カテゴリー「司教の日記」の1000件の記事

2022年5月 8日 (日)

東京カトリック神学院の院長がどなたかご存じですか?

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本日は、世界召命祈願日ですから、司祭養成の場である神学院について、少しお話しします。

日本の教会には、教区司祭を養成する神学院が二カ所に設けられています。

教区司祭養成の神学院は、福岡と東京にあり、九州と沖縄の5教区は福岡の神学院(福岡カトリック神学院)を、それ以外の大阪教会管区と東京教会管区の11教区は、東京の神学院(東京カトリック神学院)を運営しています。近年、東京の神学院では、基本的に修道会の司祭志願者も受け入れていますが、そういった修道会からの聴講生も含めて、毎年20人から30人ほどの神学生が在籍し、その中で東京教区からは、今年度は4名の神学生が在籍しています。

現時点での東京の神学院の養成は、予科(1年ないし2年)から始まって、哲学を2年と神学を4年。その後助祭に叙階されて半年以上を経てから司祭に叙階されることになっています。以前は神学の三年目終了時の神学四年目に助祭に叙階されていましたが、現在の司祭養成は2016年に教皇庁聖職者省が示した司祭養成基本綱要「司祭召命のたまもの」に基づいて、生涯をかけての養成プログラムへと根本的に変えられました。なおこの司祭養成基本綱要は邦訳が単行本として今年の3月に出版されています(上の写真)。またこれに基づいて、それぞれの国の司教団は、地域の事情に応じた個別の司祭養成の基本綱要を作成することになっています。

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哲学や神学やそのほか様々な科目の先生は、各地から通って授業を担当してくださっていますが、神学生と一緒に神学院で生活をともにする養成担当者が不可欠です。修道会の神学院の場合は、それ自体が修道院共同体なので、当然神学生以外にも複数名の修道会員が居住しており、神学生の霊的養成に参加するのですが、教区の神学院は事情が異なるため、養成担当者をいずれかの教区から派遣しなければなりません。

現在、東京の神学院では、4名の司祭が神学生と寝起きをともにしています。その内訳は、東京教区、横浜教区、名古屋教区からそれぞれ1名の3人が養成担当、これにグァダルペ宣教会のマルコ神父様が霊的指導者として加わっています。そしてその中の誰か一人が、全体の院長とならなくてはなりません。

加えて東京カトリック神学院の院長は、教皇庁の福音宣教省長官が任命する役職です。昨年までは大阪教区の松浦信行神父様が院長に任命されていましたが、このたび任期が満了し大阪教区にお戻りになりました。東京カトリック神学院司教団の推薦に基づき、新たに今年度4月から、東京教区の稲川圭三神父様が神学院長として、福音宣教省長官タグレ枢機卿から任命をいただきました。東京カトリック神学院の院長は、稲川圭三神父様です。


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過日、ローマからの書類や正式な任命書(もちろんラテン語で書かれています)が届き、教皇庁大使館で教皇大使が見守る中、稲川圭三神父様は定められた方式で、荘厳に信仰宣言を行い、誓約書に署名されました。わたしは稲川神父様の所属する東京教区を代表して同席させていただきました。(写真は大使館での誓約書への署名と信仰宣言)

稲川圭三神父様、院長就任おめでとうございます。教会にとって大切なお働きに、神様の豊かな祝福と導きがあるように、お祈りいたします。

また、復活節第四主日の世界召命祈願日にあたり、どうか、司祭・修道者の召命のためにお祈りください。また、機会があれば(ザビエル祭など)神学院を訪れ、養成の現場をご覧ください。さらに小教区に神学生が土日の司牧研修でお邪魔する際には、声をかけ、祈りを約束し、励ましてくださいますようにお願いいたします。道程は短くありません。最低でも七年半です。長い道のりを歩む神学生を孤独のうちにおかず、共同体の絆を持って支えてくださいますように。(写真下は、東京カトリック神学院正面入り口、そして聖堂前に立つザビエル像)

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2022年4月 9日 (土)

フィリピン宣教500周年感謝ミサ@東京カテドラル

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フィリピンに福音が告げられて2021年で500年となりました。この一年、フィリピンの教会は500年を祝う様々な行事を行い、それにあわせて東京での感謝ミサが、2022年4月2日土曜日午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられ、人数制限があったものの、300人近い主にフィリピン出身の信徒の方が集まり、ともに祈りをささげました。CTICの高木健次神父様や英語司牧担当のエドゥイン・コロス神父様が、中心になって企画してくださいました。祭壇前には、入堂行列で運ばれたサント・ニーニョの像も飾られました。

1521年、ポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼランがフィリピンの地にキリスト教を始めてもたらしたとされ、そのときに持ち込まれた木製の十字架がマゼランクロスと呼ばれて、セブ島では観光名所になっているそうです。(セブ島の有名なサント・ニーニョの像がある教会の隣にこの十字架があると、様々な観光案内には記されています。)

なお4月2日はフィリピンの殉教者である聖ペドロ・カルンソッドの記念日でもあります。聖人は1672年に、宣教活動をしていたグアムで殉教しています。

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以下、感謝ミサでの英語での説教の抄訳です。

500 Years of Christianity in the Philippines
Thanksgiving Mass
2 April 2022
Tokyo St. Mary's Cathedral

まず最初に、福音宣教500周年を祝っているフィリピン出身の兄弟姉妹の皆様に、心からお祝いを申しあげます。福音が到達してから500年が経過して、いまやフィリピンはアジアで一番キリスト者の多い偉大な国となりました。アジアの司教たちが集まると、いつでもキリスト者は自分の国では絶対的に少数派だと言う話になりますが、フィリピンだけは例外です。皆さんをはじめ、この500年間、宣教のために熱心に働かれた宣教師たちに、心から感謝とお祝いを申しあげます。

わたしたちはいま、復活祭の準備のための四旬節を過ごしています。主の復活という信仰にとって重大なお祝いを前にして、わたしたちは心躍らせながら準備をしているはずです。しかしわたしたちはこの霊的な準備期間を、不安とともに過ごしました。感染症のために2020年から、すでに三度目となりますが、不安な心持ちで四旬節を過ごしています。二年以上にわたって、暗闇で彷徨い続けているような気持ちですし、出口を探し求め続けています。これは災害と言っても良い状況です。また今年も、喜びではなくて不安と恐れのうちに、復活祭の準備を進めています。

