カテゴリー「司教の日記」の1000件の記事

2020年8月 6日 (木)

2020年平和旬間

毎年、8月6日の広島原爆忌から、9日の長崎原爆忌を経て、15日の終戦記念日まで、10日間を平和旬間として、日本の教会は平和について語り、学び、祈っております。今年は広島と長崎に原爆が投下されてから75年の節目の年ですが、残念ながら現在の感染症の状況から、各地の行事は縮小され、東京教区においても、例年行われてきた様々な行事が中止となりました。教区のホームページにおいては、それでも出来ることをと、祈りの短冊を15日まで募集しています

あらためて、戦争で亡くなられた多くの方々の永遠の安息をお祈りいたします。戦争のために人生の道筋を大きく変えられた方々も多くおられるでしょうし、心身に重荷を負われた方も多くおられたことと思います。夏の暑さの中に佇むとき、多くの方の無念の思いが、天に昇る上昇気流のようにそこここに満ちあふれていることを感じます。その思いを祈りとして、いつくしみ深い御父にささげます。

歴史を振り返るまでもなく、わたしたちは常に平和を語りながら同時に戦いを続けています。いのちを守ることを語りながらいのちを奪い合っています。自分ひとりが同時にその二つの行為をしていなくとも、わたしたちは一匹狼として生きているわけではなく、世界中の人と繋がれて「共通の家」で生きている仲間です。なんともいえない矛盾の中で、わたしたちは歴史を刻んでいます。

「戦いを止めよ」と叫んだからと言って、それですべてが解決することはありませんし、複雑な国際関係がその一言で修復されるわけでもありません。そこには様々な側面からのありとあらゆる種類の努力の積み重ねが不可欠ですし、その積み重ねはあまりに膨大で、人間の手に余るものなのかも知れません。政治、経済、そして学問などの様々な分野での努力を積み重ね続けるためにも、そこには誰かが理想を語り続けなければなりません。たとえそれが夢のようであっても、目指すべき理想を語ることを続けたいと思います。「戦争は人間のしわざ」だからです。

東京大司教区「平和メッセージ」
2020年8月6日 平和旬間
大司教 菊地功

 

「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」
教皇ヨハネパウロ二世は、1981年に広島でこう述べられました。

今年、2020年は、節目の年でもあります。75年前の1945年、広島と長崎で核兵器が使用され数多くのいのちが奪われました。また、世界が巻き込まれた第二次世界大戦が、終わりを迎えました。この75年の間、戦争の悲惨な現実が繰り返し多くの人によって語り継がれてきたのは、戦争が災害のように避けることのできない自然現象ではなく、まさしく「戦争は人間のしわざ」であって、そもそも「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものでは」ないからこそ、その悲劇を自らの力で避けることが可能であるからに他なりません。

教皇ヨハネ23世は、回勅「地上の平和」を、次の言葉で始め、教会が考える「平和」の意味を明らかにしています。
「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」

教会が語る「平和」とは、神の定めた秩序が実現している世界、すなわち神が望まれる被造物の状態が達成されている世界であり、それは実現してはいません。

今年の初めから、わたしたちは経験したことのない事態のただ中におります。新型コロナウイルスの感染症は一つの国に留まらず、いまや世界中を巻き込んで拡大し、まさしくグローバル化した世界を巻き込んで各地に多大な影響を与えています。多くの方が大切ないのちをなくされた国も多数存在し、今この時点でも、いのちの危機に直面している人は少なくありません。また社会的に弱い立場にある人や貧しさのうちにある人は、より厳しい危機に直面しています。

グローバル化した世界を巻き込んで発生したいのちの危機は、その解決のためにも、世界全体の視点からの連帯と支え合いが必要であることを明確にしています。

教皇フランシスコの指示を受けて、この危機に総合的に対処するために、教皇庁にはCovid19委員会が設置されました。その責任者であるタークソン枢機卿は、7月7日に会見を開き、次のように述べておられます。

「わたしたちの世界には、一致のきずなを回復し、誰かをスケープゴートにせず、互いの批判合戦を止め、卑劣な国家主義を否定し、孤立化を否定し、そのほかの利己主義を否定するようなリーダーシップが必要だ」

不安の闇に取り残されたように感じているわたしたちは、ともすれば誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の心の安心を得ようと誘惑されてしまいます。いのちの危機は、排除や排斥がもたらす分断によって、より深められてしまいます。いまは対立するときではなく、いのちを守るために、互いに手を差し伸べ合うときです。いのちを奪うことではなく、守るために行動するときです。

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」

わたしたちは、あらためて主のこの言葉に励まされ、神が大切にされるたまものであるいのちが等しく大切にされ尊重される世界を実現し、平和を確立していきましょう。また、共通の家を危機に陥れる様々な課題が複雑に絡み合う現実の中で、神の平和を実現するために、幅広い連帯の中で、地道に取り組んでいく決意を、戦後75年の平和旬間にあたり、新たにしたいと思います。

Archdiocese of Tokyo “Peace Message”
Peace Week 2020

 

Pope John Paul II stated in 1981 in Hiroshima: ”To remember the past is to commit oneself to the future.”

