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2020年11月18日 (水)

教区災害対応チームによるオンラインパネルディスカッションが開催

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東京大司教区には、まだまだ始まったばかりですが、災害対応チームが存在しています。東日本大震災を教訓に、これから起きるであろう災害に備えておくためでもあり、またカリタスジャパンが作成した災害対応マニュアルを実施するためでもありますが、なにぶん初めての挑戦なので、試行錯誤が続いています。

その中で、今回の新型コロナ感染症の拡大は、自然災害にも匹敵する影響を社会に及ぼし、また教会もその影響を大きく受けていることから、災害対応チームの視点からどういった対応が可能であるのか、模索してきました。

その一つが、教区ホームページにも掲載している「コロナ対応支援プラットフォーム」と名付けたブログの開設です。詳しくはこちらのリンクからご覧いただき、その上で、このブログを参照していただければと思います(コロナ対応支援プラットフォームはこちらのアドレスです。 http://catholictad.jugem.jp/

それ以外にも、Facebookにおいて、こちらのリンクで発信をしていますので参照ください。

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この災害対応チームでは、教会活動がコロナ禍のために困難を極める中で、さまざまな取り組みを、特にオンラインで行っている事例を紹介しようと、去る11月14日午後1時半から、オンラインでパネルディスカッションを開催しました。

当日は、教区内で次の方々にパネラーとしてご報告をいただ来ました。

A: カトリック西千葉・千葉寺教会
「リモート聖書講座・主日の福音」 
福島 一基 神父(西千葉教会・千葉寺教会主任司祭) 田中 修さん(講座受講者 千葉寺教会信徒)

B: ドン・ボスコ オラトリオ
「日本語講座にみるベトナム人技能実習生の今」
田村 宣行 神父(サレジオ会) 春山 ミカエル ラップ 神父(サレジオ会)

C: カトリック梅田教会 教会学校 「継続が一番」
藤本 陽子さん(教会学校リーダー) ラメイ アレックさん(教会学校リーダー)

D: カトリック調布教会 教会学校
「これからの教会学校の在り方を見つめて」
荒川 讓二さん(教会学校アニメーター サレジオ会哲学生) 木下 敏孝さん(調布教会教会委員長)
古川 晴麻さん(教会学校生徒)古川 美帆子さん(教会学校保護者)

参加して報告くださった皆さんありがとうございました。このパネルディスカッションの様子は録画してありますので、東京教区のホームページから是非ともご覧ください。録画を見ることの出来るリンクはこちらです。また今後もこのようなオンラインパネルディスカッションを開催して、「困難なときにこそ新たな取り組みを」めざして、体験を共有し、教区全体で生かしていくことが出来ればと思います。

以下、当日のパネルディスカッション冒頭での、私のメッセージです。

本日は多くの方に、オンラインパネルディスカッションに参加していただき、ありがとうございます。

カトリック東京大司教区の災害対応チームとしては、新型コロナ感染症は、地震などの災害と変わらない大きな影響を社会に及ぼしていると認識し、感染症が認知された当初から、教会としてどのような対応が出来るのかを模索してきました。

感染症の拡大は社会全体に大きな影響を及ぼしていますが、教会にもおなじように大きな影響を及ぼしています。社会全体もそうですが、教会も、いのちの危機に直面して、どこに向かえば光が見えるのか分からずに、暗闇の中で彷徨っているような感覚です。

とりわけ教会は大きな影響を受けています。なんといっても、新型コロナ感染症から身を守るために、密集、密閉、密接といった三つの密を避けることが提唱されていますが、教会はまさしくミサを捧げるためにこの三つの密に満ちあふれているところだからです。たくさんの人が狭い場所に集まって、みんなで聖歌を大きな声で歌ったりするのですから、教会は三つの密と共にあると言っても過言ではありません。それが出来ないとなると、とたんに教会はアイデンティティの危機に直面しました。特にカトリック教会は、集まって聖体祭儀に与り、御聖体を拝領することが重要なのですから、それに困難を感じている今、教会は、いったい自分たちはどうあるべきか、大きな悩みを抱えてしまっています。

残念ながら、この危機的状況は、すぐには解決しそうにありません。それなりに感染対策には心を配るようになりましたが、それでも以前のような活動に戻ることは当分難しいと思います。

そんな中で、単に失ったものをどう補充するかという視点だけではなく、与えられている使命、すなわち福音を、「時が良くても悪くも」伝えていく使命から、わたしたちキリスト者は逃れることは出来ません。この困難な中で、どうやったら積極的に福音を伝えていくことが出来るのか。

そこに21世紀の今、わたしたちにはインターネットという道具があります。それを使って教会は何が出来るのか。それも失ったものを補填する補助的な活動ではなくて、積極的にどう打って出るのか。