感染症はわたしたちの生活を大きく変えました。特に教会共同体の活動やあり方に影響しています。イエス・キリストの一つの体の一部である共同体として集まりたいのに、感染予防対策のために集まることができません。わたしたちは大きい声で神をたたえて歌いたいのに、歌えません。互いに助け合うために近づきたいのですが、それもできません。互いに距離を取ることが強く勧められているからです。世界中の教会共同体が困難に直面しています。アイデンティティの危機です。

もうそろそろ終息かと思ったら、今度は変異株の登場です。次にどうなるか予測もできません。10人の専門家に話を聞けば、10の異なる意見が返ってきます。ですからコロナ感染症が終息したなどと、責任を持って言うことはできません。いのちを守るための対策はまだ必要です。

自分のいのちを守りたいだけではないのです。隣人のいのちを守るためです。教会活動を一部自粛してきたのは、降参し隠れてしまったからではなくて、すべてのいのちを守るための前向きな選択です。他者のいのち、特に高齢者と持病のある方のいのちを守るために、わたしたちは教会活動に制限を設け、典礼での感染対策を取ってきました。理解し協力してくださっていることに感謝します。

わたしたちは暗闇に輝く光が必要です。どこに向かって歩いたら良いのか示してくれる光が必要です。わたしたちは救い主イエスが暗闇に輝く光であること、暗闇と死の陰に生きる人にいのちの希望の光をもたらす方であることを知っています。そしてわたしたちキリスト者だけでなくすべての人が、いま、その輝く光を必要としています。それでは誰がその光を、暗闇に住む人々へと届けるのでしょうか。

兄弟姉妹の皆さん。皆さんこそが、そうするのです。皆さんがこの光を暗闇に住む人々にもたらすのです。しかも故郷であるフィリピンでだけではなくて、日本にいるすべての人にもたらすのです。皆さんは宣教者です。

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福音宣教省長官のタグレ枢機卿の言葉を引用させてください。昨年10月に、フィリピン宣教500年について語ったときの言葉です。

「わたしたちは500年前に信仰の恵みをいただきました。しかしそのときだけではありません。いまでも、主の名を呼び求め、信仰の恵みをいただきます。わたしたちはわたしたち自身のやり方で、フィリピン人としてその恵みを受け、それに生き、そして世界に向かってフィリピン人としてそれを与えます。わたしたちの7,500を超える島々からなる列島で、信仰は一つの島から隣の島へと、豊かな交わりのうちに広がりました。今日、多くのフィリピン人信仰者は、自分を宣教者と考えていなくても、また宣教学を学んでいなくても、家庭において、職場において、宣教者であり、生き方を通じて信仰を伝えます。一千万人のフィリピン出身労働者が世界中にいます。この移住の動きは、宣教者の動きになりました。わたしたちは、宣教者となり信仰の恵みを分かち合うように、神から呼ばれています」

これになにも付け加えることはありません。皆さんがそれぞれの個人的計画を人生に持っているように、神はわたしたち一人ひとりに対してご自分の計画を持っておられます。皆さんは、それぞれの理由で家を離れ日本に来られましたが、神はご自分の理由で皆さんをここに連れてきました。救いの計画において、神は常にそうされてきました。旧約聖書を読めば、神がわたしたちに相談すること無しに、ご自分の計画を実行される物語にいくらでも出会います。神は人を使います。神は将来のために人を準備なさいます。神は今日、日本における福音宣教へのご自分の計画を持っておられます。皆さんこそが、福音宣教者なのです。

 

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2022年4月 1日 (金)

新年度:司教秘書交代

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教会の典礼の暦は待降節から新しい年になりますし、教区の会計年度は12月締めですし、教会の人事異動に伴う新しいスタートはたいてい復活祭(今年は4月17日)以降ですけれど、やはり4月1日は新しい年度の始まりには違いありません。特に教育関係では今日から新年度。教区でも通常は4月1日に東京教区カトリック幼保連盟が主催で、新入職員・園長研修会を行っており、例年私も出席してあいさつをさせていただいていました。

残念ながら感染症対策のため、今年の研修会は中止となり、オンラインでの配信に切り替わりました。事前にビデオを収録しましたが、今年は全体研修として、私の講話とサレジオ会の関谷神父様の講話が、関係者にはオンラインで配信されます。

ちょうど数日前29日に、教皇庁教育省から、「“The identity of the Catholic school for a culture of dialogue”(仮訳:対話の文化のためのカトリック学校のアイデンティティ」という、かなり長文の指針が発表されました。今後、翻訳され、読み込まれていくことになろうと思いますが、日本においてもカトリック教育機関のあり方に重要な意味を持つ指針となろうかと思います。

新年度の開始に合わせて、司教秘書が交代となりました。私のスケジュール調整に始まって、司牧訪問の際の運転にいたるまで、様々な場面で補佐していただいている司教秘書は、神言修道会の管区長様にお願いして会員を派遣していただいています。

これまで3年間、教区本部で勤めてくださったディンド・サンティアゴ神父様は、任期を終了し、昨日名古屋に戻られました。ディンド神父様には、私の仕事の支援だけでなく、様々な小教区でのミサのお手伝いや黙想指導など、3年間、活躍していただきました。ありがとうございます。今後の神言会日本管区でのさらなる活躍をお祈りいたします。(写真上、離任するディンド神父様。写真下、着任するオディロン神父様)

後任として神言会の管区長様は、韓国出身の神言会会員、オディロン金神父様を派遣してくださいました。これまで、秋田県や福岡県、また愛知県で司牧にあたってこられました。これからの東京でのお働きに期待しています。よろしくお願いします。

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2022年3月17日 (木)

2022年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって

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昨晩遅く、東京の司教館も、ミシミシと音をたてながら、かなり揺れました。東北をまた襲った大きな地震です。被害を受けられた皆様に、お見舞い申しあげます。