This year 2020 is another milestone year. 75 years ago in 1945, nuclear weapons were used in Hiroshima and Nagasaki, and took the lives of many. This eventually led to the end of World War II. For the past 75 years, many people have repeatedly expressed the miserable reality of war, stating the fact that war is not like a calamity such as an inevitable natural phenomenon, but “war is the work of man.” In the first place, “humanity is not destined for self-destruction.” Thus, it is not beyond human power to prevent such disaster.

Pope John XXIII started the encyclical “Pacem in Terris” with the following words, clarifying the meaning of “Peace” according to the Church.

“Peace on Earth?which man throughout the ages has so longed for and sought after?can never be established, never guaranteed, except by the diligent observance of the divinely established order.”

The “Peace” which the Church speaks of is the realization of a world in the order of God. That is, a world where all creatures has achieved the state according to God’s will, and such has not been attained.

Since the beginning of this year, we have been caught up in a situation we have never experienced before. The novel coronavirus disease is not limited to one country alone, but has now spread all over the world, having a great influence in various parts of this very globalized world. There are many countries where numerous people have lost their precious lives, and even at this point, many are still facing this threat in their lives. Moreover, vulnerable in the society and poor are much more afflicted by this crisis.

In order to solve this crisis of life for a world in a state of globalization, it has become clear that solidarity and support for each other on a worldwide scale is necessary.

Under the direction of Pope Francis, the Vatican Commission for Covid-19 was created to comprehensively address this crisis. Cardinal Turkson, the president of the commission, held a press conference on 7th July and stated that:

“We need global leadership that can re-build bonds of unity while rejecting scapegoating, mutual recrimination, chauvinistic nationalism, isolationism, and other forms of selfishness.”

Feeling left behind in the darkness of anxiety, we are tempted to make someone else the bad guy in order to gain our own peace of mind. The crisis of life is deepened by the divisions brought by exclusion and rejection. Now is not the time for conflict, but the time to reach out to each other to protect all lives. It is time to act to protect life, and not to take it.

“Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.”

Encouraged once again by the words of the Lord, let us build a world in which life is valued and respected, something that God Himself has always treasured, and let us strive to establish peace. In addition, as we live in a situation where various complicatedly intertwined issues put our common home in danger, let us renew our commitment during this Peace Week seventy-five years after the World War, to bring about God’s peace with the determination to work hard in solidarity with all peoples.

 

6 August 2020
+ Isao Kikuchi, SVD
Archbishop of Tokyo
 

 

 

 

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2020年6月19日 (金)

今後の聖体礼拝@東京カテドラル

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東京カテドラル聖マリア大聖堂では、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って公開ミサが中止となった直後から、連日、大聖堂の主祭壇に御聖体を顕示して、聖体礼拝を行ってきました。

カテドラル構内の師イエズス修道女会のシスター方の協力を得て、顕示する時間は様々な事情から変動しましたが、できる限り毎日継続してきました。感染症の拡大という困難な時期にあって、御聖体に現存される主とともに時間を過ごしながら困難を乗り越えるための祈りをささげ、また東京教区に主ご自身の祝福を願いながら、聖体礼拝を行っています。キリスト教国にあっては、御聖体への理解がある程度期待できるため、今回の事態にあっても、街中に聖体顕示台をもって繰り出すこともされたという話を聞いていますし、あるアジアの非キリスト教国では、信徒が集中して住んでいる地区でそのような聖体顕示が行われたと承知していますが、やはり日本ではそうはいきません。御聖体への理解が全くない中、信徒もいない街中で御聖体を顕示することはできません。そのため、カテドラルで、できる限り聖体を顕示して、聖体礼拝を続けてきました。

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6月21日以降は、公開ミサが再開されますので、毎日というわけには行きませんが、(日中もミサが行われたりするため)、しかしせっかく始めた聖体顕示と聖体礼拝ですから、続けたいと思います。幸い、関口教会主任の天本神父様が配慮してくださり、毎週木曜日の午後1時から4時まで、大聖堂の主祭壇で、聖体顕示と聖体礼拝を行うことになりました。

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本日はイエスのみこころの祭日です。6月はみこころの月と呼ばれます。あふれんばかりの神のいつくしみは、イエスのみこころからあふれ出てきています。そのいつくしみに信頼しながら、困難の暗闇の中にも光を求めて祈りをささげましょう。

もし日中お時間があれば、木曜日の午後1時から4時、聖体礼拝においでください。静かな大聖堂で、御聖体のうちに現存される主イエスを前に、イエスのみこころの思いに触れながら、そのいつくしみが、わたしたちすべてを包んでくださるように、祈りましょう。

当分の間、この形で継続します。

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久しぶりの現実の会議@聖書協会

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これまで多くの会議が中止になったり、ネットを利用した遠隔会議になったりしています。先日もカリタスジャパンの会議は、最初の日がZoomで、そして二日目はスカイプで行われたりしました。

それでもやはり実際に集まる会議は不可欠ということで、今週あたりから、現実の会議が再開し始めています。昨日は潮見で、常任司教委員会が、三ヶ月ぶりで、実際に集まって開催されましたが、互いの距離を十分にとるのが難しいことから、机にはアクリル板の仕切りが設置されていました。アクリル板の仕切りに囲まれて、その中でマスクを着けて話すので、なにかみな発言がもごもごして、聞き取りにくい会議ではありました。でも当分の間はしかたがありません。また教区などでも、当分の間は、遠隔の会議を取り入れるようにしたいと思います。