その道を探るために、今回のオンラインパネルディスカッションを企画しました。東京大司教区の災害対応チームとしては初めての試みです。

「コロナ禍の今、教会(わたしたち)のミッション」。

コロナ禍の今でも、今だからこそできるミッションが、私たちにはあるのではないでしょうか。
実際の取り組みに耳を傾け、新たな道を一緒に模索していきたいと思います。

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報告者は、それぞれの場所からZoomを使って報告をしていただきました。教区本部の司教執務室を配信の拠点として、担当司祭の豊島神父をはじめ私を含めて5名で、役割を分担し、同時配信いたしました。途中、報告が途切れるといったトラブルもありましたが、司会を担当した教区広報の赤井さんが名司会で切り抜けました。

今後もこういった企画を続けますので、是非教区の中で挑戦していることを分かち合いたい小教区や団体は、教区本部までご連絡区ださい。

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2020年11月14日 (土)

貧しい人のための世界祈願日・そして聖書週間

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11月15日の年間第33主日は、教皇様によって、「貧しい人のための世界祈願日」と定められています。今年で第4回目となります。今晩公開する週刊大司教では触れていませんが、次週、王であるキリストの主日の週刊大司教において、教皇様のメッセージに触れることにしています。

今年の祈願日にあたり、教皇様はメッセージを発表されています。タイトルは、「貧しい人に援助の手を差し伸べよ」というシラ書7章32節の言葉です。メッセージ全文はこちらのリンクからお読みいただけます。その冒頭の部分を引用します。

「古来の知恵はこのことばを、生活の中で従うべき聖なる規範として示しました。このことばは、今日、その重い内容すべてをもってこだまし、本質を見つめ、無関心という障壁を越えられるよう、わたしたちをも助けてくれます。貧困はつねにさまざまな顔をもっており、個々の状態に目を向けなければなりません。その顔一つひとつを通してわたしたちは、兄弟姉妹の中のもっとも小さい者の中にご自分がおられることを明らかにされたかた(マタイ25・40参照)、主イエスと出会うことができます。」

教皇様は、「貧しい人に援助の手を差し伸べよ」という聖書のことばを何度も繰り返しながら、現在の世界の現実を指摘しながら、悔い改めを呼びかけておられます。そこにはこういう一節もあります。

「「貧しい人に手を差し伸べよ」。このことばは、ポケットに手を入れたまま、貧困に心を揺さぶられることのない人の姿をかえって際立たせます。彼ら自身も往々にして、貧困を生じさせることに加担しています。そうした人々は、無関心と冷笑主義を日々の糧としています。」

そして教皇様は、このメッセージを、聖母への祈りで締めくくります。メッセージの終わりにこう記されています。

「だれよりも貧しい人の母でおられる神の母が、貧しい人と日々出会いながら歩むこの旅に寄り添ってくださいますように。おとめマリアは、社会の片隅に追いやられた人の困難と苦しみをよくご存じです。ご自身も馬小屋で御子を産んだからです。そして、ヘロデ王による迫害から、夫のヨセフと幼子イエスとともに他国に逃れることになりました。聖家族は数年の間、難民として暮らしたのです。貧しい人の母であるマリアへの祈りにより、マリアの愛する子らと、キリストの名においてその子らに仕える人とが一つに結ばれますように。そして、差し伸べられる手が、分かち合いと、取り戻された兄弟愛による抱擁へと姿を変えますように。」

貧しい人のための世界祈願日は、いつくしみの特別聖年(2015年12月8日~2016年11月20日)の閉年にあたり公布された使徒的書簡「あわれみある方と、あわれな女」において定められました。使徒的書簡はこちらのリンクからご覧いただけます。

さて11月15日から一週間は、聖書週間と定められています。カトリック中央協議会のホームページには、次のように解説されています。

「聖書週間は、1976年5月の定例司教総会で、全国的に聖書に親しみ、聖書をより正しく理解するための運動として「聖書週間」設定案が当時の宣教司牧委員会から提出され、同年11月の臨時司教総会において1977年11月の第3日曜日からの1週間を「聖書週間」とすることが決定されました。さらに、聖書委員会の発足と同時に委員による活発な啓蒙活動によって、日本のカトリック教会の中でも聖書への関心が高まってきました。その後、カトリック司教協議会による諸委員会の機構改革にともない、聖書委員会は1998年2月に解消されましたが、聖書週間は常任司教委員会によって引き継がれ、リーフレット「聖書に親しむ」とポスターの制作も継続されることとなり、今日に至っています。」

今年の聖書週間のテーマは、特にラウダート・シ特別年であることから、「あなたはたたえられますように」とされています。中央協のリンクはこちらです。

第二バチカン公会議の啓示憲章は、次のように記しています。

「福音が教会の中に絶え間なく完全にかつ生き生きと保たれるように、使徒たちは後継者として司教たちを残し、彼らに「自分たちの教導職を伝えた」のである。それゆえ、この聖伝と旧新約両聖書とは、地上を旅する教会が、顔と顔を合わせてありのままの神を見るときまで、すべてを与えてくださる神を見るための鏡のようなものなのである。(7)」