今週末の土曜日はガクタン司教様の司教叙階式で仙台へ行かなくてはならないのですが、もちろん当初予定していたのは新幹線でしたので、移動手段を思案中です。

明日3月18日は、今年の「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたります。東京教区での呼びかけと、司教協議会会長名での呼びかけ文を、以下に再掲いたします。なお東京教区では、できる限り多くの方に祈り、またことの重大さを理解していただきたく、次の主日である20日に、この「祈りと償いの日」の教皇様の意向に合わせてミサを捧げることにしており、わたしも関口教会10時のミサを司式させていただく予定です。

なおこれに関連した教皇庁の諸文書が中央協議会のホームページに掲載されています。また改訂された教会法の翻訳なども掲載されています。ご参照ください。(教会法の翻訳は、基本的には現在出版されている教会報における用語翻訳と整合性を持つようにしてありますが、一部変更されているものもあり、今後、ラテン語用語の邦訳の見直しから、教会法全体の翻訳見直しへと作業が継続する見込みです)

東京教区の皆様

2022年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって

四旬節の第二金曜日は、日本の教会における「性虐待被害者のための祈りと償いの日」と定められています。今年は3月18日(金)がその日となります。

この数年間、世界各地の教会において、聖職者による性虐待のケースが報告されるようになり、調査の結果、同様の事例が多数、過去にさかのぼって存在することが明らかになりました。加えて、聖職者によるそういった行為には、保護の対象である未成年者への性虐待行為もあることが明らかになりました。これは日本の教会も例外ではありません。さらには司教や修道会の責任者が、事実を隠蔽しようとした事例の報告も相次いでいます。

教皇様は、いのちの尊厳を守る立場から、これらの事実に目を背けることのないようにと指示をされ、世界中の教会が、この数年、対応のための制度を整えています。東京大司教区でも、すでに対応委員会や窓口を設けていますが、その制度をさらに整える努力を続けてまいります。

もちろん制度を整えたからと言ってすべてが解決するわけではありません。制度を正しくふさわしく運用するための啓発活動が必要ですし、さらに一番大切なことは、被害を受けられた方々の尊厳が回復されるために手を尽くすことであると思います。

いのちの尊厳を守るはずの聖職者がこのような正反対の行為をしたことに、心から謝罪いたします。これからも東京大司教区において、すべての人のいのちの尊厳を守るために、取り組んでいく決意を新たにいたします。

今年の「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたり、東京大司教区では当日の3月18日(金)、またはその直後の3月20日(日)に、それぞれの教会において、教皇様の意向に合わせてミサを捧げるものとします。なおミサにあたっては、「ゆるしの奉献文」を使うものとします。

また3月20日(日)の関口教会10時のミサを大司教司式ミサとし、この意向で捧げます。

日本の司教団は昨年、「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」を改訂し、中央協議会のホームページで公開しています。このガイドラインは対象を「教会で宣教や司牧に携わるすべての人」、つまり司祭や修道者だけでなく、教会関連施設で奉仕するすべての職員やボランティアとしています。教会共同体のすべての方が、この問題を自分自身のこととして、ともに考え、祈り、行動してくださるようにお願いいたします。

なお、司教協議会会長としての呼びかけ文も、私の名前で公開されています。以下に掲載いたしますので、ご一読ください。

2022年3月4日

カトリック東京大司教区 大司教
菊地功


日本のカトリック信者の皆様

2022年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって

いのちを賜物として与えてくださった神を信じるわたしたちには、いのちの尊厳を守る務めがあります。教会の聖職者には、その務めを率先して果たすことが求められるのは言うまでもありません。

残念ながら模範であるはずの聖職者が、いのちの尊厳をないがしろにする行為、とりわけ性虐待という人間の尊厳を辱め蹂躙する行為におよんだ事例が、世界各地で多数報告されています。なかでも保護を必要とする未成年者に対する性虐待という、卑劣な行為を行った聖職者の存在も明らかになっています。日本の教会も例外ではありません。

加えて司教をはじめとした教会の責任者が、聖職者のこうした加害行為を隠蔽した事例が、過去にさかのぼって世界各地で報告されています。

教皇フランシスコは、聖職者によって引き起こされたこの問題に、教会全体が真摯に取り組み、その罪を認め、ゆるしを請い、また被害にあった方々の尊厳の回復のために尽くすよう求めておられます。また特別の祈りの日である「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を設けるようにと、各国の司教団に指示をされました。日本の教会では、四旬節・第二金曜日を、この祈りと償いの日と定めました。2022年にあっては、来る3月18日(金)がこの「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたります。

日本の司教団は、2002年以来、ガイドラインの制定や、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」の設置など、対応にあたってきました。昨年12月には、「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」を作成し、日本の教会に委ねられている未成年者のいのちを守る使命を果たす決意を新たにしています。今後も、よりふさわしい制度とするために、常に見直しと整備を続けてまいります。

いまシノドスの道をともに歩んでいる教会は、互いに耳を傾けあい、支え合いながら、連帯の絆に結ばれた共同体であることを目指しています。日本の教会が、いのちの尊厳を守り抜くための努力を怠らない教会共同体であるように、努めて参ります。

世界中の教会に多くの被害者がおられるといわれます。無関心や隠蔽も含め、教会の罪を認めるとともに、被害を受けられた方々が神のいつくしみの手による癒やしに包まれますように、ともに祈ります。同時に、わたしたち聖職者がこのような罪を繰り返すことのないように、信仰における決意を新たにし、愛のうちに祈り、行動したいと思います。

どうぞ、四旬節第二金曜日に、またはその近くの主日に、教皇様の意向に合わせ、司教団とともに、祈りをささげてくださいますようにお願いいたします。

2022年2月17日

日本カトリック司教協議会 会長
菊地功

 

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2022年3月11日 (金)

2011年3月11日から、11年となりました

東日本を中心に大きな地震が発生し、東北の広い地域、特に太平洋沿岸の広大な地域を、巨大な津波が襲ったあの日から、今日で11年となります。

あらためて、亡くなられた多くの方々を思い起こしながら、永遠の安息を祈ります。

なお、日本の教会は仙台教区を中心にして、全国の教区を挙げての復興支援活動を10年間行い、現在も形を変えて支援活動が続いています。昨年7月に、その10年間の活動の外部評価をしていただき、結果を公表していますので、こちらのリンクからご覧いただければと思います。(リンク先のページの一番下に、PDFファイルへのリンクがあります)