で、本日金曜日は、朝からずーっと、日本聖書協会の理事会と評議員会でした。日本聖書協会は、銀座のど真ん中、教文館の裏手の同じ建物の中にあります。

聖書協会自体は、もちろんプロテスタント諸派の方々が中心になって運営されている世界的な団体ですが、カトリックも様々一緒に活動をしており、特に日本では、新共同訳聖書や、新しく出た聖書協会共同訳などで一緒に取り組んできました。また実際に働いている方々の中にも、複数のカトリック信徒がおられますし、何を隠そう、私は副理事長であります。

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このところは、カトリック教会からは、一名が理事に、そしてもう一名が評議員に加わることになっており、理事に私が、評議員に中央協議会の大水事務局長が任命をいただいております。今年からマネージメントの態勢が変わっており、事務局の責任者である総主事も、これまで長く務められた渡部さん(現NCC議長)から具志堅さんに交代となって、フレッシュなスタートを切ったのですが、早々に今回の新型コロナ感染症ですべてがストップし、聖書の売り上げにも支障が出ているとうかがいました。

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新しい聖書協会共同訳は、様々な版が次々に出版されていますし、点字版も40巻すべてが完成したそうです。(上は創世記とトビト記。下の写真で、他の聖書との比較で、点字版聖書のそれぞれの大きさがわかるかと思います)

これまで青山に会ったバイブルハウスは、現在は実店舗を閉鎖し、オンライン販売になっています。是非ご利用ください。

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久しぶりに銀座まで行きましたが、確かに人通りが少なくなりました。それでも雨の中、距離をとって、たくさんの人が並んでいる店が。聖書協会のすぐ隣のアップルストアでありました。

なおカトリック教会の典礼では、現在も新共同訳聖書を主に使用しています。新しい訳に変更するためには、カトリックの典礼で使用するために言葉を調整しなければならないところなどもあり、簡単には進まないと、関係者から聞いています。

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2020年6月 7日 (日)

助祭叙階式@東京カテドラル

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6月6日土曜日の午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区の小田武直神学生と宮崎翔太郎神学生の助祭叙階式を執り行いました。

本来は4月に、豊四季教会で行う予定でありました。豊四季教会の皆さんには、いろいろと準備をしていただいたのですが、今般の状況のために、公開ミサを行うことができません。同時に、神学生は司祭になるためには、必ず助祭に叙階されなくてはならないのですが、その助祭職を、少なくとも半年は過ごさなければなりません。そういったこともあって、6月6日に、非公開ミサで、教区や神学院の関係者だけが参加して、叙階式を執り行いました。今回も、いつもの配信ミサと同様、イエスのカリタス会のシスター方が、聖歌を歌ってくださいました。また、叙階式には必ずつきものの諸聖人の連願は、教区式典長のひとりである高田神父が独唱しました。これらは、ビデオをご覧ください。

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現在、東京大司教区には、司祭へ向けて養成中の神学生が、助祭を含めると七名おります。すでに関口で働いているホルヘ助祭を初め、今回叙階された二人。そして助祭叙階準備中の神学生がひとり。さらに哲学の段階に三名がおります。神学生たちの召命のために、お祈りくださいますように、お願いいたします。

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以下、助祭叙階式の儀式書には説教が記されているのですが、その前部分に付け加えた説教の原稿です。

  宮崎神学生・小田神学生助祭叙階式
2020年6月6日
東京カテドラル聖マリア大聖堂

 

今年の東京教区助祭叙階式は、歴史に残るような状況下で行うことになってしまいました。新型コロナウィルスの感染が広がり緊急事態宣言まで発令されたり、様々な活動の自粛が呼びかけられています。教会も灰の水曜日以降、公開のミサを中止する措置をとらざるを得なくなりました。この数日は、暗闇の中にもやっと出口の光が見えるようになってきたと感じますが、まだまだ完全に終息したわけではなく、慎重な行動が必要です。そのようなわけで、今日の助祭叙階式も、本来は小教区の共同体の方々と喜びを共にしながら行うところ、非公開で行っています。

当初は軽い風邪のようだと言われていたものの、感染経路が定かではないことや治療法が確立されていないため、わたしたちは暗闇の中に光を持たないまま放り出されたような気分になっています。先行きに希望が持てず不安が増すときに、守りに入るわたしたちの心は利己的になり、社会全体に殺伐とした雰囲気が漂い始めます。

「わたしの喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである」と福音に記されています。

わたしたちの信仰は、暗闇の中に輝く一筋の光のように、不安をぬぐい去り、生きる希望を生み出すものです。信仰は希望そのものです。そして将来に対する確固たる希望が生まれるとき、そこには喜びが生まれます。わたしたちが心の壁を築いて利己的になり、自分の内にこもるとき、暗闇が支配し、希望は生まれず、喜びもありません。

