カテゴリー「教皇選挙」の3件の記事

2025年5月11日 (日)

教皇選挙を終えて

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多くの皆様のお祈りを頂いた教皇選挙が終わりました。前記事でも所感を記しましたが、これまで12年間にわたり導いてくださった教皇フランシスコに別れを告げ、その直後に今度は新しい牧者としてレオ14世を選出した枢機卿団の一員として関わらせて頂いたのは、多分、生涯に一度のことであろうと思います。このような場に立ち会うことを許してくださった、いのちの与え主である神様に、感謝しかありません。また教皇フランシスコの永遠の安息のため、そして新しい教皇の誕生のため、世界の多くの方が祈りを捧げてくださいました。教皇選挙に参加した133名の枢機卿は、皆、その祈りの力を感じながら、一連の行事に臨みました。皆様に感謝いたします。

さて、教皇選挙の具体的な内容については、書き記すことはできません。システィーナ聖堂(礼拝堂)に枢機卿団が選挙のために入堂する映像が、バチカン放送がそこまでは撮影しましたので、それがいろいろなメディアに上がっていますが、最初に、全員が、一人一人ラテン語で祈りを唱えて誓いを立てます。その中で、選挙に関連した内容や起こったことについて、一切口外しないという誓いを立てます。そのため、内容を具体的にお話しすることはできませんし、写真もありません。

映像によく出てくる、(例えばこのリンク先の日テレ)手を置いて一人一人が誓う部分は「わたしは、それらを約束し、誓います。いま手を置いている福音と神が助けてくださいますように」と言っているだけで、その前にある様々なことを誓う具体的な内容は、首席枢機卿(代理のパロリン枢機卿)が代表してラテン語で唱えています。映像に写っている部分はまだ秘密とされていない部分で、その後に、教皇儀典室長のラヴェリ大司教様が「エクストラ・オムネス」と宣言して、投票権者以外を聖堂から出して扉を閉めるところから、新しい教皇が、「投票結果を受諾します」と首席枢機卿に応えるまでが、教皇選挙の秘密部分です。ですから、この間はカメラも外へ出されますので、映像もありません。

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同時に、大勢の枢機卿がいますから、なんとなく雰囲気的な情報が様々なメディアに漏れ伝わるのでしょう。イタリアメディアを中心に、世界各国のメディアでは、様々な情報が飛び交っています。なかには正確に、誰が何票得たのに、それがそのあとで大きく変わったのは、これこれこういう裏事情があったのだと、かなり断定的に書いているメディアがありましたが、わたしもそれを見ましたけれど、わたしが目の当たりにした事実とはかけ離れた数字だったので、何らかのストーリーを作るための推測の結果なのだろうと思います。

事実は一つしかありません。システィーナ聖堂に集まった133名の枢機卿団は、祈りのうちに投票を繰り返し、主イエス御自身がすでに選ばれているに違いないペトロの後継者を見いだすために投票を続け、プレボスト枢機卿が3分の2以上の票を得て、教皇に選出された。それだけです。

枢機卿団は、教皇フランシスコが、第二バチカン公会議から始まって、歴代の教皇が進めてきた教会の改革を、さらに完遂しようとされた方向性を継続し、同時に明確な教えを持って教会の一致を確立する牧者を見いだすことに努めました。それは類い希な才能と霊性を持った教皇フランシスコを引き継ぐ第二のフランシスコの誕生ではなくて、それは不可能なので、主イエスが託された務めを忠実に果たす使徒ペトロの後継者を見いだすことに努めました。その結果です。

「教皇選挙」という映画があります。わたしも、3月にカリタスの所用でローマに来たときに、ANAの飛行機の中で見ました。ストーリーはちょっと荒唐無稽だなと思いますし、明らかに現実的ではないフィクションですし、実際にバチカンで撮影しているのでもないので、いろいろと実際とは異なるところがありますが、よくできた映像だと思います。映画の公開を通じて、日本でも、本当の教皇選挙に注目して頂けた部分も多くあろうと思います。

とはいえ、映画にあるように、あからさまな票のとりまとめとか、「これは戦争だ」と意気込んでみたり、いろいろと画策したり、皆の面前で、おまえはもうだめだみたいな指摘をしたりという、生臭い話は、残念ながらフィクションです。ああいったことは全く起こらず、食事の席では、互いに知らない人が多いので、自分の国の教会について互いに教え合ったり、非常に和気あいあいとしていました。この下の写真は、サンタマルタの廊下ですが、楽しくお話をして仲良しになった、バーク枢機卿(米国出身)の後ろ姿です。もちろんこの写真の撮影は、教皇選挙が終わって、スマホが警備から戻ってきてからのことです。