以下、すでに東京大司教区のホームページに掲載してありますが、11年目をむかえてのメッセージです。

東日本大震災から11年目を迎えて

カトリック東京大司教区 大司教
菊地功

2011年3月11日に、東日本大震災が発生して11年となりました。今年もまたあの出来事を忘れることなく心に刻み、大震災によって亡くなられた方々、またその後の過酷な生活の中で亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りいたしましょう。また今でも行方が分からない方や、さまざまな形での避難生活を続けられる方も多数おられ、一日も早く、東北の地に希望が回復するように、心からお祈りいたしましょう。

教会は、いのちを生きる希望を掲げて、大震災発生から10年間、東北の地に生きる存在として、その役割を果たそうと務め、復興支援活動に取り組んできました。昨年の3月末で、全国の教区一丸となっての活動は、一旦終了となりましたが、そもそも教会は地元に根付いてある存在であることを考えるならば、今も東北各地の教会共同体を通じて、普遍教会としての支援の歩みは続けられています。

2019年11月に日本を訪れた教皇フランシスコは、東京での被災者との集いで、次のように述べておられます。

「食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません。生活再建を果たすには最低限必要なものがあり、そのために地域コミュニティの支援と援助を受ける必要があるのです。一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です」

わたしたちは、互いに助け合うために、支え合っていのちを生かすために、展望と希望を生み出すために、いのちを生きていることを、教会の10年にわたる復興支援活動の歩みを通じて神はわたしたちに語りかけ続けています。

教会は今、シノドスの歩みをともにしています。「交わり、参加、そして宣教」をテーマに掲げて、教会のシノドス性の具体化を求めているこの道程は、わたしたちが「ともに歩む」事を求めています。

シノドスの準備文書は、「シノドス的教会は、福音を告げながら、『ともに旅をする』のです。この『ともに旅をする』ということは、今日、みなさんの教会の中で、どのような形で起こっているでしょうか。わたしたちが『ともに旅をする』中で成長するために、霊は、わたしたちがどのような段階を踏むよう招いているでしょうか」とわたしたちに問いかけています。東北の地での復興支援活動は、日本の教会にとってまさしく「ともに旅をする」体験でした。交わりを通じて、福音を具体的に明かしする旅路でした。多くの方が、自分のできる可能性の中で「参加」する旅路でした。わたしたちは、あの10年間の旅路から学びたいと思います。

仙台教区は、まもなく3月19日に、エドガル・ガクタン司教様を新しい牧者としていただきます。震災を乗り越え復興の道を導いた平賀司教様に感謝するとともに、新たな牧者であるガクタン司教様と一緒に、これからも展望と希望を回復する道を歩み続けてまいりましょう。

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2022年3月 1日 (火)

灰の水曜日から四旬節です(2022年)

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明日、3月2日は、灰の水曜日です。四旬節が始まります。今年は受難の主日(枝の主日)が4月10日、聖木曜日からの聖なる三日間は4月14日から16日、復活の主日は4月17日です。したがって聖霊降臨祭は6月5日ですが、この日に教区合同堅信式を行うかどうかについては、3月の司祭評議会で話し合う予定です。

灰の水曜日には、頭に灰を受けることになります。通常は、司祭は個別に言葉を唱えながら、額に灰を持って十字をするのですが、感染症への対応として、昨年に続き今年も、司祭はこの言葉を全員に向かって一度唱え、あとは沈黙のうちに、頭に灰をかけることになっています。

灰を頭に受け、それによって人間という存在が神の前でいかに小さなものであるのか、神の偉大な力の前でどれほど謙遜に生きていかなくてはならないものなのか、感じとっていただければと思います。司祭は、「回心して福音を信じなさい」、または「あなたはちりでありちりに帰っていくのです」と唱えます。

前者は、四旬節の持っている意味、つまりあらためて自分たちの信仰の原点を見つめ直し、神に向かってまっすぐに進めるように軌道修正をするということを明示しています。後者は、すでに触れたように、神の前で人間がいかに権勢を誇ろうとも、小さなむなしい存在であることを自覚して謙遜に生きるようにと諭しています。

なお明日3月2日午前10時からの関口教会での灰の水曜日ミサは、大司教司式ミサですが、その中で教皇様の意向に従ってウクライナの平和のために祈ります(なお通常の典礼ですので、平和のための特別な典礼を行うわけではありません)

四旬節は信仰の原点に立ち返る時ですから、これに合わせて、洗礼を志願する人たちも歩みをともにし、復活祭に洗礼を受けることが勧められています。このことから四旬節第一主日には、その年の復活祭に洗礼を受けるために準備をしてきた方々の洗礼志願式が、多くの小教区で行われます。四旬節は、自らの信仰を見つめ直すとともに、洗礼への準備をする方々を心に留めて祈りをいたしましょう。

四旬節にあたり教皇様はメッセージを発表されています。今年は少し長いのですが、「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、善を行いましょう」(ガラテヤ6・9-10a)と言うタイトルになっています。教皇様のメッセージ全文はこちらの中央協議会へのリンクをどうぞ。

四旬節には、祈り、節制、愛の業が、伝統的に勧められています。その教会の伝統に倣って、四旬節には特別の愛の献金が行われてきました。日本の教会ではカリタスジャパンが、この四旬節愛の献金の担当になっております。詳しくはこちらのリンク、カリタスジャパンのサイトをご覧ください。

そして祈り、節制、愛の業ですから、その節制です。灰の水曜日は小斎と大斎の日と定められています。今年の大斎と小斎は、教皇様の呼びかけに応えて、特にウクライナの平和のために捧げましょう。これについては、こちらの中央協議会のホームページをご覧ください。なおこちらに私が書いた司教協議会会長の談話も掲載されていますので、ご一読ください。

大斎は、「1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。」

小斎は、「肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。」(中央協HPより)

