見たこともないような笑顔で、息子さんの将来への明るい希望を語ってくれました。その飛び抜けて明るい笑顔に接しながら、95年にルワンダ難民キャンプで、「自分たちは世界から忘れ去られた」と訴えてきた難民のリーダーの悲しい表情を思い出していました。

人が生きる希望は、自分に心をかけてくれる人がいるという確信から、支えてくれる人がいるという確信から湧き上がってくるのだと言うことをその出会いから学びました。

「いのち」の危機に直面する人たちに関心を寄せ、寄り添い、歩みをともにするとき、そこに初めて希望が生まれます。衣食住が整うことは不可欠ですが、それに加えて、生きる希望が生み出されることが不可欠です。衣食住は第三者が外から提供できるものですが、希望は他の人が外から提供できるものではありません。希望は、それを必要とする人の心から生み出されるものであり、そのためには人と人との交わりが不可欠です。

まさしくこの数年間、感染症による先の見えない暗闇がもたらす不安感は、世界中を「集団的利己主義」の渦に巻き込みました。この現実の中では、「調和、多様性、連帯」は意味を失い、いのちが危機にさらされ続けています。

この世界に必要なのは、互いの違いを受け入れ、支え合い、励まし合い、連帯してともに歩むことです。そのために、神の愛を身に受けているわたしたちは、他者のために自らの利益を後回しにしてでさえ、受けた神の愛を、多くの人たちと分かちあう生き方が必要です。人と人との交わりを通じて、支え合いを通じて、初めていのちを生きる希望が心に生み出され、その希望が未来に向けての展望につながります。

暗闇の中に誕生した幼子こそは、神の言葉の受肉であり、神の愛といつくしみそのものであります。そのあふれんばかりの愛を、自らの言葉と行いで、すべての人のために分かち合おうとする神ご自身です。わたしたちはその神ご自身の出向いていく愛の行動力に倣いたいと思います。

いのちの尊厳をないがしろにする人間の暴力的な言葉と行いにひるむことなく立ち向かい、神が望まれる世界の実現の道を模索することは、いのちを賜物として与えられた、わたしたちの使命です。

いまこの国で宗教の存在が問われています。自戒の念を込めて自らの有り様を振り返る必要がありますが、元首相の暗殺事件以来、宗教団体の社会における存在の意味が大きく問われています。言うまでもなく、どのような宗教であれ、それを信じるかどうかは個人の自由であり、その信仰心の故に特定の宗教団体に所属するかしないかも、どう判断し決断するのかという個人の内心の自由は尊重されなくてはなりません。

そもそも人は、良心に反して行動することを強いられてはなりませんし、共通善の範囲内において、良心に従って行動することを妨げられてはなりません。(カテキズム要約373参照)。

宗教は、いのちを生きる希望を生み出す存在であるはずです。その宗教を生きる者が、いのちを奪ったり、生きる希望を収奪するような存在であってはなりません。人間関係を崩壊させたり、犯罪行為に走ったり、いのちの希望を奪ったりすることは、宗教の本来のあり方ではありません。

わたしたちはどうでしょう。キリストはいのちを生かす希望の光であり、わたしたちはそもそもこのいのちを、互いに助け合うものとなるようにと与えられています。わたしたちはすべての人の善に資するために、この社会の現実のただ中で、いのちを生かす希望の光を掲げる存在であり続けたいと思います。

神の言葉である御子イエスが誕生したとき、暗闇に光が輝きました。イエスご自身が暗闇に輝く希望の光であります。天使は、あまりの出来事に恐れをなす羊飼いたちに、この輝く光こそが、暗闇から抜け出すための希望の光であると告げています。わたしたち、イエスをキリストと信じるものは、その希望の光を受け継いで、暗闇に輝かし続けるものでありたいと思います。不安に恐れおののく心を絶望の闇の淵に引きずり込むものではなく、いのちを生きる希望を生み出し、未来に向けての展望を切り開くものでありたいと思います。輝く光であることを、自らの言葉と行いをもってあかしするものでありたいと思います。

祈ります。いのちの与え主である天の父よ。暗闇の中で小さな希望の光を輝かせたイエスの誕生に思いを馳せなが、わたしたちが暗闇を歩む現代世界にあって、互いに支え合い、連帯し、歩みをともにすることで、あなたが与えてくださった賜物であるいのちを、喜びと希望を持って生きることができますように。わたしたちに希望の光を掲げる勇気を与えてください。

ビデオは日本聖書協会のYoutube チャンネルに掲載されています。こちらのリンクです

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