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サンタマルタに皆が到着したのは、選挙の前日です。そこで生活しているバチカンで働く聖職者はすでに他の施設に一時避難して、部屋をすべて教皇選挙投票者のために空けています。特設の入口には、空港と同じ保安検査の台が設置され、携帯やパソコンを始め、充電器など、すべての電子製品を没収され、特別な密封封筒に入れられます。皆、空港の検査以上だと驚いておいましたが、あれほど時間をかけて完全に検査されるとは思いませんでした。電子的な腕時計をしていた枢機卿も多く、すべて取り上げでしたので、部屋には時計がありませんから、多くの枢機卿から時間が分からないとの声が上がり、サンタマルタの職員の方が、慌てて電池式の目覚まし時計を大量にそろえたほどです。

部屋は、下の写真のように、窓ガラスには布が張られ、外のブラインドは開けないように、バチカン警察の封印がされていました。わたし達の泊まった部屋も、その前日までにバチカン警察のセキュリティー検査が行われ、わたしたちが入室する直前まで、扉が封印されていました。

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すでにスマホは持っていないし、パソコンもないのですが、サンタマルタの全館に特別な装置が設置してあって、携帯の電波は一切届かず、館内電話も外線に繋がりません。こうなると、やることがなくなります。厳格な黙想会にいるようなものです。本を読むか、祈りをするかしかありません。サンタマルタには一階に、教皇フランシスコが毎日ミサを捧げていた聖堂がありますが、今回はいつ足を運んでも、何名もの枢機卿さんたちが祈っている姿がありました。スマホやパソコン禁止も、もちろん外部からの情報で左右されないようにという独立性の理由もありますが、現代社会ではそれ以上に、祈る時間をしっかりと持つことにも繋がると実感しました。

バチカンニュースの映像や、日本では日テレのまとめ映像にもシスティーナ聖堂での選挙準備の様子が公開されていますが、各自の指定席の前に、名簿一覧などと併せて、緑色の結構分厚い本が全員の席に置かれています。一度映像をお探しください。この本は、教皇選挙の具体的なやり方や祈りの言葉や所作などをすべて記したもので、左側のページがイタリア語、右側のページがラテン語で、実際にはラテン語ですべて唱えますが、具体的な指示は、イタリア語を読んで行われていました。とにかくこの選挙は長い伝統の上に成り立つ儀式ですから、しっかりと定められたとおりにしないと無効になりますので、皆一生懸命、これを読み込みました。

またシスティーナ聖堂は、数年前に日本の企業のおかげで修復が進みきれいになっていますが、皆が投票する間は、ただひたすら待つだけですので、すべての素晴らしい芸術を、ゆっくりと眺める贅沢な時間を頂きました。

教皇選挙がよりよく行われるようにお祈りくださった多くの方には感謝ですが、それ以上に、投票権者の枢機卿団を外界から隔離して生活を維持させ、不測の事態に備えて待機し、食事を用意し、厳重な警備をし、また諸々の行事を行ってくださるために、枢機卿たちと同じように、バチカンに泊まり込みで働き支えてくださったバチカンの職員の方々には、感謝しかありません。選挙が二日で終わったとき、教会のみなさんもお喜びになられたことでしょうし、枢機卿たちも喜びましたが、一番喜ばれたのは、家庭に戻ることができる職員の方々であったと思います。職員の方々は、あの晩、投票を終えてサンタマルタに戻ってきた枢機卿たちを、玄関ホールに皆で列を作り、拍手で迎えてくださいました。わたしたちの方こそ、職員の方々に感謝しなくてはなりません。

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というわけで、お話しできる内容はこれくらいです。教皇レオ14世が、これからどのような言葉を語るのか、どのような行いをするのか、どのような方向へ歩もうとするのか、期待のうちに待ちたいと思います。教皇様のために祈り続けましょう。

 

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教皇レオ14世の誕生にあたり

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教皇レオ14世の誕生にあたって

5月8日夕刻、バチカンのシスティーナ聖堂に集まったわたしたち133名の枢機卿団は、前日7日の夕刻に始まった教皇選挙における第4回目の投票で、兄弟であるロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿を、第267代目の教皇に選出しました。

同枢機卿は枢機卿団の前で、首席枢機卿代理のピエトロ・パロリン枢機卿からの問いかけに答えて選挙の結果を受諾し、「レオ」と名乗ることを宣言されました。教皇レオ14世の誕生です。