病気や妊娠など理由のある方は免除されています。詳しくはこちらの中央協議会ホームページへのリンクをご覧ください。

四旬節にあたり、信仰を見つめ直しましょう。自分が信じている福音に従って生きるとはどういうことなのか、イエスの呼びかけに従って生きるとはどういうことなのか。祈りと黙想のうちに考えるときにしたいと思います。

わたしたちの信仰は、ひとり隠れて生きるものではなく、イエスが弟子を集めたときから、共同体の中で生きる信仰です。教会における人間関係の中で、社会における人間関係の中で、家族の人間関係の中で、福音をどのように生きていくのかをあらためて考えてみたいと思います。

「全世界に行って福音を告げ知らせよ」という主からの宣教命令は、誰かのための命令ではなくて、わたしたち一人ひとりへの命令であることも忘れないようにいたしましょう。

 

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2022年2月26日 (土)

秋津教会堅信式

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2022年2月20日午後2時から、清瀬市にある秋津教会で、11名の方の堅信式を行いました。おめでとうございます。

主任司祭の野口神父様の依頼で、人数制限している中で多くの方に司教ミサに与っていただくことができるように、今回の秋津教会訪問では、前晩土曜日の夕方6時、日曜日の午前10時、そして午後2時と、三回のミサを捧げました。またミサには、間もなく新しい司教様から助祭叙階を受ける予定の、仙台教区の高木健太郎神学生が、侍者のリーダとして奉仕してくれました。高木神学生は、東京の神学院で養成を受けていますが、これまで秋津教会で神学生としての主日の使徒職奉仕をしてきました。

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また土曜の夜と日曜の朝のミサでしたので、一晩泊まりましたが、泊まった先は所沢駅前のホテル。東京教区の小教区を訪問して、宿泊はさいたま教区内というのも、興味深いです。ミサには慈生会の病院や施設で働いておられるベタニア会のシスター方も、大勢参加してくださいました。

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以下、堅信式ミサの説教録音から書き起こして、多少の手直しをした原稿です。

秋津教会堅信式
2022年2月20日

堅信の秘蹟を受ける皆さん、おめでとうございます。
キリスト者として完成して行くためには、洗礼を受け、聖体を受け、そして堅信を受けるという、この3つが必要なわけですけれども、今日堅信を受けることによって、その入信の過程、キリスト者となって行くというプロセスが、完成します。完成するのですから、堅信の秘蹟を受けたその直後には、完成したキリスト者がここに誕生するはずなんですよね。

完成したキリスト者というのは、いろいろな形容をされます。以前はよく、キリストの兵士になると言われていました。キリストのために戦う、この社会の中で戦ってゆく兵士になるのだというようなことでしょう。

成熟した信仰者になるという言い方もします。大人の信仰者になる、大人の信徒になる、いろんな言い方をしますけれども、いずれにしろ自立して、しっかりと信仰を生きて行く者となると言うことです。堅信を受けることで入信の秘蹟が完成し、そのときに、そういう信仰者となるということが求められているということを、まずもって心に留めたいと思います。

その意味で、今日のこのルカによる福音は、年間第7の主日の福音であり、特別に選んだ福音ではないけれども、そこには、イエス様が私たちに、まさしく成熟した大人の信仰者としてどういう生き方をしてほしいのかということが、しっかりと記されていると思います。

でもその前に、第1朗読のサムエル記の話をちょっと見て頂きたいのです。
今日のサムエル記は、イスラエルの王様の話です。イスラエルの民に最初は王様はいなかったのですけれども、当のイスラエルの民が自分たちも王様が欲しいと望んだので、神様がサウルという人を選んだのです。ところが、ある年月、王として治めたのちに、サウルが神様の意に添わない行動を取り始めた。そこで神様は、今度はダビデを王として選びます。ですから、今日の朗読の段階では、それを悟ったサウルが、自分の王座を奪おうとしているダビデに対する敵意を非常に燃やしているのです。元々サウルとダビデはとても仲が良かった、というか、ダビデは懸命にサウルに使えていました。しかし、今やサウルは敵意を燃やして、ダビデの命を奪い取ろうとしている。

それが、荒れ野で野営をしているときに、ダビデたちはサウルのところに忍び込むことに成功するわけです。さあ、目の前にサウルがいる。ダビデの部下は、もうこれは、神がサウルを私たちに手渡してくれているのだと、今ここでサウルを仕留めよう、殺してしまいましょうとダビデに提案するのですが、それに対してダビデは、いや、そんなことをしてはいけない。「主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない」と答えたという話が書かれています。

実はもう一回、他の箇所でも同じようなことがあるのです。
洞窟の中に隠れていたダビデたちの目の前に、サウルが一人で現れた。さあ、今こそ神がサウルをダビデに手渡したのだからここで殺してしまおうと、部下の者たちがダビデに勧めます。けれどもダビデはサウルを殺すことなく、その服の端を切り取るだけで済ましたという話もあります。

もちろん、今日の福音の中に「敵を愛しなさい」という言葉があるので、その敵を愛するという言葉に通じる話として、この第1朗読が選ばれているのだろうと思います。けれどもこの物語の中で重要なのは、ダビデの言葉なんですね。つまり、目の前に起こっている出来事を見てダビデの部下たちは、これが神の思い、これが神の計画、今こそ神がサウルをダビデに渡しているんですと、勝手に解釈しているんですよね。それこそが神の思し召しだ、これこそが神が望んでいることだと、皆は様々に言うんですけれど、ダビデはそれに乗らないんですよ。あくまでも、神が選んだ人を、つまり神の計画を私は勝手に変えることはできないんだと、はっきりと言うんです。

この世の中ではいろんなことが起こっていきますね。その中で私たちは、これこそきっと神様が望んでいることに違いない、神の思し召しだと解釈をし、その解釈に従って生きていこうとするんです。しかし、よく考えてみないと、大きな間違いをすることがあるかもしれないのです。
つまりこの時ダビデの部下たちも、自分たちの都合のいいように神様の思いを解釈しているんですよ。自分たちにとって都合のいいのは、ここでサウルを殺してしまうことなので、それこそが神の思し召しなんですと言って、ダビデを一所懸命説得しようとするわけです。

