カテゴリー「ニュース」の7件の記事

2021年3月17日 (水)

ミャンマーのためにお祈りください

Myanmar2017_20210317150601

ご存じのように、東京教区は長年にわたってミャンマーの教会を支援してきました。東京教区のホームページには、次のように記されています。

「東京大司教区は1964年よりドイツのケルン大司教区と姉妹関係を結び、お互いに助け合い、祈り合う関係を保っています。1979年には両大司教区の友好25周年のお祝いが行なわれました。当時の白柳誠一東京大司教(後に枢機卿)は、ケルン教区の精神を学び、ケルン教区の召命のために祈るよう教区の全信者に呼びかけました。来日していたヘフナー枢機卿(当時のケルン教区長)と白柳大司教は、ケルン教区の精神をさらに発展させようと考え、25周年以降は力をあわせてミャンマー(旧ビルマ)の教会を支援することに合意しました。こうして東京大司教区では、毎年11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定め、ミャンマーの教会のための献金を呼びかけることになったのです。ミャンマーが支援先に選ばれたのは当時ミャンマーが最も貧しい国の一つであり、援助を必要としていたからです」

現在は高木健次神父様とレオ・シューマカ 神父様が中心となり、神学生養成への支援を継続しています。昨年2月には、コロナ禍が拡大する寸前でしたが、私も含めて数名の司祭団で訪問してきたところです。(上や下の写真)

Myanmar2001_20210317150601

2月に国軍のクーデターがあり、民主選挙の結果は無視され、軍政に反対する民衆のデモは武力で弾圧されていると伝わってきます。この数日には多数の死傷者が出ているとの報道もあります。

少数派ではありますが、カトリック教会は各地で、軍による力の支配に反対し、民主的な国の運営を求める民衆を支援しています。警察に立ちはだかるシスターの写真なども報道されています。

暴力をもって人々の自由意思を弾圧し、支配することは、許されることではありません。特に、たまものである人間のいのちを危機にさらす行為を、国家運営の手段として認めることはできません。ミャンマー国軍による支配が、人々の共通善に資するものとなり、いのちを守る道を選択することに目覚め、人々の幸福を実現するよりふさわしい政府の在り方へと舵を切ることを祈ります。

以下は、バンコクのカトリックニュースサイトLICAS・NEWS(LIGHT of CATHOLICS in ASIA)のYouTubeチャンネルに投稿されたヤンゴン大司教チャールズ・マウン・ボ枢機卿のメッセージ動画です。アジア司教協議会連盟から、アジアのすべての司教に送付されてきました。東京教区の広報担当が日本語字幕を付けました。一度ご覧いただいて、ボ枢機卿の呼びかけに耳を傾け、ミャンマーの平和と安定のためにお祈りくだされば幸いです。

また近隣には、同じように武力などの力をもって言論を封殺し、民衆を支配しようとする、見逃すことのできない行動をとる国家もあり、特にその中で信教の自由が著しく制限されている状況も見られます。特に東アジア地域の平和と安定のために、そして信教の自由が侵されることのないように、お祈りください。

なおメッセージの邦訳テキストは、東京教区のホームページのこちらのリンクに掲載されています

 

| |

2015年1月 5日 (月)

新しい枢機卿の任命

新潟の司教館は本日が仕事始めでした。お正月は完全に休日モードでしたので、気持ちを切り替えていつも通りの生活に戻り、一年を始めました。

さて昨日のお昼、バチカンでアンジェルスを唱えられた教皇様は、その後、新しい枢機卿の任命を発表されました。昨日発表だろうと聞いていましたので、私もユーチューブの生中継で見守っておりました。

すでに新しい枢機卿を任命する枢機卿会(Concistory)が2月14日に開催されることが告知されておりましたので、昨年の例に倣って1月のはじめあたりに発表があるだろうとされておりました。なお枢機卿会は2月12と13日にも開催され、そこでは教皇庁の改革について話し合いが行われ、14日に枢機卿の任命式があり、翌15日に新しい枢機卿と一緒に教皇様はミサを捧げられる予定です。