「出かけていって実を結び、その実が残るように」と選ばれて呼ばれているわたしたち奉仕者は、暗闇に勇気を持って踏み出し、人との交わりの中で心の壁を打ち砕き、光を輝かせて希望を生み出し、多くの人の心に喜びを分かち合いたいと思います。

光が失われ、希望が失せ、喜びが消え去るとき、暗闇が支配する社会にあって、人間のいのちは危機に直面します。時に殺伐とした言葉の投げ合いが、いのちを奪うこともあります。助けを必要としている人が、忘れ去られ、排除されてしまいます。神からの賜物であるいのちが、感染症のためではなく、分断されたきずなのために、危機に直面しています。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語るイエスは、十字架での死をもって、それをあかししました。教会で奉仕するように呼ばれたわたしたちは、その十字架の愛のあかしに倣って生きることが求められています。疑心暗鬼の中で彷徨う世界のただ中にあって、心に築かれた守りの壁を打ち砕き、助けを必要としている人たちに目を向け、常に希望の光を掲げる気概を持つ奉仕者を目指して、助祭の務めを果たしてください。(以下:儀式書本文に続く。「皆さん、皆さんのご親族、あるいは友人であるこの方々は、間もなく助祭団に・・・」)

 

 

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2020年5月29日 (金)

聖パウロ六世の記念日

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本日5月29日は、聖パウロ六世教皇の記念日です。典礼暦では任意の記念日ですので、パウロ六世と特別な関係のある、例えば男女のパウロ会や師イエズス修道会などの方々のミサでは記念されたと思いますが、実はカリタスジャパンにとっても重要な記念日です。

カリタスジャパンもその連盟の一員となっている国際カリタスは、聖パウロ六世を創立者のひとりと考えています。もともと国際カリタスは、聖オスカル・ロメロ大司教、コルカタの聖テレサ(マザーテレサ)、聖マルチノ・デ・ポレスを保護の聖人と定めていました。2018年にパウロ六世が列聖されたことから、保護の聖人に加わったことになります。

パウロ六世が、国際カリタスの創立者のひとりと考えられているのは、次の理由です。もともとカリタスと名乗っている教会の慈善運動体は、19世紀にすでにスイスやドイツなどを中心に誕生していましたが、現在のような教会公認の世界的組織となったのは、第二次世界大戦後のことです。

1951年にピオ十二世のもとで、国際カリタスは誕生しました。そのときの創立メンバーは、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、ルクセンブルグ、ポルトガル、スペイン、スイス、米国の十三カ国の教会慈善活動組織でした。

その前年から、この活動の国際組織化に興味を示し、指導をしていたのが、当時バチカン国務省の次官を務めていたモンティーニ師。後のミラノ大司教、そして後の教皇パウロ六世です。モンティーニ師の助力がなければ、現在のような形での組織化は難しかったと言われています。その意味で、モンティーニ師は国際カリタスの創立者のひとりであり、また後に教皇パウロ六世となってからも、様々な形で国際カリタスの活動に関わってくださいました。

なお日本(カリタスジャパン)が国際カリタスの連盟に名を連ねたのは1970年。ちょうど五十年前のことになります。

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2020年5月22日 (金)

ニコラス神父様帰天

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2008年から16年まで、イエズス会の総長を務められた、アドルフォ・ニコラス神父様が、5月20日午後に帰天されたとのことです。イエズス会日本管区によれば、こういった状況ですので、5月23日夕方五時に行われる予定の葬儀ミサには、感染症対策のため参列を控えてほしいとのことですが、ライブ配信も行われるとのことです。ニコラス神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

スペインで1936年に誕生されたニコラス師は、神学生時代の1961年に来日、その後日本で1967年に司祭叙階を受けられました。1978年から84年には、マニラにあるEAPI(東アジア司牧研究所)の所長を務めたり、1993年から99年まではイエズス会の日本管区長、東京教区にとっては2000年から04年までCTIC(カトリック東京国際センター)のメンバーとして、現在のCTICの活動の基盤を整えてくださいました。日本の教会にとっても、神学的にも、霊性的にも、活動の上にも大きな貢献をされたイエズス会員であったと思います。

実は、わたしは、ニコラス師とほとんど接点がなく、よく存じ上げないのです。というのも、わたしが司祭養成を受けたのは神言修道会ですから、養成はすべて名古屋で行われ、中学から大学院まで、すべて南山学園なのです。つまり上智で教えられていたイエズス会員には、まったく接点がありません。東京の神学院で学ばれた司祭や、東京を中心に活動してきた方は、ニコラス師の偉大さをよくご存じなのだろうと、今回の帰天にあたって、様々な場で語られる言葉を見て感じます。しかもわたしは、神言会の司祭になってからも86年から95年頃まで日本にはいなかったので(ほとんどガーナの山奥にいたので)、ニコラス師も関わったと聞く、その頃行われたナイスの二回の全国会議も、わたしは全く体験していません。さらに男子の修道会の管区長は、国内には30数名ほどしかいませんが、全国の集まりをしていてそこで知り合うのですが、わたしの神言会の管区長任期は99年から04年で、ちょうどニコラス師がイエズス会管区長を終えるときと入れ替わり。ですからこれまで全く接点がありませんでした。