私たちの人生の中でもあるはずです。これこそ神様が望んでいることに違いないと思ったときには、落ち着いて、本当に神がそれを望んでいることなのか、それとも私がただ単にそうして欲しいと思っているだけなのか、それをよく考えてみないといけないんですね。

神が計画していること、神が望んでいることを、私たちが勝手に変えていくことは許されていないのです。本当に神が何を望んでいるのかということを、しっかりと知る、識別すると良く教会では言いますが、起こっている出来事を見極めて、神が本当に望んでいることは何なのか、どっちに歩みを進めることなのかということを、はっきり知ることが大切です。もしかしたら、私にとって都合がいいだけなんじゃないか、これを選んだら私が満足するだけなんじゃないのと、これを選んだら私が優位になるだけなんじゃないのと、まずは落ち着いて識別する必要があります。

自分にとって有利なことだとか、自分にとって都合のいいことが神の思し召しと思ったら、それはたぶん違います。
だいたい、自分にとって都合の良くないことの方が多いです、神様が考えていることは。

ですから、成熟した信仰者として生きていこうというときに、神様は私に何を望んでいるのだろうと一所懸命に考えていて、なんか都合のいいことばかり思い浮かんで来たら、それはたぶん自分が勝手に解釈しているだけ。神様はそう思っていないことが多いので、そこはちゃんと見極めた方がいいかなというふうに思います。

そして、ルカの福音には、私たちがどう生きるべきなのかということが書いてあります。
たとえば「敵を愛しなさい」。今まさに、一発即発で戦争が起こるんじゃないかと、ウクライナなどで起こっていることを耳にすると、非常に大きな不安になりますね。この「敵を愛しなさい」という言葉は、今の時代だけでなくて人類の歴史の中で、本当に繰り返し必要とされてきた言葉ですし、繰り返し、私たちはそれを叫んでゆかなければならない。「敵を愛しなさい」と。
また、「裁くな」ということは、人を裁くことによって自分も裁き返されるかもしれないということも書いてあります。自分が裁こうとするその秤で、自分も測り返される。だから人を裁いてはいけないということですが、今日のルカ福音の中で一番大切な言葉は、「人にしてもらいたいということを人にしなさい」という言葉だと思います。「人にしてもらいたいということを人にしなさい」。

もちろん、気を付けなくてはならないのは、自分がしてもらいたいことを人にしただけでは、それはただの親切の押し付けにしかならないんですね。私がしてもらいたいことが、他の人もしてもらいたいとは限らないので、私がしてもらいたいことを人にもというのは、どういうことをいっているんだろうと、その意味を考えないと、ただ単に、親切の押し付け、押し売りをしているだけのことになってしまいます。

この言葉でイエス様はいったい、何を私たちに求めているのだろうと考えることです。
私が何かをしてもらいたいというときは、その理由を知っている。どうして私は私のことを知っているんだろう。自分のことだから当たり前のだと言ってしまえば身も蓋もないですけれども、でも、自分が何かをしてほしいということを知っている一番大きな理由は、
私が私自身の命を一番大切にしているから。私の命を生かしていきたいから。私の命が十分に尊厳を守られて生きていけるようにするために、こういうことをしてほしい、ああいうことをしてほしいとわかるのです。自分の命を大切にしているからこそ、私たちは自分が何をしてほしいのか知っているんです。

だからそれと同じように、他人にもしなさい。つまり、他人の命を大切にし、他人の命が生かされるためには何が必要なのかをしっかりと知るために、その人の思い、言葉に、耳を傾けなさいと。他の人たちに、隣人の思いや心に、耳を傾ける。そして、命をしっかり守っていくことが出来るように支え合うこと。それが大切なんだということを、今日のこの言葉は私たちに伝えていると思います。

教皇様は、特にこの感染症の状況になってからの2年間、しばしば、「私たちがこの状況から抜け出すために一番重要なのは、互いに支え合うことによる連帯です」と、「連帯」という言葉を盛んに繰り返されます。しかもそれが残念ながらこの2年間、これだけの危機的な状況の中にいるにもかかわらず実現していないということも、しばしば指摘をされています。

私たちは、互いに支え合って、連帯していかなければ命を守っていくことはできないのだということを、教皇様は繰り返し仰っておられますけれども、まさしく「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」というこの言葉は、互いに大切にし合い、互いに支え合い、連帯して生きていくということの大切さを、私たちに教えていると思います。

教会は共同体です、と私たちは言いますけれど、その共同体というのはいったい何なのかといえば、互いに支え合い、連帯する人たちの集まりであるということです。

私たちはこの教会共同体の中で、互いを大切にし合い、互いに支え合っていくのです。
命が希望をもって生きていくことができるように、連帯し繋がりながら、一緒になって歩んでいきたいと思います。

 

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2022年2月16日 (水)

2022年定例司教総会から

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今週、2月14日から18日まで、司教団の定例司教総会が開催されています。全国16教区の司教が全員集まるのは、主にこの総会の機会ですが、すでにお知らせしたとおり、年に三度の会議が行われます。司教たちのためにお祈りくださっていることに感謝いたします。(上の写真、私の右後ろが日本カトリック会館)

このたびの司教総会初日から、司教協議会の会長に就任いたしました。任期は3年です。また副会長には、横浜教区の梅村司教様が就任されました。これまで会長を務めてくださった高見大司教様に感謝申し上げます。なお高見大司教様は、ご存じの通り昨年12月末に引退が教皇様によって受理され、来週には後任の中村大司教様の着座式が、長崎で行われる予定です。

司教協議会は、各教区の上部組織ではありません。ある一定の地域の司教たちが「当該領域のキリスト信者のために結束して司牧的任務を遂行し、特に教会が、法の規定に従って、時と所に即応する使徒職の方式及び要綱を介して人びとに提供する善益をますます推進する任務」のための組織です。(教会法447条)ですから、司教協議会会長が、すなわち日本の教会のトップという意味ではありません。それぞれの教区司教にとってのトップは教皇様です。