さらに次のように記して、聖書がカトリック教会における信仰にどれほど重要な意味を持っているかを指摘しています。

「教会は、主の御からだそのものと同じように聖書を常にあがめ敬ってきた。なぜなら、教会は何よりもまず聖なる典礼において、たえずキリストのからだと同時に神のことばの食卓からいのちのパンを受け取り、信者たちに差し出してきたからである。教会は聖書を聖伝と共につねに自らの信仰の最高の基準としてきたのであり、またそうしている。なぜなら、神の霊感を受け一度限り永久に文字に記された聖書は、神ご自身のことばを変わらないものとして伝え、また預言者たちと使徒たちのことばのうちに聖霊の声を響かせているからである。(21)」

その上で、「教会のすべての宣教は、キリスト教そのものと同じように、聖書によって養われ導かれなければならない」と指摘します。

わたしたちの主イエスは、人となられた神のことばであります。それが「変わらないものとして伝え」られている聖書にあらためて親しむ機会、それがこの聖書週間です。カトリック教会独自の翻訳としてはフランシスコ会訳がありますし、また先日1972年から翻訳事業に携わってきた大阪教区の和田幹生神父様が、日本聖書協会から第31回聖書事業功労賞を受賞したことからも分かるように、長年にわたってカトリック教会は超教派の翻訳事業に関わってきました。現在はわたし自身が務めていますが、日本聖書協会の理事には司教が一名加わることを慣例としています。ご自身で、また研究会や祈りの集会などでは、フランシスコ会訳や聖書協会の翻訳(新共同訳や聖書協会共同訳など)を、自由に使ってくださって構いません。カトリック教会の典礼にどれを使うかは、翻訳用語の問題や、教会の祈りにも使われる詩編の翻訳など、乗り越えるべき課題がいくつもまりますが、徐々に前進するでしょう。現在は、ミサの典礼などでは、これまでの長年の経緯もあり、新共同訳を、一部許可を得て言葉を換えながら使用していることは、聖書と典礼などから明らかかと思います。

以下、今年の聖書週間にあたり、日本聖書協会がお願いしている献金の呼びかけに書かせていただいた私の文章です。

「神のことばは、信じる者すべてにとって救いのための神の力」です(啓示憲章17)。聖書に記された神からの語りかけが、わたしたちを生かす信仰の力の源となります。
30年以上前にアフリカのガーナの教会で働いていた頃、私が担当していた地域の部族の言葉による聖書は存在していませんでした。ミサの度ごとに、カテキスタが公用語である英語の聖書を手に、その場で「翻訳」をしていました。残念ながらそのすべての朗読が、ふさわしい翻訳であったとは言えず、伝わるはずの神の思いが充分に伝わらなかったこともしばしばでした。
聖書の翻訳は重要な使命です。そして数多ある言語への翻訳作業とその聖書の普及には、充分な資金が不可欠です。また異なる言語だけではなく、視覚に障害を持たれている方々にも、聖書に記された神のことばを信仰の力としていただきたい。その作業のためにも充分な資金が不可欠です。
聖書週間にあたり、ご自身がまず神のことばから信仰の力をいただくと同時に、未だ聖書を手にすることのできない多くの方々に思いを馳せ、祈りと献金をお願いいたします。

 

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2020年11月 1日 (日)

ヨハネ会誓願式@小金井教会

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10月31日土曜日の午後2時から、小金井教会で、福音史家聖ヨハネ布教修道会の誓願式が行われました。通常は略して「ヨハネ会」と呼ばれるシスター方は、社会福祉法人を通じて、主に桜町病院を中心とした諸施設に関わってきました。同修道会の歴史は、こちらのホームページをご覧ください。

この日は、同会はじめてとなるベトナム出身のシスターが初誓願をたてることになり、東京近隣のベトナム出身の司祭たちが集まりました。感染症対策のため、一般の方を招くことができず、聖堂内は主にシスターたちが間隔を空けて座り、歌唱も最低限としました。

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初誓願を宣立されたのは、シスターピア・レ・ティ・トゥ・フォンさん。おめでとうございます。

そして同じミサの中で、有期誓願を更新したシスターが二人、誓願の金祝をお一人が祝い、さらに60年であるダイアモンド祝を三人のシスターがお祝いされました。金祝とダイアモンド祝のシスター方は、それぞれがあらためて誓願生活への決意の言葉を述べられました。

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コロナ禍にあって、命の危機に具体的に直面してきた私たちは、何かしらの不安を抱えて生きています。先行きが不透明なため、闇の中でさまよい続けているような状況です。その中で、孤独のうちに孤立する人、必要な助けが得られない人、命を生き続けることに力尽きてしまう人、様々な側面から神の賜物であるいのちは危機にさらされています。