一度だけ直接お会いしたことがあります。2015年12月。ローマで開催された、教皇庁福音宣教省の第十九回総会の席でした。そのときの様子は、当時の「司教の日記」のこのリンクに掲載されています。かつて黒い教皇とまで言われたイエズス会の総長ですから、集まっていた多くの枢機卿たちも尊敬の念を抱きながら、ニコラス師と意見の交換をしていたことを覚えています。(白い教皇が本物の教皇様、赤い教皇が福音宣教省長官、黒い教皇がイエズス会総長、などとかつては言われたほどに力があるポジションだったようです。色は、着用するスータンの色です。写真は、総会の際に、タグレ枢機卿と話し合うニコラス師)

ニコラス師は総長が終わられてからもマニラなどで活躍されていましたが、病を得て日本に戻り、2018年夏からはロヨラハウスで生活されておられました。一度だけ、ロヨラハウスを訪問してお話をさせていただいたとき、ニコラス師とも少しだけ言葉を交わすことができました。

昨年11月には、教皇様が訪日されたとき、お二人が再開する機会がありました。

わたしたちは教会を導く聖霊の働きを信じています。聖霊がより良く働くためには、その実りを具体化する器が必要です。ニコラス師も聖霊の働きを日本の教会に、そして世界の教会に具体的にもたらす有能な器であったと思います。燃えさかろうとする聖霊の火を吹き消すことなく、さらに燃えたたせるように、ニコラス師の生涯に倣って、聖霊を働かせるための器に徹したいと思います。

ニコラス神父様の永遠の安息を、心からお祈りいたします。

 

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2020年5月 2日 (土)

5月は聖母月です

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伝統的に、5月は聖母月とされているのはご存じの通りです。一年の典礼において、聖母を記念する日はいくつもありますが、一ヶ月が聖母のために捧げられているのは5月と10月です。10月は特にロザリオの月とされています。

教皇様は、世界各地で猛威を振るう新型コロナの感染症拡大の中で、多くの人が外出を自粛したり禁止されたりすることから、家族での祈りの大切さを指摘して、この5月に特に家族でロザリオを唱えるように招いておられます。

「五月は、神の民がとりわけ熱心におとめマリアへの愛と崇敬を表す月です。五月には家庭で家族一緒にロザリオの祈りを唱える伝統があります。感染症の大流行によるさまざまな制約の結果、わたしたちはこの「家庭で祈る」という側面がなおさら大切であることを、霊的な観点からも知ることになりました」

日本では、多くの場合、家族全員が信徒であることは少ないことでしょう。もし家族全員が信徒であるなら是非一緒に、またお一人でも、教皇様の呼びかけに応えて、この5月にはロザリオの祈りを捧げましょう。

また教皇様は、今般の事態にあって、ロザリオの祈りとともに捧げる祈りを二つ示されています。このリンクから中央協議会のホームページで、その祈りをご覧ください。

5月に聖母マリアに祈りを捧げることについては、歴代の教皇がその大切さを説いてきたところですが、例えばパウロ六世は第二バチカン公会議後の典礼改革のなかにあって、聖母への信心の重要性を説いた「マリアーリス・クルトゥス」でこう述べています。

「ロザリオは天使による喜ばしいあいさつとおとめの敬虔に満ちた承諾から始まって、福音からインスピレーションを受けて、信者がそれを唱えるべき態度を示唆しています。アヴェ・マリアの祈りを繰り返して唱え続けてゆくことによって、ロザリオはわたしたちに今一度福音における基本的な神秘であるみことばの受肉を提示してくれます。マリアはこの神秘をお告げという決定的な瞬間において黙想したのでした。このようにして、ロザリオは過去におけるよりもおそらく今日において、司牧担当者や神学者たちが好んで定義するように、「福音の祈り」であるといえるのです。」(44)

また1965年に、特に世界平和のために聖母に祈ってほしいと呼びかけた「メンセ・マイオ」では、こう述べています。

「五月は、より頻繁で熱心な祈りのための力強い励ましであり、わたしたちの願いがよりたやすくマリアのあわれみ深い心に近づく道を見いだすときです。教会の必要が求めるときに、あるいは人類が何か重大な危機に脅かされているときにはいつでも、キリスト者に公の祈りをささげるよう勧めるためこのマリアにささげげられた月を選ぶのは、わたしの先任者たちに好まれた習慣でした」(3)

一日も早く今般の事態が終息するように、また病床にある人たちにいやしが与えられるように、医療関係者に守りがあるように、経済の悪化でいのちの危機に直面する人たちに助けがあるように、政治のリーダーたちがいのちを守るための正しい決断をすることができるように、主イエスの守りと導きが豊かにあるように、ロザリオの祈りを通じて、聖母マリアの取り次ぎを祈りましょう。

なお、5月13日(水)はファティマの聖母の記念日です。1917年5月13日から10月13日の間にポルトガルで、ルチア、ヤシンタ、フランシスコの三人の子どもたちに、聖母は六回出現されました。

この記念の日、5月13日水曜日に、東京カテドラル聖マリア大聖堂で祈りのときを持ち、ロザリオの祈りをささげたいと思います。時間はまだ未定ですが、5月13日水曜日の夕刻になろうかと思います。これについては調整がつき次第、あらためてお知らせします。また、この夕べの祈りのひとときは、インターネットで配信することで、皆さんにも一緒にお祈り頂ければと思います。(付記:残念ながら、ミサと同じく、このロザリオの祈りも「非公開」ですので、聖堂で参加して頂くことはできません。ネット配信します)