しかし同時に、日本の教会全体として取り組んでいかなくてはならない課題は山積しており、そういった課題のための行動には、当然司教団が率先して取り組まなくてはなりません。教会全体としての具体的な取り組みを責任を持って行うところに、司教協議会の会長の責任があるのだと理解しています。もちろん対外的な代表としての顔もあるかと思いますが、それ以上に、司教団全体をまとめ前進させる役割を忠実に果たしていく心づもりです。この新たな役割をふさわしく果たしていく力と知恵があたえられますように、皆様のお祈りをお願い申し上げます。

現在の感染状況もあり、今回の総会はハイブリッド形式とし、何名かの司教様方はそれぞれの場からの参加となりましたが、初日には教皇大使レオ・ボッカルディ大司教様も潮見までおいでくださり、励ましのメッセージを頂きました。

なお、今回の総会中に、司教の様々な担当の交代もありました。多くの場合は留任ですが、いくつかの担当で交代がありました。

わたし自身は今回でカリタスジャパンの責任司教を降り、新潟の成井司教様に交代していただきました。成井司教様、今後はカリタスジャパンの責任司教として、よろしくお願いします。

1995年3月に、カリタスジャパンのルワンダ難民キャンプ支援活動に呼ばれてから、98年まではこの難民支援活動担当、その後は援助担当や委員会秘書などを連続してつとめさせていただき、その間にカリタスアジアの地域委員会や国際カリタスの理事会のメンバーも務めました。また2004年に司教となってからは、これまで担当司教、あるいは責任司教を務めてきましたので、都合27年間、何らかの形でカリタスジャパンに関わってきました。またその間、2011年から19年までは、カリタスアジアの総裁にも選んでいただきました。この長期間、ご助力くださった皆さん、活動を支援してくださった皆さん、募金にご協力いただいた皆さん、委員会などに協力いただいた皆さん、一緒に活動に携わってくださった皆さん、そしてなによりお祈りくださった皆さんに、心から感謝申し上げます。

この交代で社会司教委員会の委員も降りることになりましたので、同時にHIV/AIDSデスクの担当司教も離れることになります。諸活動にご協力いただいている皆様に感謝いたします。

 

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2022年2月 4日 (金)

ミャンマーの平和を願っての声明

すでに前記事にも記しましたが、ミャンマーでクーデターが発生してから、2月1日で一年です。一年を迎えてもまだ情勢は改善していません。ミャンマー司教協議会会長であるヤンゴン大司教のチャールズ・ボ枢機卿の呼びかけに応えて祈り続けることを誓う、平和への願いの声明を2月1日付けで教区ホームページに掲載しました。日本語と英語の原稿を、こちらにも掲載しておきます。

なおことさらにミャンマーの平和を強調するのは、第一には東京大司教区にとってミャンマーの教会が長年にわたる姉妹教会として支援を続けていることがあります。第二に、こういった海外の平和に関する課題は、当該国の司教団からの行動の呼びかけがない場合、その国における信教の自由などを考慮しながら、海外の教会には慎重な対応が求められます。ミャンマーに関しては、ミャンマー司教協議会会長のボ枢機卿が、度重なる支援要請の声明を出されており、連帯が求められていますので、特に姉妹教会として積極的に行動したいと思います。

以下、声明の本文です。

対話による平和の実現を願って
ミャンマーの兄弟姉妹のために

ミャンマーで国軍によるクーデターが発生し、選挙で選ばれた民主政権が倒されてから、一年となります。民主化を求める声は国軍によって押さえ込まれ、治安維持を名目に殺害された国民も少なくないと報道されています。

ミャンマー司教協議会会長であるヤンゴン大司教のチャールズ・ボ枢機卿は、この一年の状況は「長引く十字架の道行き」であると語り、「ミャンマー全土が戦場となった」と述べています。その上でボ枢機卿は、「教会は、武力衝突を逃れてきた人々に避難所としての場を提供しているために、軍や武装組織による襲撃や爆撃の対象となっている」として、自由と民主化を求める多くの人々を攻撃し、生命を危機に直面させる国軍を厳しく批判しています。(バチカンニュース)

国内外の平和を求める多くの声にもかかわらず、「ミャンマー軍は、クーデターに伴って発令していた「非常事態宣言」を半年間延長すると、31日夜、国営テレビを通じて発表し、今後も全権を掌握し続ける姿勢を示し」たと報道されています(NHKニュースサイト)。残念ながら混乱した状況は好転することなく、国連や東南アジア諸国連合も有効な策を講じることができないまま,事態は膠着化しています。

カトリック東京大司教区は,ドイツのケルン教区と協力しながら、長年にわたってミャンマーのカトリック教会を支援してきました。それは,戦後に東京の教会がケルンの教会から大きな支援を受けて復興した事を感謝のうちに記憶し,その善に資する隣人愛の心をさらにひろげるために、1979年のケルンと東京の友好関係25周年に、当時のヘフナー枢機卿と白柳枢機卿が合意してミャンマーの教会への支援を始めたことの由来します。

それ以来、東京大司教区はミャンマーの教会を姉妹教会として、特に司祭養成のために支援活動を行ってきました。

「教会は、その本質的な宗教的使命は人権の保護と促進であることを自覚しており」、神の似姿として創造され賜物として与えられたいのちの尊厳が、例外なく尊重され護られることを主張してきました。(教会の社会教説綱要159)

また、国家には共通善に到達すると言う責任があると考え、「国家は市民社会を代表するものであり、市民一人ひとりの貢献によって共通善が成立するよう、市民社会の一致、統一および組織を保障」するようにと求めてきました(教会の社会教説綱要168)

ひとりミャンマーだけではなく、同様に人権が制約され共通善の実現を阻む状況が世界に存在していることは残念な事実であり、その実現なしに、神の平和は達成されません。

ボ枢機卿の呼びかけに賛同し,あらためて,対話による平和の実現を求めます。同時にミャンマーの姉妹教会の皆さんのために,ミャンマーの人々のために、祈り続けます。

一人ひとりのいのちが大切にされ、人間の尊厳が尊重され守られる社会が実現するように。

いのちを奪う暴力ではなく,連帯のうちに互いに助け合い支え合う社会が実現するように。

信教の自由が侵されることなく、平和と喜びのうちに神を賛美する社会が実現するように。
 
2022年2月1日
カトリック東京大司教区 大司教
菊地功

HOPING FOR PEACE THROUGH DIALOGUE
FOR OUR BROTHERS AND SISTERS IN MYANMAR

It has been a year since the Myanmar military staged a coup d'etat and overthrew the democratically elected government. Calls for democratization have been suppressed by the armed forces, and it has been reported that many people have been killed in the name of maintaining security.