教会はその中にあって、いのちの希望を高く掲げたいと思います。その教会で、率先して人生をかけていのちの希望をあかしする奉献生活者の存在は重要です。

教皇ヨハネパウロ二世は、使徒的勧告「奉献生活」に、「他の人々がいのちと希望を持つことができるために、自分のいのちを費やすことができる人々も必要です」と記し、奉献生活者が教会にとって重要な存在であることを指摘されました。

誓願に従い、清貧・貞潔・従順を懸命に生き、福音をあかしする存在として闇の中に輝かれますように。

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2020年10月16日 (金)

日本からのパパモービル、バチカン到着

間もなく、教皇フランシスコが来日されてから一年となります。昨年11月25日は、教皇様が東京カテドラル聖マリア大聖堂を訪れ、青年たちとの集いを行った記憶に残る日でもあります。

コロナ禍で大きな記念行事は出来ませんが、せっかくの一年目ですから、教皇様のカテドラル訪問を記念して、11月25日(水)の午前10時から、わたしが司式して感謝ミサを行います。現在週日の午前10時は、韓人教会の週日ミサの時間帯ですので、その時間を貸していただく形でミサを捧げ、教皇様が残してくださったさまざまな言葉に思いを馳せたいと思います。

ところで、昨年の訪日のとき、長崎や東京ドームでのミサにあたって教皇様が乗車された白いオープンカーを記憶されていますか。写真は、東京ドームで教皇様と一緒に会場内を周回する直前に、バチカンの警備担当がとってくれたものですが、この車、一般に「パパモービル」などと呼ばれる車です。

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もちろんこんな自動車は販売されてはおらず、これはトヨタのMIRAIという水素自動車を、トヨタが改装してくれたものです。環境への配慮を優先事項の一つに掲げる教皇様に、是非ともそれにみあった車に乗ってほしいという関係者の思いが結集して、最終的にトヨタが二台用意してくれました。この日東京ドームスタンド下では、この車の改装にあたったスタッフが教皇様を待ち構え、会場内周回に出る前に、教皇様から感謝の言葉と祝福がありました。

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日本でパパモービルを運転をした担当者(バチカン職員)が、このMIRAIを非常に気に入り、ローマに持ち帰りたいと「それとなく」アピールされたのです。とはいえ、この車はかなりの改造をしてあるので公道を走行できませんし、そもそも水素がないと走りません。そしてローマに水素ステーションはなく、ミラノまで行かないといけないらしい。ちょっとローマまで運ぶのは無理かな・・・と思っていたところ、イタリアトヨタをはじめさまざまな関係者が調整を続け、長い海の旅を経て、このたびバチカンに到着しました。感染症のために日本から関係者は渡航できませんでしたが、イタリアをはじめヨーロッパののトヨタ関係者の手によって、10月初めに無事届けられたとのこと。水素の補給もトヨタがなんとかする模様。トヨタの皆さん、ありがとうございます。

あるサイトから("Najiauto"リンクはこちら、英語です)写真をまとめたビデオを見つけたので、以下に貼っておきます。

 

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2020年10月 4日 (日)

司祭・助祭叙階式@東京カテドラル

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昨日10月3日(土)の午後2時から、カトリック東京大司教区の、司祭・助祭叙階式が、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。

新司祭はメキシコ出身のホルヘ・マヌエル・マシアス・ラミレス神父、新助祭はヨハネ・マリア・ミカエル 古市匡史神学生。おめでとうございます。お二人の植えに神様の豊かな祝福と聖霊の導きがあるようにお祈りします。(上の写真、左がホルヘ神父様、右端は関口の天本神父様、右から二人目が古市助祭)

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お二人への思いは、この記事の前の記事、年間第27主日ミサの説教の中で触れていますので、そちらをご覧ください。

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お二人ともさまざまな道程を経て、東京教区の聖職者となりました。ホルヘ神父は、メキシコから最初はさいたま教区の神学生として来日しましたが、数年前に東京教区に移籍され、司祭叙階への準備をしてきました。古市助祭も、もともとは福岡の出身で、福岡教区の神学生としての養成を受けていましたが、もともと就職で東京に住んでいたことや、そのときに東京で洗礼を受けたことなどから、東京教区への移籍と希望され、現在は次のステップである司祭叙階を目指して養成を受けておられます。

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なお、ホルヘ神父様については、昨日付で関口教会の助任司祭として任命いたしました。これから東京教区で頑張って一緒に働きましょう。おめでとうございます。

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2020年9月24日 (木)

新潟教区司教叙階式@新潟教会

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新潟教区の新しい教区司教、パウロ成井大介司教様の司教叙階式が、9月22日午前10時から、カテドラルである新潟教会で行われました。成井司教様、おめでとうございます。また新潟教区の皆様、成井司教様のご家族の皆さま、心からのお喜びを申し上げます。

だいぶ前から、私の後任となる司教が決まった場合、今度はどのようなお祝いをしたら良いのかを、新潟教区の大瀧事務局長と考えてきました。私が東京大司教に転任したのが2017年の12月ですから、それからほぼ2年半以上の時間がありました。その間、私は新潟教区の使徒座管理者でしたから、毎月一度は新潟へ出かけて、いろいろと相談をしておりました。