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2020年4月16日 (木)

福岡の新しい司教のアベイヤ司教

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すでにご存じのことと思いますが、教皇様は4月14日付で、大阪大司教区の補佐司教であるヨゼフ・マリア・アベイヤ司教様を、福岡教区の司教に任命されました。アベイヤ司教様、おめでとうございます。(写真は2018年7月の司教叙階式の際に、クラレチアン会の仲間と)

アベイヤ司教様はスペインで1949年11月に生まれ、1975年にクラレチアン会の司祭として叙階されています。日本での宣教歴は長く、日本管区長や、クラレチアン会の総会長も務められました。

今般の感染症の拡大の事態にあって、着座式(すでに司教ですから、叙階式はありません)の日程がどうなるのか未定です。通常は、任命されてから2ヶ月以内に着座となるのですが、これは福岡教区の決定を待ちましょう。

さてこれで、日本の教会で司教が不在なのは、新潟と仙台の二つになりました。福岡が一年の空位で後任が決まったことは、近頃珍しいことだと思います。新潟は2017年12月から現在に至るまで空位で、わたしが今でも、使徒座管理者として東京大司教と兼任しています。

2009年に札幌教区の地主司教様が引退されたときも、わたしが新潟の司教と兼任しましたが、このときもほぼ4年の空位となりました。わたしは司教になって15年ほどですが、そのうちの6年強を、どこかと兼任していることになります。もちろん牧者としての司教が不在と言うことは、教会共同体にとってはふさわしい事態ではないので、一日も早く新しい司教が教皇様から任命されることを祈っていますが、同時に、国内的には、それぞれの教区は独立した宗教法人ですから、その代表役員が不在(現在わたしは二つの代表役員を兼務)の事態となりますし、代表役員の役職上就任しなければならない学校法人や社会福祉法人の理事とか評議員という立場も多々あるので、空位が続くことは教区運営に様々な困難を生じさせます。

福岡の新しい司教誕生を喜び祝うと共に、同時に、空位となっている二つの教区にも、一日も早くふさわしい牧者が与えられるように、皆様のお祈りをお願いいたします。

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2020年4月12日 (日)

典礼祭儀のネット配信は簡単ではありません

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東京教区では、今回の感染症の事態にあたって、2月27日から「公開のミサ」を中止にし、3月1日から、主日のミサのネット配信を始めました。

「公開のミサ」の中止とは、教会でミサが中止になったという意味ではなくて、誰でも普通に自由に参加することのできるミサ(公開)を中止し、すべて「非公開」としたということです。これについては何度もご説明してきましたが、司祭はミサを捧げる義務がありますから、少なくとも日曜日には必ずミサが捧げられていますし、主任司祭は日曜日に、小教区の方々のためにミサを捧げる義務があります。

ですから現在ミサは「非公開」です。誰にでも自由にミサにあずかって頂くことはできません。その意味で、多くの信徒の方には、ミサの中止という事態になっています。最初は、入場制限とか、抽選とか、いろいろと考えましたが、どのような方法にも無理があるので、東京教区内は一律に非公開としました。それに一番に考えなくてはならないことは、大勢でミサをしないのは、自分が感染しないように護ることではなくて、今回の感染症の特徴である、無症状の感染者が、知らないままに他人に感染を広げてしまうことを避けるためです。自分は大丈夫だからは、今回は通用しません。

そこで、少なくとも主日のミサを、カテドラルからネットで中継することにしました。ミサの映像配信にはいろいろな考え方があると思いますが、カテドラルからの配信は、感染の危険を最大に避けながらも、しかし同時に典礼の荘厳さを失わないようにしっかりとした構成をすることを目指しました。

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幸い、以前からミサ配信の可能性を検討してくれていた関口教会の信徒の青年が、ボランティアで協力してくれることになりました。早速、主任司祭の天本神父が中心になって、必要な機材の調達が始まりました。全くのゼロからの挑戦です。そもそもネット環境も、大聖堂にはなかったので、その手配も簡単ではありません。当初は機材の関係から、土曜日の夕方に録画して、日曜に配信としました。しかも、必ず、歌ミサで、すべてに字幕を入れることにもしました。また祈りの機会ですから、余分な解説は一切入れないことにもしました。

これが実は大変難しい挑戦でした。一番簡単なのは、祭壇だけが映るようにして、固定したカメラで中継することですが、できる限り典礼の荘厳さを出すために、複数のカメラを使用することにしました。

そして歌や朗読でシスター方の協力をお願いしました。

ミサに参加してくださっているのは、カテドラル構内に修道院のある師イエズス修道会(ピエタのシスター)とすぐ近くに住むドミニコ宣教修女会のシスター方で、これに2回目からは、聖歌を歌いオルガンを弾くために、イエスのカリタス会のシスターと志願者が10名ほど、協力してくれています。