Cardinal Charles Bo, Archbishop of Yangon, the president of the Catholic Bishops’ Conference of Myanmar, expressed that the situation for the past year has been “an extended Way of the Cross” and that “the whole of Myanmar is a war zone.” Cardinal Bo added that “churches that have been sheltering displaced people fleeing clashes between the army and armed groups are being targeted, raided and shelled by the military,” denouncing their attacks which endanger the lives of the many people seeking for freedom and democratization. (Vatican News)

Despite the collective efforts calling for peace domestically and internationally, it has been reported that “Myanmar's military announced via the country's state-run television on Monday (31st January) that it is extending ‘a state of emergency’ for another six months and will continue to have full authority.” (NHK news site) Unfortunately, the state of turmoil has not changed for the better, and with organizations such as the United Nations and the Association of Southeast Asian Nations unable to take effective measures, the situation is at a standstill.

The Archdiocese of Tokyo, in cooperation with the Archdiocese of Cologne in Germany, has been supporting the Catholic Church in Myanmar for many years. It started with the friendship fostered through the substantial support shared by the Church in Cologne to the Church in Tokyo for its reconstruction program after the war. And to remember such goodness with heartfelt gratitude, expanding further this love for neighbors, on the occasion of the 25th anniversary of this friendship between Cologne and Tokyo in 1979, Cardinal Höffner and Cardinal Shirayanagi agreed to start to support the Church in Myanmar.

Since then, the Archdiocese of Tokyo has been supporting the Church in Myanmar as a Sister Church, providing assistance especially for the program of priestly formation.

“The Church is aware that her essentially religious mission includes the defense and promotion of human rights” and advocates that the dignity of the gift of life created in the image of God must be always respected and protected without exception. (Compendium of the Social Doctrine of the Church 159)

Moreover, the responsibility for attaining the common good belongs to the State, believing that “the State must guarantee the coherency, unity and organization of the civil society of which it is an expression, in order that the common good may be attained with the contribution of every citizen.” (Compendium of the Social Doctrine of the Church 168)

It is a unfortunate that there are also other places in the world where the situation is similar to Myanmar where human rights are restricted and the realization of the common good is hindered. Without these realizations, God's peace will not be achieved.

I am one with Cardinal Bo calling once again for the realization of peace through dialogue. At the same time, let us continue to pray for all the faithful in our Sister Church of Myanmar, and for all the people of Myanmar.

Let us build a society that values the life of every human being, respecting and protecting human dignity.

Let us build a society that does not promote life-threatening violence, but rather encourage help and support for one another in solidarity.

Let us build a society that does not violate religious freedom, but rather unite in praising God in peace in joy.


February 1, 2022

Tarcisio Isao Kikuchi, SVD
Archbishop
Archdiocese of Tokyo

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2022年2月 1日 (火)

ミャンマーでのクーデターから一年です

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ミャンマーで昨年2月1日、アウン・サン・スー・チー国家顧問ら与党関係者が国軍によって拘束され、軍出身のミン・スエ副大統領が大統領代行となって非常事態宣言を発令してから、今日で一年です。(昨年の司教の日記のリンク

NHKニュースサイトによれば、「ミャンマー軍は、クーデターに伴って発令していた「非常事態宣言」を半年間延長すると、31日夜、国営テレビを通じて発表し、今後も全権を掌握し続ける姿勢を示し 」たと言うことです。同サイトはまた、「クーデターの発生から1年になるのにあわせて、軍の統治を拒む市民が、一斉に仕事を休んで外出も控える「沈黙のストライキ」を全土で行う構えで、参加した市民には法的措置をとると警告する軍との間で緊張が高まっています」と伝えています。ミャンマーの方々の安否が気遣われます。

この一年何度も繰り返してきたことですが、東京大司教区はかねてより、ミャンマーの教会を支援してきました。戦後にケルン教区から受けた支援への感謝の気持ちとして、いわばそのお返しとして,今度はケルン教区と一緒になって,ミャンマーの教会を支援してきました。特に司祭養成のために,ミャンマーデーの献金を持って支援を行っています。

東京教区内の小教区に所属されるミャンマー出身の信徒の方々がおられます。故郷のことを思い、どれほど心配されていることでしょう。故郷が、安心と安定を取り戻すように、ミャンマーの平和を心から願います。この一年、ミャンマーの教会は,特にアジアの諸司教団の支援を受けて、軍事政権に対して幾たびも声を上げてきました。しかしながらそのたび事に、教会が標的となった攻撃が繰り返され、命を奪われた方も少なくありません。東京教区のホームページでも,ミャンマー司教協議会の会長であるチャールズ・ボ枢機卿が声明を発表する毎に,それを紹介して,連帯のお祈りをお願いしてきました。昨年の平和旬間には,この緊急の事態に直面しているわたしたちの姉妹教会を心に留めて、例年とは異なり、ミャンマーのために祈る平和旬間とさせていただいたところです。(昨年の平和旬間の平和を祈るミサについての日記

ミャンマーの共同体の方々と、クーデター一年を前に、1月30日日曜日の夕方、築地教会聖堂を会場に、ミャンマーの平和を祈り夕べの祈りをささげました。メンバーとの友好関係を担当する一人である築地教会のレオ神父様と、私も、お話をさせていただきました。当日の模様は,教区広報でビデオを編集して,後日公開する予定です。

暴力的な力を持って、尊厳ある人間のいのちのを危機にさらすことは,ゆるされません。神が与えられた人間の尊厳が、命の尊厳が十全に尊重され、誰ひとりとして排除されることのない世界の実現を求めて、平和を祈り続けたいと思います。

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