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ところが、この感染症の影響で、すべての計画は吹っ飛んでしまいました。そもそも集まることが出来ない。密集、密閉、密接を避けなければなりませんから、できる限り小規模で行わなくてはならない。成井司教様の任命が発表されたときから、非常に悩みました。

しかし、実際にさまざまな対策を講じたことで、かえってふさわしいお祝いが出来たとも感じています。そもそもカテドラルで司教叙階式を行い、司教座への実際の着座も出来ました。2004年に私が新潟で司教叙階されたときは、新潟清心女子校の体育館での式でありました。

また、大きな会場で行えば、たぶん考えることもなかった、ネットでの中継も実現しました。裏方として準備してくださった皆さんに心から感謝します。そしてそんな困難な事情の中で、特に青年たちが中心になって動いてくれました。随所で、数少ない新潟の青年たちが、活躍してくれました。これから成井司教さんと一緒に、新しい新潟教区を生み出していってくれるだろうと、期待しています。

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叙階式は、東京教会管区の管区大司教としてわたしが司式させていただき、その両サイドには、横浜の梅村司教と札幌の勝谷司教がついてくださいました。それ以外に、仙台の管理者である小松神父、さいたまの山野内司教、名古屋の松浦司教、京都の大塚司教、大阪の前田枢機卿と酒井司教、広島の白浜司教が参加してくださいました。

教皇大使は先日帰天されて不在ですので、代理としてトゥミル参事官が参加し、教皇様の任命書を朗読してくださいました。

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成井司教は私と同様、神言修道会の会員ですので、神言修道会の日本管区長ジェブラ神父と、現在は名古屋の南山大学学長でありますが、長いことローマで神言修道会の副総長をしておられたキサラ神父の二人が、全世界の神言会員を代表して参加してくれました。

聖堂内は、距離を保つため、司祭団と、ご家族と、各地区からの代表のみ。全体で70名ほどの参加でしたでしょうか。目の前にいる人数は少なくとも、ネットを通じて、また祈りを通じて、教区全体と日本全体と、そして世界へと繋がっていることを感じる式でありました。ミサの終わりには、サプライズで、青年たちが用意した、教区内の各教会からの写真や動画をつなげ編集したプレゼンもあり、感動の時間でした。

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これで私の新潟での仕事は、すべて終わりました。皆さんに感謝です。ミサの最後に、成井司教と並んで花束をいただけたことは、本当にうれしかったです。あとはすべてを成井司教に任せて、さらなる新潟教区の発展をお祈りします。

叙階式の翌日、天気もよかったので、東京へ戻る前に、新潟教会の周囲を散歩してきました。以前は毎日のように散歩していた道です。新潟は、いつものように、優しく、暖かく、心安まる町でした。またいつか、新潟でお会いしましょう。皆様のお祈りと支えに、心から感謝します。

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2020年8月 6日 (木)

2020年平和旬間

毎年、8月6日の広島原爆忌から、9日の長崎原爆忌を経て、15日の終戦記念日まで、10日間を平和旬間として、日本の教会は平和について語り、学び、祈っております。今年は広島と長崎に原爆が投下されてから75年の節目の年ですが、残念ながら現在の感染症の状況から、各地の行事は縮小され、東京教区においても、例年行われてきた様々な行事が中止となりました。教区のホームページにおいては、それでも出来ることをと、祈りの短冊を15日まで募集しています

あらためて、戦争で亡くなられた多くの方々の永遠の安息をお祈りいたします。戦争のために人生の道筋を大きく変えられた方々も多くおられるでしょうし、心身に重荷を負われた方も多くおられたことと思います。夏の暑さの中に佇むとき、多くの方の無念の思いが、天に昇る上昇気流のようにそこここに満ちあふれていることを感じます。その思いを祈りとして、いつくしみ深い御父にささげます。

歴史を振り返るまでもなく、わたしたちは常に平和を語りながら同時に戦いを続けています。いのちを守ることを語りながらいのちを奪い合っています。自分ひとりが同時にその二つの行為をしていなくとも、わたしたちは一匹狼として生きているわけではなく、世界中の人と繋がれて「共通の家」で生きている仲間です。なんともいえない矛盾の中で、わたしたちは歴史を刻んでいます。

「戦いを止めよ」と叫んだからと言って、それですべてが解決することはありませんし、複雑な国際関係がその一言で修復されるわけでもありません。そこには様々な側面からのありとあらゆる種類の努力の積み重ねが不可欠ですし、その積み重ねはあまりに膨大で、人間の手に余るものなのかも知れません。政治、経済、そして学問などの様々な分野での努力を積み重ね続けるためにも、そこには誰かが理想を語り続けなければなりません。たとえそれが夢のようであっても、目指すべき理想を語ることを続けたいと思います。「戦争は人間のしわざ」だからです。