しかし問題は、今度は感染予防です。聖堂内は、シスター方だけで20名近くになります。

最初は地下聖堂で、録画しました。ところが、地下聖堂の音響機器が古く、音をとるのが難しい。さらには地下聖堂は、100名ほど入る大きさと言ってもやはり狭く、換気がよろしくない。

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そこで、大聖堂にて撮影することにしました。この頃には、機材も整いはじめ、さらに大聖堂の音響機器は新しいもので、音をとることも地下よりは容易になります。ただ今度は、大聖堂は非常に巨大な空間で、予備の椅子も出せば千人ほどが入れる空間ですから、カメラを3台駆使して撮影することで、わかりやすさと荘厳さを両立させることになりました。

一番最初に大聖堂から配信したときは、映像が安定せず、ツイッターなどでいろいろご意見をいただきましたが、担当の信徒ボランティア(この段階では3名)の努力で、様々な機材が「開発され」、無線で方向を変えたりズームしたりすることもできるようになり、一台をオルガンへ上がる階段、もう一台を聖堂右側にポールを立てて固定、そしてもう一台を移動用にして、映像を調整することができるようになりました。特に土曜の夜などに、改善のために遅くまで取り組んでくれて、感謝の言葉しかありません。また3名のボランティアの方と一緒に、努力を続けている天本神父にも感謝です。

生中継で字幕を入れるためには、事前に原稿を用意して、ミサ当日にはそのまま読み上げなければなりません。また字幕入れは、画像調整の場で、事前に用意した画像を重ねる形で、その場で手作業でタイミングを計っています。聖週間の典礼のように、普段と異なる場合は、事前の打ち合わせが不可欠ですが、そのために充分な時間をとることも難しく、ミサが始まる直前まで直しが入ったり、大変な努力をして頂きました。そのため中継中に少し異なる文面になったりしたところもありました。申し訳ありません。

専門家ではない信徒の方々の、この積み重ねで到達した映像は、聖週間の映像をユーチューブで見ていただければおわかり頂けると思いますが、専門家に外注したわけではなくて、教会のメンバーの手作りです。感謝の言葉しかありません。

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さてここからは感染予防の課題です。まず第一に、映像は遠くからズームで撮影するので、前後の距離感がうまく表現できません。そのため祭壇上などでは、司祭と侍者が重なって見えていますが、これは写真のように、前後が2メートルも離れています。(赤い椅子が司祭、白い椅子に侍者が座っています)

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さらに聖堂内のベンチは、これも写真を見て頂くとおわかり頂けると思いますが、通常の倍の距離で配置されています。前と後ろの間は1.8メートルです。そして通常は4名ほどが座るベンチに、一人だけ座って頂くように、テープで指定をしました。

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この写真は、以前の聖堂(右側)と、現在の聖堂(左側)です。

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聖歌を歌ってくださるカリタス会のシスターや志願者10数名には、離れて頂くために、祭壇から遠い大聖堂の一番後ろに、左右に大きく離れて、それぞれの距離が2メートルになるように、配置して頂いています。そのため、一番左にいるシスターなどは、右にいる指揮者のシスターを見るために、ミサ中には前でなく右を見て歌を歌って頂くなど、ご苦労をおかけしています。様々なご苦労と工夫に、本当に、感謝しています。

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さらに、大聖堂は暖房を入れると内気循環になってしまうので、すべての典礼の時には、暖房を使っていません。寒いです。さらに、さらに、大聖堂は、前の左右の扉を開け、正面の扉を開けているので、風が吹いています。お気づきになったかも知れませんが、聖金曜日の典礼での説教中に、説教の原稿をこの風で飛ばされそうになり慌てました。(上は、復活の主日のミサの説教中です。映像には映らない、大聖堂の空っぽなところが見て取れるかと思います)

ミサ中にも、いくつかの細かい変更をして、接触を減らそうとしています。奉納のところと、平和の挨拶の後には、祭壇の後ろで、わたしと司祭たちは手指をアルコール消毒しています。わたしも消毒した直後以外では、ホスチアに触らないようにしています。また、これもズームのため映像ではわかりにくいと思いますが、祭壇でのわたしの立ち位置は、普通よりも後ろに離れていて、後ろに1メートル以上下がって、祭壇中央に置かれたカリスからの距離を2メートル近くにして司式しています。

聖マリア大聖堂は、他のいくつかの聖堂と比較すると、巨大な建造物で、かなりの間隔を空けていても、見た目にはなかなかわかりにくいかとは思いますが、これからもできる限りの注意を払って、取り組んでいきたいと思います。

なお、昼間のミサですと、何名かの方が教会に来られて、聖堂の中に入られることを希望されますが、大変申し訳ないのですが、お入れすることはできません。感染予防の意図と、行政が要請している外出自粛の意図を、どうかご理解ください。できる限り、ご自宅で、祈りの時を一緒にしてください。インターネットがない場合は、同じ時間(日曜日の10時から)に心をあわせて、聖書と典礼などから朗読を読み、祈りでご一緒ください。お願いします。

東京カテドラル聖マリア大聖堂の、非公開ミサに入って頂くのは、現時点では、わたしの方からお願いする修道者の方と、配信のためのスタッフだけに限らせて頂いています。「シスターではなくて、ベールをかぶっていないから信徒がいた」というご意見をいただきましたが、それはカリタス会の志願者か、パウロ会のシスターであろうと思います。

