司教団による教皇レオ14世就任記念ミサ
6月16日から19日まで、日本のカトリック司教団は、定例の総会を行いました。詳しいことはカトリック中央協議会のウェブサイトやカトリックジャパンニュースで報道されますので、ご参照ください。
また今年は戦後80周年にあたることから、司教団としての平和メッセージと、それに伴う核兵器廃絶宣言2025を採択しました。平和メッセージについては、来週、6月23日が沖縄の平和祈念の日であり、わたしを始め多くの司教が沖縄に赴いて祈りの時を一緒にするため、この日より前に公開することを目指して、検討を続けてきたものです。
6月23日には沖縄での朝6時の平和ミサを、私が司式させていただくことになっています。
司教総会の間、6月18日の水曜日の夕方、カトリック麹町聖イグナチオ教会において、司教団としての教皇レオ14世就任記念ミサを捧げました。
ミサはわたしが司式と説教を担当し、教皇大使にもご一緒いただき、ミサの終わりにはスペイン語でご挨拶をいただきました。教皇大使は、ちょうどその前の週に、バチカンでの教皇大使の聖年の集まりに参加し、教皇レオ14世と謁見してきたばかりとのことでした。
以下、当日のミサの説教の原稿です。他の所でも繰り返し話している内容ですが、一応記録のために記します。
教皇レオ十四世就任記念ミサ
2025年6月18日(水)18:00
カトリック麹町聖イグナチオ教会5月8日夕刻、バチカンのシスティーナ聖堂に集まった133名の枢機卿団は、前日7日の夕刻に始まった教皇選挙における第4回目の投票で、兄弟であるロバート・フランシス・プレボスト枢機卿を、第267代目の教皇に選出しました。前田枢機卿様とわたしも、この教皇選挙に参加するという歴史的な体験をさせていただきました。
プレボスト枢機卿は枢機卿団の前で、教皇選挙における首席枢機卿代理のピエトロ・パロリン枢機卿からの問いかけに答えて選挙の結果を受諾し、「レオ」と名乗ることを宣言されました。教皇レオ14世の誕生です。
教会は、2013年3月から12年間、教皇フランシスコによって導かれてきました。教皇フランシスコへの評価は、それこそ多様性に満ちあふれた様々な評価がありますが、しかしたぐいまれな指導力と霊性を持って、聖霊に導かれた教会のあるべき姿を具体化することに力を尽くし、そのための道を残してくださいました。改めて教皇フランシスコの残された遺産を振り返り、その貢献に感謝したいと思います。
教皇フランシスコは2019年11月、コロナの感染症ですべてが停止する直前に、日本を訪れてくださいました。わたしは東京の大司教として、東京でのプログラムで教皇様の先導役を務めましたが、特に東京ドームの中を一緒にオープンカーに乗って回ったとき、本当に心から喜びの笑顔で、集まった皆さんに手を振り、子どもたちに祝福を与えられる姿に、愛といつくしみに満ちあふれた牧者の姿を見ました。少しでもその姿に倣いたいと思いました。
2020年以降の世界的な感染症によるいのちの危機や、ミャンマー、ウクライナやガザなどと頻発する戦争や武力紛争は、人々から寛容さを奪い去り、排除と暴力と絶望が力を持つ世界を生み出してしまいました。その現実に対して教皇フランシスコは、2025年聖年のテーマとして「希望の巡礼者」を掲げ、ともに助け合いながら歩むことで教会が世界に対して、キリストにおける希望をあかしする存在となるように求められました。聖霊の導きを祈りのうちに識別する教会、すなわちシノドス的な教会は、互いに助け合い支え合って歩む姿を通じて、キリストの希望をあかしする宣教する教会であります。
教皇選挙は、「選挙」とは言うものの、いわゆる政治的な駆け引きの場ではありません。教皇選挙を前にして連日行われた枢機卿の総会で表明された多くの枢機卿の意見から、教皇選挙とは、希望の巡礼者となるようにと教会を導いた教皇フランシスコのコピーのような人物を後継者として選ぶ作業なのではなく、イエスが最初の牧者として神の民を託した使徒ペトロの後継者を選ぶ祈りの時なのだと、多くの枢機卿が感じていました。
枢機卿たちは聖霊の導きがあるようにと真摯に祈りましたが、それは賢明で良い選択ができるようにと導きを願っていたのではなくて、すでに主ご自身が選ばれているはずのペトロの後継者を、わたしたちの間から見いだすために、ふさわしい識別の賜物を願って祈っていました。