東京大司教区「平和メッセージ」
2020年8月6日 平和旬間
大司教 菊地功

 

「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」
教皇ヨハネパウロ二世は、1981年に広島でこう述べられました。

今年、2020年は、節目の年でもあります。75年前の1945年、広島と長崎で核兵器が使用され数多くのいのちが奪われました。また、世界が巻き込まれた第二次世界大戦が、終わりを迎えました。この75年の間、戦争の悲惨な現実が繰り返し多くの人によって語り継がれてきたのは、戦争が災害のように避けることのできない自然現象ではなく、まさしく「戦争は人間のしわざ」であって、そもそも「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものでは」ないからこそ、その悲劇を自らの力で避けることが可能であるからに他なりません。

教皇ヨハネ23世は、回勅「地上の平和」を、次の言葉で始め、教会が考える「平和」の意味を明らかにしています。
「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」

教会が語る「平和」とは、神の定めた秩序が実現している世界、すなわち神が望まれる被造物の状態が達成されている世界であり、それは実現してはいません。

今年の初めから、わたしたちは経験したことのない事態のただ中におります。新型コロナウイルスの感染症は一つの国に留まらず、いまや世界中を巻き込んで拡大し、まさしくグローバル化した世界を巻き込んで各地に多大な影響を与えています。多くの方が大切ないのちをなくされた国も多数存在し、今この時点でも、いのちの危機に直面している人は少なくありません。また社会的に弱い立場にある人や貧しさのうちにある人は、より厳しい危機に直面しています。

グローバル化した世界を巻き込んで発生したいのちの危機は、その解決のためにも、世界全体の視点からの連帯と支え合いが必要であることを明確にしています。

教皇フランシスコの指示を受けて、この危機に総合的に対処するために、教皇庁にはCovid19委員会が設置されました。その責任者であるタークソン枢機卿は、7月7日に会見を開き、次のように述べておられます。

「わたしたちの世界には、一致のきずなを回復し、誰かをスケープゴートにせず、互いの批判合戦を止め、卑劣な国家主義を否定し、孤立化を否定し、そのほかの利己主義を否定するようなリーダーシップが必要だ」

不安の闇に取り残されたように感じているわたしたちは、ともすれば誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の心の安心を得ようと誘惑されてしまいます。いのちの危機は、排除や排斥がもたらす分断によって、より深められてしまいます。いまは対立するときではなく、いのちを守るために、互いに手を差し伸べ合うときです。いのちを奪うことではなく、守るために行動するときです。

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」

わたしたちは、あらためて主のこの言葉に励まされ、神が大切にされるたまものであるいのちが等しく大切にされ尊重される世界を実現し、平和を確立していきましょう。また、共通の家を危機に陥れる様々な課題が複雑に絡み合う現実の中で、神の平和を実現するために、幅広い連帯の中で、地道に取り組んでいく決意を、戦後75年の平和旬間にあたり、新たにしたいと思います。

Archdiocese of Tokyo “Peace Message”
Peace Week 2020

 

Pope John Paul II stated in 1981 in Hiroshima: ”To remember the past is to commit oneself to the future.”

This year 2020 is another milestone year. 75 years ago in 1945, nuclear weapons were used in Hiroshima and Nagasaki, and took the lives of many. This eventually led to the end of World War II. For the past 75 years, many people have repeatedly expressed the miserable reality of war, stating the fact that war is not like a calamity such as an inevitable natural phenomenon, but “war is the work of man.” In the first place, “humanity is not destined for self-destruction.” Thus, it is not beyond human power to prevent such disaster.

Pope John XXIII started the encyclical “Pacem in Terris” with the following words, clarifying the meaning of “Peace” according to the Church.

“Peace on Earth?which man throughout the ages has so longed for and sought after?can never be established, never guaranteed, except by the diligent observance of the divinely established order.”

The “Peace” which the Church speaks of is the realization of a world in the order of God. That is, a world where all creatures has achieved the state according to God’s will, and such has not been attained.

Since the beginning of this year, we have been caught up in a situation we have never experienced before. The novel coronavirus disease is not limited to one country alone, but has now spread all over the world, having a great influence in various parts of this very globalized world. There are many countries where numerous people have lost their precious lives, and even at this point, many are still facing this threat in their lives. Moreover, vulnerable in the society and poor are much more afflicted by this crisis.

In order to solve this crisis of life for a world in a state of globalization, it has become clear that solidarity and support for each other on a worldwide scale is necessary.

Under the direction of Pope Francis, the Vatican Commission for Covid-19 was created to comprehensively address this crisis. Cardinal Turkson, the president of the commission, held a press conference on 7th July and stated that:

“We need global leadership that can re-build bonds of unity while rejecting scapegoating, mutual recrimination, chauvinistic nationalism, isolationism, and other forms of selfishness.”