公開ミサの中止期間にあっては、これからもこの形でミサの中継を続けていくつもりでおります。通常の事態に戻ったらどうするのかは、まだ決めかねています。今の状況では、中心になって動いてくださる信徒に大きな負担がかかってしまうので、普通の状態に戻ったときには、また協力者を増やすなどして、対処できれば良いなとは思っています。

何気なくネットで配信しているように見えますが、本当に多くの方の協力と、そして今の事態では細心の注意を持って、成り立っていることを、ご理解頂ければと思います。協力くださっている信徒の方々、シスター方に、感謝します。

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2020年2月21日 (金)

ミャンマーの視察旅行

Myanmar2010

東京教区は、1979年以来、ミャンマーの教会を支援しています。毎年11月の第3日曜日は「ミャンマーデー」と定められ、ミャンマーの教会支援のための献金が続けられています。

教区のホームページには、次のように記されています。

「東京大司教区は1964年よりドイツのケルン大司教区と姉妹関係を結び、お互いに助け合い、祈り合う関係を保っています。1979年には両大司教区の友好25周年のお祝いが行なわれました。当時の白柳誠一東京大司教(後に枢機卿)は、ケルン教区の精神を学び、ケルン教区の召命のために祈るよう教区の全信者に呼びかけました。来日していたヘフナー枢機卿(当時のケルン教区長)と白柳大司教は、ケルン教区の精神をさらに発展させようと考え、25周年以降は力をあわせてミャンマー(旧ビルマ)の教会を支援することに合意しました。こうして東京大司教区では、毎年11月の第3日曜日を「ミャンマーデー」と定め、ミャンマーの教会のための献金を呼びかけることになったのです。ミャンマーが支援先に選ばれたのは当時ミャンマーが最も貧しい国の一つであり、援助を必要としていたからです」

Myanmar2004

この数年間は、築地教会のレオ神父様やCTICの高木健次神父様を中心に、ミャンマーの神学生養成支援を行ってきました。その一環として、ミャンマーに16ある教区全体の哲学過程の神学院(2年間)として、マンダレー大司教区のピンウーリンに設置されている神学院で、建物建設を支援してきました。これまでに宿舎や教室、食堂、図書館、ホールなどのために2棟が完成しています。計画としてはもう1棟宿泊棟を建てて計画は完了ですが、このたび2月の第一週に3棟目の起工式が行われたため、出席することにして、それ以外の支援先の視察もかねて現地まで出かけてきました。訪問団は、レオ神父、高木健次神父、天本神父、泉雄生神父に私5名に、現地で活動する御受難会の畠神父様と支援する信徒の方お一人の7名の訪問団となりました。

Myanmar2001

マンダレーでは昨年大司教になったマルコ・ティン・ウィン大司教様に迎えていただき、多くの司祭団やシスター方から歓迎していただきました。

Myanmar2008

翌朝6時には、マンダレーのカテドラルでミサを司式させていただきましたが、早朝にもかかわらず、多くの司祭やシスター方、そして信徒の方々がミサにあつまり、香炉まで使う荘厳なミサでした。なおミサは英語で司式させていただきました。

Myanmar2020
Myanmar2009
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ちなみに首都のヤンゴンあたりは、日中も30度を超える暑さですが、マンダレーあたりは標高も高く、今回の6日間の訪問の間は、朝晩を中心に非常に涼しく、日本の冬の服装でも構わないほどの「寒さ」でありました。

Myanmar2015

その後、車で2時間ほど移動して、神学院のあるピンウーリンへ。全国16教区から35名ほどの神学生が学んでいました。哲学課程2年の神学院で、日本と同じ16教区から35名ですから、神学生は日本よりも多くいます。

Myanmar2017

神学生や、近隣にある養護施設の子どもたちも参加して、基礎への祝福とコンクリート流し込み、そして植樹の後に食事会。その後にはホールで、神学生や子どもたちが、ミャンマーの諸部族の伝統的な歌や踊りを披露して歓迎してくださいました。

翌日には近郊の小神学院の隣で引退されている前教区長のニコラス・マン・タン大司教の家を訪問。ニコラス大司教は、引退後に農業に目覚めて、家の庭一杯に畑やハウスを作り野菜作りに励んでおられました。

そして一行はさらにラーショーの町へ。ここではまもなく75歳になる教区長のフィリップ司教様と、その前の週に司教叙階を受けたばかりの協働司教であるルカス司教様に迎えていただきました。ルカス司教はサレジオ会員で、その叙階式には、さいたま教区の山野内司教も参加されたとか。

Myanmar2023

東京教区は、かつてケルンから豊かに援助していただきましたから、今度はその受けた恵みを、さらに必要としているところへ渡していきたいと思います。そうすることで今度は、その「恵み」が、さらに次の必要としているところへ手渡されていくことによって、互いに支え合う愛の輪が広がっていくことを期待しています。

Myanmar2025

迎えてくださったミャンマーの教会の皆さんに感謝するとともに、これまで支援をしてくださった東京教区の皆様にも心から感謝いたします。まだまだミャンマーの司祭養成支援を続けていきたいと思います。

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