さて今回任命されたのは20名ですが、そのうちの15名が教皇選挙権を持っている80歳未満の枢機卿です。以下の方々。

  • Archbishop Dominique Mamberti, Prefect of the Supreme Tribunal of the Apostolic Signatura
  • Archbishiop Manuel José Macario do Nascimento Clemente, Patriarch of Lisbon (Portugal)
  • Archbishop Berhaneyesus Demerew Souraphiel, C.M., of Addis Abeba (Ethiopia)
  • Archbishop John Atcherley Dew of Wellington (New Zealand)
  • Archbishop Edoardo Menichelli of Ancona-Osimo (Italy)
  • Archbishop Pierre Nguyên Văn Nhon of Hà Nôi (Viêt Nam)
  • Archbishop Alberto Suàrez Inda of Morelia (Mexico)
  • Archbishop Charles Maung Bo, S.D.B., of Yangon (Myanmar)
  • Archbishop Francis Xavier Kriengsak Kovithavanij of Bangkok (Thailand)
  • Archbishop Francesco Montenegro of Agrigento (Italy)
  • Archbishop Daniel Fernando Sturla Berhouet, S.D.B., of Montevideo (Uruguay)
  • Archbishop Ricardo Blázquez Pérez of Vallodolid (Spain)
  • Bishop José Luis Lacunza Maestrojuán, O.A.R., of David (Panamá)
  • Bishop Arlindo Gomes Furtado, of Santiago de Cabo Verde (Archipelago of Cape Verde)
  • Bishop Soane Patita Paini Mafi of Tonga (Island of Tonga)

アルファベットのままにしたのはなんとお読みするのか、私にはよくわからない名前の方もおられるので。この中に、アジアの出身者は3名。ミャンマーのヤンゴンのBo大司教(サレジオ会)、タイはバンコクの Kovithavanij 大司教、そしてベトナムはハノイのVăn Nhon 大司教。ミャンマーから枢機卿が任命されるのは初めてのことです。日本からは今回も任命はありませんでした。

一番若いのはオセアニアのトンガのMafi司教で、53歳です。トンガから枢機卿が任命されるのも初めてのことです。そして今回の任命では、教皇庁(クリア)のメンバーは一名のみ。先日まで国務省に勤め、いわゆるバチカンの外務大臣的仕事をし、現在は使徒座署名院最高裁判所の長官を務めているMamberti大司教だけでした。

前回同様、教皇様はこれまで枢機卿を出していない国を優先し、伝統的に枢機卿座と言われている教区を選択されませんでした。発表直後にバチカンの広報から、14の異なる国が代表されているように、任命の一番の基準は「普遍性」であると発表がありました。教皇フランシスコにとって優先度の高い、周辺部に置かれている小さな教会共同体の声も反映されるようにとの配慮であるとのことです。

新しく任命される枢機卿様たちのために、そして教皇様のためにお祈りください。

| |

2013年3月15日 (金)

教皇様の正式呼称について

教皇様は選出されたときに「フランシスコ」の名前を名乗られることを選択されました。これまで「フランシスコ」を名乗られた教皇はいないため、選出後から「フランシスコ一世」と一般に呼ばれ始めましたが、先ほど教皇庁大使館から司教協議会に正式な呼称についての通知がありましたのでお知らせいたします。

教皇様の正式な呼称は、「教皇フランシスコ」です。ご留意下さい。

| |

2013年3月14日 (木)

教皇フランシスコ一世選出

時差の関係で(日本より2時間遅いタイ時間)遅くなりましたが、すでに各方面で報道されているとおり、昨日のコンクラーベで新しい教皇が選出されました。アルゼンチンの出身で、フランシスコ一世と名乗られます。以下はカトリック新聞の報道の一部を引用。詳しくはカトリック新聞オンラインへ

第266代教皇に選ばれたホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76/イエズス会)の名前と、新教皇がフランシスコと名乗ることを発表した。

ベルゴリオ枢機卿は1936年12月17日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス生まれ。ラテンアメリカからの教皇は初めてで、バチカン放送によるとイエズス会からも初の教皇となった。

ブエノスアイレス大学で化学を学ぶが、イエズス会に入ることを決心し、ビジャ・デボトの同会神学院に入った。
1969年12月13日、司祭に叙階。
1973年に終生誓願宣立。イエズス会のアルゼンチン管区管区長に選ばれる。
1980年、サンミゲルのビジャ・バリラリ神学院で修練院長を務める。
1992年5月20日、ブエノスアイレス教区補佐司教に任命。
1997年6月3日、同教区協働大司教に任命。
1998年2月28日、同教区大司教として着座した。