Feeling left behind in the darkness of anxiety, we are tempted to make someone else the bad guy in order to gain our own peace of mind. The crisis of life is deepened by the divisions brought by exclusion and rejection. Now is not the time for conflict, but the time to reach out to each other to protect all lives. It is time to act to protect life, and not to take it.

“Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.”

Encouraged once again by the words of the Lord, let us build a world in which life is valued and respected, something that God Himself has always treasured, and let us strive to establish peace. In addition, as we live in a situation where various complicatedly intertwined issues put our common home in danger, let us renew our commitment during this Peace Week seventy-five years after the World War, to bring about God’s peace with the determination to work hard in solidarity with all peoples.

 

6 August 2020
+ Isao Kikuchi, SVD
Archbishop of Tokyo
 

 

 

 

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2020年6月19日 (金)

今後の聖体礼拝@東京カテドラル

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東京カテドラル聖マリア大聖堂では、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って公開ミサが中止となった直後から、連日、大聖堂の主祭壇に御聖体を顕示して、聖体礼拝を行ってきました。

カテドラル構内の師イエズス修道女会のシスター方の協力を得て、顕示する時間は様々な事情から変動しましたが、できる限り毎日継続してきました。感染症の拡大という困難な時期にあって、御聖体に現存される主とともに時間を過ごしながら困難を乗り越えるための祈りをささげ、また東京教区に主ご自身の祝福を願いながら、聖体礼拝を行っています。キリスト教国にあっては、御聖体への理解がある程度期待できるため、今回の事態にあっても、街中に聖体顕示台をもって繰り出すこともされたという話を聞いていますし、あるアジアの非キリスト教国では、信徒が集中して住んでいる地区でそのような聖体顕示が行われたと承知していますが、やはり日本ではそうはいきません。御聖体への理解が全くない中、信徒もいない街中で御聖体を顕示することはできません。そのため、カテドラルで、できる限り聖体を顕示して、聖体礼拝を続けてきました。

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6月21日以降は、公開ミサが再開されますので、毎日というわけには行きませんが、(日中もミサが行われたりするため)、しかしせっかく始めた聖体顕示と聖体礼拝ですから、続けたいと思います。幸い、関口教会主任の天本神父様が配慮してくださり、毎週木曜日の午後1時から4時まで、大聖堂の主祭壇で、聖体顕示と聖体礼拝を行うことになりました。

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本日はイエスのみこころの祭日です。6月はみこころの月と呼ばれます。あふれんばかりの神のいつくしみは、イエスのみこころからあふれ出てきています。そのいつくしみに信頼しながら、困難の暗闇の中にも光を求めて祈りをささげましょう。

もし日中お時間があれば、木曜日の午後1時から4時、聖体礼拝においでください。静かな大聖堂で、御聖体のうちに現存される主イエスを前に、イエスのみこころの思いに触れながら、そのいつくしみが、わたしたちすべてを包んでくださるように、祈りましょう。

当分の間、この形で継続します。

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久しぶりの現実の会議@聖書協会

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これまで多くの会議が中止になったり、ネットを利用した遠隔会議になったりしています。先日もカリタスジャパンの会議は、最初の日がZoomで、そして二日目はスカイプで行われたりしました。

それでもやはり実際に集まる会議は不可欠ということで、今週あたりから、現実の会議が再開し始めています。昨日は潮見で、常任司教委員会が、三ヶ月ぶりで、実際に集まって開催されましたが、互いの距離を十分にとるのが難しいことから、机にはアクリル板の仕切りが設置されていました。アクリル板の仕切りに囲まれて、その中でマスクを着けて話すので、なにかみな発言がもごもごして、聞き取りにくい会議ではありました。でも当分の間はしかたがありません。また教区などでも、当分の間は、遠隔の会議を取り入れるようにしたいと思います。

で、本日金曜日は、朝からずーっと、日本聖書協会の理事会と評議員会でした。日本聖書協会は、銀座のど真ん中、教文館の裏手の同じ建物の中にあります。

聖書協会自体は、もちろんプロテスタント諸派の方々が中心になって運営されている世界的な団体ですが、カトリックも様々一緒に活動をしており、特に日本では、新共同訳聖書や、新しく出た聖書協会共同訳などで一緒に取り組んできました。また実際に働いている方々の中にも、複数のカトリック信徒がおられますし、何を隠そう、私は副理事長であります。

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このところは、カトリック教会からは、一名が理事に、そしてもう一名が評議員に加わることになっており、理事に私が、評議員に中央協議会の大水事務局長が任命をいただいております。今年からマネージメントの態勢が変わっており、事務局の責任者である総主事も、これまで長く務められた渡部さん(現NCC議長)から具志堅さんに交代となって、フレッシュなスタートを切ったのですが、早々に今回の新型コロナ感染症ですべてがストップし、聖書の売り上げにも支障が出ているとうかがいました。