枢機卿総会を終えて、133名の枢機卿がシスティナ聖堂に入ったとき、自分たちの間の誰が一体ペトロの後継者としてすでに選ばれているのかを知っていた枢機卿は誰もいませんでした。しかし、二日目の午後の最初の投票で三分の二超える得票でプレボスト枢機卿が選出されたとき、わたしを始め多くの枢機卿が、確かに聖霊が働いていたと実感したはずであります。
枢機卿総会での多くの意見表明の中では、教会の現状に対する評価とともに、次の教皇にはどのような人物がふさわしいか、何を期待するのかについての意見も多く聞かれました。その様々な意見を積み重ねてみると、次の教皇には、福音宣教の現場、つまり司牧の現実に精通し、同時に規模の大きい組織の運営に長けていることが求められていました。さらには深い霊性を持っていること、はっきりとした神学の見識を持っている人物がふさわしいという意見も多く聞かれました。 残念ながらそのすべてを兼ね備えた人物など、簡単には見つからないというのが、教皇選挙前の雰囲気でありました。
ところが、実際に選出された教皇レオ14世のこれまでの歩みを見れば、司祭としてペルーで長年にわたり司牧の現場で働き、修道会の総長として世界に広がる修道会を12年にわたって束ね、その上で司教としてペルーの司牧の現場で教会を導き、さらにはバチカンで司教省の長官を務め、その上アウグスチノ会の霊性にも深く通じています。これほど完璧に、多くの枢機卿が願った次の教皇のプロフィールを満たしている人物はおらず、なぜ彼にたどり着いたのか、わたしたちには分かりません。主は自ら選ばれ、聖霊を通じてわたしたちがプレボスト枢機卿に到達するように導いてくださいました。わたしたちは、聖霊に導かれて、教皇レオ14世にたどり着きました。
教皇フランシスコは、シノドスの道を開きました。その道こそが希望の巡礼者として歩むべき道であることを示されました。いま問われているのは、教会が聖霊に導かれた教会であるためにはどのような道を歩むかを識別することです。しかしその道のりは決して平坦ではありません。なぜならば教皇フランシスコ自身が指摘するように、識別を繰り返す中で即座にゴールが見えてくることはなく、シノドス的な教会のイメージも文化や歴史的背景に基づいて様々な多様性があり、この歩みは一朝一夕で終わらせることができない模索の旅路でもあるからに他なりません。
枢機卿総会でも多くの枢機卿が、多様性を尊重しつつも、信仰における明白性を持って、教会が一致することの重要性を強調されました。一致は一つのキーワードになっていると感じています。教皇レオ14世の治世は始まったばかりであり、これからどのような方向に進むのかはまだ分かりません。しかしすでにその最初の日から、一致と平和は教皇レオ14世にとって大きな課題の一つとなっています。
6月1日の聖年にあたっての家庭・子ども・祖父母・高齢者の祝祭のミサ説教で、次のように一致と平和について語られました。
「わたしたちは、家族として、そして、自分たちが生き、働き、学ぶ場で、主がわたしたちが「一つ」となることを望まれたように「一つ」となるために、ここにいます。わたしたちはさまざまですが、一つです。多くの者がいますが、にもかかわらず一つです。あらゆる状況においても、人生のあらゆる段階においても、つねにそうです」
その上で教皇様は、「愛する皆様。「アルファであり、オメガである」方、「初めであり、終わりである」(黙22・13参照)方であるキリストに基づいて、わたしたちが互いに愛し合うなら、わたしたちは社会と世界の中で、すべての人にとって平和のしるしとなります」と呼びかけておられます。
戦後80周年となる今年、日本各地では改めて平和に思いを馳せる祈りの時がもたれます。教皇ヨハネパウロ二世と教皇フランシスコは広島長崎の地から平和と、そのための核兵器廃絶について力強く発進してくださいました。平和は分裂をもたらすものではなく、家族としての一致をもたらすものです。平和と一致を見出す要因は、武力だけに限らず、人間の尊厳をないがしろにするあらゆる行為があります。教皇レオ14世とともに、人間の尊厳を守り、一致のうちに平和を打ち立てる世界の実現のために、働き続けたいと思います。
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