事前に候補者として騒がれる人物は選出されないという伝統はその通りでした。修道者が選ばれたこと自体に驚きはありませんが、イエズス会員とはちょっと驚きました。ご存じのように教会には3人の教皇がいると言われてきましたが、それが白と赤と黒と教皇などと言われる方々。白がローマ教皇、赤が福音宣教省長官、そして黒がイエズス会総長です。(現代社会では、もちろんかつてのような権勢を誇ることはありませんが)したがって、白と黒の教皇が、共にイエズス会という状況が出現しました。アルゼンチンのブエノスアイレスでは、貧しい人たちのために働かれたと言うことも聞いていますが、これからの教皇様の働きと導きに期待しましょう。そして教皇様の上に、また教皇様を通じて私たちの上に神様の豊かな導きがあるように、祈りましょう。

なおミサの奉献文の中では、本日から、「私たちの教皇フランシスコ一世」と述べて下さい。

| |

2013年3月 4日 (月)

新潟教区の人事異動公示

Seishu1303
新潟教区における2013年度の司祭人事異動は、すでに2月17日付(第一次)と3月1日付(第二次)と公示されています。各小教区や修道院にはお知らせいたしましたが、新潟教区の公式ホームページにあっては現在更新に不具合があるため、残念ながら掲載されておりません。そこで私のブログに代わりに掲載いたします。なお特に記載がない場合、4月1日付です。

  1. 新潟教会主任司祭 ラウール・バラデス師 (現:青山教会)
  2. 花園教会・鳥屋野分教会主任 高橋学師 (現 表町・福住教会)
  3. 青山教会主任 坂本耕太郎師 (現 加茂教会)
  4. 加茂教会小教区管理者 三条教会主任兼任 石黒晃泰師 (三条教会)
  5. 糸魚川・直江津・高田教会協力 伊藤幸史師 (東京教区)
  6. サバティカル ルイス・フェルナンド師 (花園・鳥屋野教会)
  7. 土崎教会助任 トラン・ドゥック・ディエム師 (新司祭・神言会、7月着任)
  8. 表町・福住教会主任 上村勉師 (名古屋教区瑞浪教会・神言会)
  9. 表町・福住教会協力 ホセ・ルイス・ロレンゾ師 (表町・福住助任)
  10. 滞日外国人司牧担当 ホセ・ルイス・ロレンゾ師

今日は新潟の司祭四旬節静修です。新潟、新発田地区と長岡で働く司祭18名ほどが集まりました。静修の指導は秋田教会主任司祭の永山誠師(神言会)。五島の出身ですが、その召命のお話から始まり、ご自分のキリスト理解を様々な詩人の詩を引用しながらのお話でした。明日午前中にもう一度お話しいただき。その後ミサをともにして解散です。(写真)

土曜日は新潟清心高等学校の卒業式でした。78名が卒業して行かれました。おめでとうございます。いつものようにメリハリのきいた生徒さんたちの一斉行動には、目を見張る迫力があります。また祝辞を述べさせていただきましたが、私が「卒業おめでとう」と申し上げると、一斉に声を合わせて「ありがとうございます」と応えて一礼されるのも、気持ちが引き締まります。皆さんのこれからの人生に神様の祝福と導きがありますように、お祈りいたします。

| |

2006年1月26日 (木)

奇妙なことばかり

このごろ、怒濤のように様々な事件が起こっているのか発覚しているのか、ワイドショーなんかも、どれをメインに取り上げるかで困っているのではないかと想像します。インターネットで様々な書き込みが出来る時代ですので、ひとつの事件が起こると、それに関連した「情報」が、本当に山のように流れ飛んでおります。どれもこれも本当のような、見てきたような情報で、よくこれだけいろいろと調べている人がいるものだなと、感心というか驚かさせられます。当たり前のことですが、すべてがすべて真実かどうかは分からないのです。テレビなどでのコメントも含めて、提供される情報は、単に憶測なのか、本当に知っているのか、興奮して口走っているのか、よく見極める方法を会得したいものだと思います。