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新しい聖書協会共同訳は、様々な版が次々に出版されていますし、点字版も40巻すべてが完成したそうです。(上は創世記とトビト記。下の写真で、他の聖書との比較で、点字版聖書のそれぞれの大きさがわかるかと思います)

これまで青山に会ったバイブルハウスは、現在は実店舗を閉鎖し、オンライン販売になっています。是非ご利用ください。

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久しぶりに銀座まで行きましたが、確かに人通りが少なくなりました。それでも雨の中、距離をとって、たくさんの人が並んでいる店が。聖書協会のすぐ隣のアップルストアでありました。

なおカトリック教会の典礼では、現在も新共同訳聖書を主に使用しています。新しい訳に変更するためには、カトリックの典礼で使用するために言葉を調整しなければならないところなどもあり、簡単には進まないと、関係者から聞いています。

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2020年6月 7日 (日)

助祭叙階式@東京カテドラル

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6月6日土曜日の午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、東京教区の小田武直神学生と宮崎翔太郎神学生の助祭叙階式を執り行いました。

本来は4月に、豊四季教会で行う予定でありました。豊四季教会の皆さんには、いろいろと準備をしていただいたのですが、今般の状況のために、公開ミサを行うことができません。同時に、神学生は司祭になるためには、必ず助祭に叙階されなくてはならないのですが、その助祭職を、少なくとも半年は過ごさなければなりません。そういったこともあって、6月6日に、非公開ミサで、教区や神学院の関係者だけが参加して、叙階式を執り行いました。今回も、いつもの配信ミサと同様、イエスのカリタス会のシスター方が、聖歌を歌ってくださいました。また、叙階式には必ずつきものの諸聖人の連願は、教区式典長のひとりである高田神父が独唱しました。これらは、ビデオをご覧ください。

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現在、東京大司教区には、司祭へ向けて養成中の神学生が、助祭を含めると七名おります。すでに関口で働いているホルヘ助祭を初め、今回叙階された二人。そして助祭叙階準備中の神学生がひとり。さらに哲学の段階に三名がおります。神学生たちの召命のために、お祈りくださいますように、お願いいたします。

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以下、助祭叙階式の儀式書には説教が記されているのですが、その前部分に付け加えた説教の原稿です。

  宮崎神学生・小田神学生助祭叙階式
2020年6月6日
東京カテドラル聖マリア大聖堂

 

今年の東京教区助祭叙階式は、歴史に残るような状況下で行うことになってしまいました。新型コロナウィルスの感染が広がり緊急事態宣言まで発令されたり、様々な活動の自粛が呼びかけられています。教会も灰の水曜日以降、公開のミサを中止する措置をとらざるを得なくなりました。この数日は、暗闇の中にもやっと出口の光が見えるようになってきたと感じますが、まだまだ完全に終息したわけではなく、慎重な行動が必要です。そのようなわけで、今日の助祭叙階式も、本来は小教区の共同体の方々と喜びを共にしながら行うところ、非公開で行っています。

当初は軽い風邪のようだと言われていたものの、感染経路が定かではないことや治療法が確立されていないため、わたしたちは暗闇の中に光を持たないまま放り出されたような気分になっています。先行きに希望が持てず不安が増すときに、守りに入るわたしたちの心は利己的になり、社会全体に殺伐とした雰囲気が漂い始めます。

「わたしの喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである」と福音に記されています。

わたしたちの信仰は、暗闇の中に輝く一筋の光のように、不安をぬぐい去り、生きる希望を生み出すものです。信仰は希望そのものです。そして将来に対する確固たる希望が生まれるとき、そこには喜びが生まれます。わたしたちが心の壁を築いて利己的になり、自分の内にこもるとき、暗闇が支配し、希望は生まれず、喜びもありません。

「出かけていって実を結び、その実が残るように」と選ばれて呼ばれているわたしたち奉仕者は、暗闇に勇気を持って踏み出し、人との交わりの中で心の壁を打ち砕き、光を輝かせて希望を生み出し、多くの人の心に喜びを分かち合いたいと思います。

光が失われ、希望が失せ、喜びが消え去るとき、暗闇が支配する社会にあって、人間のいのちは危機に直面します。時に殺伐とした言葉の投げ合いが、いのちを奪うこともあります。助けを必要としている人が、忘れ去られ、排除されてしまいます。神からの賜物であるいのちが、感染症のためではなく、分断されたきずなのために、危機に直面しています。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語るイエスは、十字架での死をもって、それをあかししました。教会で奉仕するように呼ばれたわたしたちは、その十字架の愛のあかしに倣って生きることが求められています。疑心暗鬼の中で彷徨う世界のただ中にあって、心に築かれた守りの壁を打ち砕き、助けを必要としている人たちに目を向け、常に希望の光を掲げる気概を持つ奉仕者を目指して、助祭の務めを果たしてください。(以下:儀式書本文に続く。「皆さん、皆さんのご親族、あるいは友人であるこの方々は、間もなく助祭団に・・・」)

 

 

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