レオ14世は、アウグスチノ修道会に属する修道者であり、また米国出身者として初めての教皇となられましたが、アウグスチノ修道会の総長を務めた経験や、ペルーにおける豊富な宣教師としての体験、さらにはペルーで教区司教として務めておられたこともあり、福音宣教の現場に精通しておられる教皇様です。また直近ではバチカンの司教省長官を務められ、司教の役割についても精通しておられます。その意味で、教会の司牧の現場と行政の現場の両方に深い知識と経験を持つ、力強い牧者の誕生であります。

教皇選挙の直前、フランシスコ教皇が帰天された翌日から教皇選挙の前日まで、日曜と5月1日を除いて毎日開催された枢機卿団の総会には、毎回、180名近い枢機卿が参加し、日本から参加したわたしや前田枢機卿様を含め、ほぼ全員が発言する機会を与えられました。その中で繰り返し強調されたのは、教皇フランシスコの類い希な深い霊性に基づく決断力と行動力への感謝の言葉であり、同時に教皇フランシスコが残された道を継続して歩み続けることの必要性でありました。しかしながら枢機卿団は、教皇フランシスコの後継者を探しているのではなくて、使徒ペトロの後継者を捜し求めているのだということを、皆が心に深く留めていました。枢機卿団が祈りのうちに求めたのは第二の教皇フランシスコの誕生ではなく、主ご自身から牧者となるように委ねられた教会を忠実に導く使徒ペトロの後継者でありました。多くの枢機卿が、多様性を尊重しつつも、信仰における明白性を持って、教会が一致することの重要性を強調されました。

これから教皇レオ14世がどのような司牧の道を進まれるのかは未知数です。教皇フランシスコとは異なる道を歩まれるかもしれません。引き継がれることも多くあるでしょう。そういった教会の現実の中で、ペトロの後継者に聖霊の豊かな祝福と、護りと、導きがあるように、教皇様のために日々お祈りいたしましょう。

サンピエトロ広場での第一声で、教皇レオ14世は、キリストの平和を確立することの重要性を説かれました。また対話と出会いの重要性を説かれました。共に道を歩むことの大切さも強調されました。現代の教会における社会教説の基礎となった回勅「レールム・ノヴァールム」を1891年に発表されたのは、レオ13世でした。レオの名前を継がれた教皇様には、社会に対する教会の働きかけについての強い思いがあるものと思います。

教皇様の声に耳を傾けながら、これからともに歩んで参りましょう。

また教皇を支え歩みを共にする枢機卿団のためにも、どうかお祈りくださいますようにお願いいたします。

2025年5月9日

カトリック東京大司教区 大司教
枢機卿 菊地功

(なお冒頭の写真は、2025年5月10日、午前10時からシノドスホールで開催された、教皇レオ14世と枢機卿団との最初の集まりで.。また下の写真は、同じ集まりで、バティスタ・レ首席枢機卿からのお祝いと励ましの言葉に耳を傾ける教皇レオ14世。レ枢機卿は壇の下におり、画面に映し出されています)

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2025年5月 1日 (木)

この過ぎた一週間について

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教皇フランシスコが復活の月曜日早朝、4月21日に帰天されてから10日が過ぎました。あらためて、教皇フランシスコの果たされた普遍教会の牧者としての務めに感謝すると共に、その永遠の安息をお祈りいたします。

さて、教皇帰天の日の日本時間の夜、首席枢機卿からメールが来ました。首席枢機卿はジョバンニ・バチスタ・レ枢機卿で、御年91歳。お元気です。かつてヨハネパウロ二世の時代には国務次官、その後司教省長官を務めた方です。教皇様の葬儀の司式をされて、ビデオをご覧になった方はご存じでしょうが、とても力強い声で説教をされてました。

メールはすべての枢機卿に宛てられた通知で、翌火曜日の朝9時から枢機卿総会(General Congregation)を行うというものです。会場はバチカンのシノドスホール。もちろん行けるわけがありません。首席枢機卿事務局に問い合わせると、可能な限り早くローマに来てくださいとのこと。チケットの手配をするのですが、この時期、日本に来る方も多ければ逆の人も多い。しかも即座に東京での仕事を中断することもできない。というわけで、やっと手配できたのが、木曜日に関空から出るターキッシュ(トルコ航空)でした。その晩の関空発のターキッシュはほぼ満席。これでよく一席とれたものだと感心しながら機内に入ると、大阪万博に来られたトルコ政府をはじめとした関係者の方々で、機材も普段より大型化していました。おかげで一席取れたものだと思います。