奇妙なニュースといえば、東京で女性10人と共同生活をしている男性が今朝方逮捕されたという話がありました。何か一昔前の事件を彷彿とさせる共同生活です。倫理的問題のことはさておいて、共同生活自体は別に悪いことではないにもかかわらず、今回、脅迫の容疑でこれだけ大きな捜査が入り、だから大きな話題になり、というのは、まさか本当にそれだけのことではないのでしょうね。つまり脅迫の訴えは捜査のきっかけであって、なにか他に情報提供なり苦情なり何かがあって、ある程度内偵をしていたのでしょうね。そうでないと、ちょっと大袈裟というか、いや確かにワイドショー的には物珍しい人たちではありますけど、そんなに大騒ぎすることではないような気もしまして。多くの人の好奇心をくすぐるようなこういう事件が頻発すると、じっくり追っていかなければならない問題が、いつのまにか「興味のお蔵入り」になってしまいますでしょう。耐震偽装問題は、あれですべてが解明されつつあると信じるには説得力がないままですし、お隣の国との関係や新潟で言えば拉致問題はどうなってしまったのか。そしてつい先週までワイドショーをにぎわせていた、豪雪地帯の人たちへの思いやりの姿勢はどうなったのか。いつまでも同じレベルですべてのことに興味を持ち続けるのは、それは無理であるのは当然ですけど、でもあんまり素早く変わってしまうのも、寂しく思います。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月26日 (月)

いなほの事故

秋田から新潟へ向かっていた特急「いなほ」の事故がありました。亡くなられた方々、怪我をされた方々のために心から祈ります。

私もしばしばあの時間の「いなほ」は使いますし、これからも使います。しかも秋田と新潟を結ぶ「いなほ」は、朝・昼・晩と3本しかなく、他にチョイスがありませんから。酒田と新潟間はもう少し本数が多いのですが、秋田からは、今回の事故の報道から分かるように、6両編成でも40人ほどしか乗客がいないため、秋田と新潟直通はこれ以上本数は増えないのかもしれません。秋田にしても山形にしても新潟にしても東京方面の連絡はよいのですが、日本海側の縦の連絡は本当に貧しいものがあります。羽越本線は単線と複線が入り交じっていたり、海岸線を縫うように走る部分があるため、基本的に高速走行は出来ないのでしょう。事故があった最上川の鉄橋あたりは、何もない平野をまっすぐに突っ切る部分なので、一番スピードを出しやすい部分なのかもしれません。しかし冬にあそこを通過すると分かりますが、基本的に新潟や秋田で雪が降っていなくても、また山形で鶴岡あたりで雪が降っていなくても、あの最上川のあたりは、多くの場合吹雪であることが多いのに驚かされます。夏場でも激しい雨が降るのはあのあたりです。何か地理的な特性があるのかもし得ません。

朝のワイドショーなどでは、運転士の回復運転についての言及がありました。1時間以上の遅れが出ていたためです。尼崎の事故の記憶があるからでしょう。でも「いなほ」にしばしば乗っていれば気がつきますが、あの電車は(特に秋田と新潟間の長距離)、遅れるのが普通です。すでに触れたとおり、単線部分でのすれ違いは、JR貨物の列車が多いこともあり非常に多く、多少は遅れることをかなり承知で常連は乗っていることだと思います。特に1時間も遅れればもう回復運転はしないでしょう。最もこれは運転士さんに聞いてみないと分からないことではありますが。

事故車両はJR 東日本の485系で、国鉄時代から有名な交直両用の特急車両を改装した中でも、どちらかというと新しい車両です。1975年製造の車両も残っているようで、名古屋でもかつて金沢へ行く「しらさぎ」に使われてましたし(ここも米原あたりで交直入れ替わります)、一番格好いいのは八戸開業前に盛岡から「はつかり」に使われていたリニューアル車両でした。とにかくいまでも全国で使われている車両かなりポピュラーな車両です。で、「いなほ」には別編成の古い車両も使われていますが、基本的にはどちらもかなり重たい車両だと思いますから、仮に本当に突風でとばされたのだとしたら、もしあれが最新鋭の軽い車両であったらどうなっていたかと思います。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)