出かける直前までいくつものメディアの方の取材が続き、ギリギリで、NHKの一時間ほどのラジオの収録もできました。お聞き頂いた方もおられることかと思います。「宗教の時間」という番組です。また、事前に約束していたオリエンス宗教研究所の講座向けの一時間のビデオ収録も済ませました。

さて、金曜日の午前中にローマに到着し、その日の夕方4時くらいに、国際カリタスの事務局長他スタッフと一緒に、教皇フランシスコのご遺体が安置されている聖ペトロ大聖堂まで向かい、お祈りをしてくることができました。

翌土曜日朝、バチカン周辺はすさまじい警戒で、道路はすべて封鎖。なんとか聖ペトロ大聖堂までたどり着いて、葬儀ミサに出席しました。枢機卿たちの着替えは大聖堂の三分の一を仕切って行われましたが、いつも以上に高いカーテンで仕切られていたのは、その向こうを各国の首脳が通られるからで、またトランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談も、その向こうの遙か彼方の片隅で行われたと後で伺いました。そのときは、全く気がつきませんでしたが。

広場で行われた葬儀ミサですが、祭壇を挟んで向かって右が各国首脳、左が枢機卿団です。わたしはたまたま一番前の列でしたが、祭壇向こうに、各国首脳が間近に見える場所でありました。

ミサ後に外へ出るにもかなりの時間を要しましたが、その間に教皇様の棺は各国訪問でも使われたパパモービルに乗せられ、埋葬場所と指定されたサンタマリアマジョーレ大聖堂に向かい、沿道に集まった多くの方々が、別れを惜しんで拍手で教皇様を送りました。

その日から9日間は喪に服すミサが行われることになっており、その二日目のミサは、本来はカルロ・アクティスの列聖式が予定されていた復活第二主日であり、列聖式は教皇様がいないとできませんから延期されましたが、多くの若者がイタリア中から集まり、パロリン枢機卿が司式して追悼ミサが捧げられました。現代の若者である聖人の誕生が少し先延ばしになりましたが、教皇様を偲んで、多くの若者たちが祈りを捧げました。


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翌月曜日から、わたしはやっと枢機卿総会に参加できることになりました。パウロ六世ホールの上にあるシノドスホールが会場で、イタリアの休日である5月1日と、日曜日の5月4日を除いて、毎日、5月5日まで、朝9時から午後1時まで、会議が行われます。月曜日には枢機卿団でバスに分乗し、サンタマリアマジョーレ大聖堂まで出かけ、教皇フランシスコの墓前で祈りを捧げました。

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遅れて到着した枢機卿たちは、まずラテン語で秘密保持の宣誓を行い、宣誓書に署名します。したがって、メディアに対してもそうですが、枢機卿総会で話されたことを口外することはできないはずなのですが、メディアでの報道を見ると、なぜか少しづつ漏れています。確かに毎日、会場入口付近には各国のメディアが待ち構えており、すさまじいまでの取材合戦になっています。

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また5月5日までは、連日夕方5時から追悼の九日間のミサが捧げられており、それに参加しますから、結局、どこかで昼食をとってこなくてはならず(会場で食事は出ませんので)、またミサには一時間前に集合なので、ほぼ丸一日かけて、様々な行事が進められています。

ご存じのように、わたしが最初に参加できた月曜日の総会で、教皇選挙は5月7日に開始と決まりました。それ以外の内容は、毎日、教皇庁の広報省からプレスリリースが出ています。これについては、中央協議会のホームページで特集が組まれ、記者発表も翻訳が随時掲載されていますので、ご覧ください。また同ページにも掲載されていますが、枢機卿団は二つの声明を採択し、公表していますので、ご覧頂ければと思います。

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火曜日の総会のはじめには、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ修道院長のドナート・オグリアリ師による講話があり、祈りの雰囲気のうちに会議は進んでいます。火曜日の段階で、投票権を持った枢機卿のうち124名がローマに到着しています。お二人が健康上の問題で参加できないと通知しています。あと数名の枢機卿の到着を待っているところです。

あらためて、どうか、教皇選挙のために、皆様のお祈りをお願いいたします。聖霊の導きによって、よりふさわしい牧者を、わたしたち枢機卿が選ぶことができるように、賢明な判断をする子ができるように、お祈りくださるようにお願いいたします。

 

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