カテゴリー「司教の日記」の1000件の記事

2026年2月17日 (火)

四旬節メッセージ@灰の水曜日

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2月18日は灰の水曜日です。今年は司教総会中のため、関口教会でのミサの司式ができずに、申し訳ありません。

教皇様の四旬節メッセージは、先週発表されたばかりで、公式翻訳が間に合うか心配でしたが、中央協議会の翻訳担当がしっかりと間に合わせてくださいました。感謝です。こちらのリンクからご覧ください

四旬節には大齊や小齊と言った断食の習慣が教会にはあります。詳しくは、こちらの中央協議会のサイトの解説をご覧ください。

また四旬節には、教会は特別に隣人へ手を差し伸べる業として四旬節献金を行います。日本の教会では、四旬節献金はカリタスジャパンに委託し、カリタスジャパンは年間を通じて、必要とされる様々な取り組みに、この献金を活用していきます。

以下、今年の四旬節の始まりにあたってのわたしのメッセージです。

四旬節の始めにあたり
メッセージ
2026年2月18日

2月18日は灰の水曜日です。四旬節が始まりました。今年は復活の主日が、4月5日と、新年度の始まりとほぼ同じになりました。

毎年この時期に繰り返す四旬節は、何かを決意しても、すぐ忘れてしまうわたしたちに、約束したことを思い起こすチャンスを与えています。

大切な人と何か約束をして、それをすっぽかした時、その後に、関係を修復するのにどれだけの努力が必要か、わたしたちは人生の中で少なからず経験しています。しかし神様との関係では違います。わたしたちにいのちを与えてくださった神様は、そのいのちが十全に生きられ、神様の似姿としての尊厳が、十分に保たれるような世界を求めて待っておられます。実現のために尽くすことなく、裏切り続けている私たちとの関係を断ち切ることなく、待ち続けているのです。神様は待っています。

わたしたちは、神の子どもとして歩むことを決意し、イエスの告げた福音を心に受け入れ、洗礼の恵みを受けた時、イエスの福音がこの世界で実現するように生きることを誓いました。幼児洗礼の方は記憶にないかもしれません。成人洗礼の方は記憶していますか。洗礼式の時、司祭は、たとえばこう尋ねました。

「あなたは悪霊と、その働きといざないを退けますか?」

どう答えたでしょう?「うーんどうでしょう」とか「そうなってみないと分からないですね」とは言いませんでした。わたしたちは「退けます」と応えました。はたしてわたしたちは、いまどうでしょうか。

イエスが、40日の試練を受けられた時、悪霊に導かれて三つの大きな誘惑を受けられました。それを見ると悪霊の働きといざないとは、私たちの普段の生き方と無関係ではないことがわかります。

まず、石をパンにせよとの誘惑。それは人間の本能的な欲望や安楽・安定ににとどまることへの内向きなわたしの願望で、神の願いではありません。わたしたちは、神とはこういう存在であるべきだと勝手に決めつけて、自らの願望を実現するために神を利用しようとします。

次に神に挑戦せよとの誘惑。それは自分こそがこの世界の支配者であるという謙遜さを欠いた思い上がりの欲望です。

そして三つ目はすべての権力と繁栄を手にすることへの誘惑。この被造界の支配者は自分たち人間であるという思い上がりの欲望です。

そう考えてみると、わたしたちは、日頃から悪の誘惑に負けてばかりではないでしょうか。この世界で権勢を誇っているものは、いつの日かすべて灰に帰って行きます。その事実を象徴するのは、。四旬節の始まりを告げる灰の水曜日です。

教会の伝統は、四旬節を過ごすにあたって「祈りと節制と愛の業」という三つの行動を常に心に留めながら、信仰を見つめ直す旅路を歩むようにと勧めています。とりわけ愛の業について教会は、四旬節の間に助けを必要としている隣人、中でも多くの人からその存在を忘れられているような方々に心を向け、特別な献金をするようにも呼びかけています。

この四旬節の間、信仰の原点に立ち返りましょう。最初の約束に立ち返りましょう。そして今年の復活節に洗礼を受けるために最後の準備に入っておられる方々と、歩みを共にし、ともに神に対する誓いを新たにいたしましょう。

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2026年1月 1日 (木)

謹賀新年

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皆様、新年、明けましておめでとうございます。

新しい年、2026年が神様の祝福に満たされ、神の平和が実現する年となりますよう、また皆様の上に聖霊の導きがありますように、心からお祈りいたします。

この一年もまた、教会のために、東京教区のために、そして私を含め司祭修道者のためにも、お祈りをお願い申し上げます。

年頭に当たっての司牧書簡を記しました。1/2月号の教区ニュースに掲載されておりますので、またこのブログにも掲載しますので、ご一読いただければと思います。

また年初、1月7日と8日には、教皇レオ14世によって臨時の枢機卿会が招集されており、私もローマに出かけて参ります。教皇様のために、また集まる枢機卿たちのためにもお祈りくださいますように、お願い申し上げます。

祝福に満ちた一年の始まりとなりますように。

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2025年12月11日 (木)

香港教区80周年記念行事@香港

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香港に使徒座管理区が創設されたのは、1841年のことです。その後1874年に使徒座代理区に昇格し、教区として独立したのは1946年4月11日。来年で80年となります。

司教座聖堂は香港島の丘の中腹に建つ無原罪の聖母教会。聖堂としては第三代目となる現在の司教座聖堂は、1883年に礎石が定められ、1888年にオープンしていますから、ほぼ140年の歴史を持っています。

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香港教区ではカテドラルの祝日である今年の12月8日から、教区の80周年行事を始め、来年に至るまで、様々な行事を計画しておられます。その80周年を開始する無原罪の聖母の祝日ミサに香港教区長スティーブン周枢機卿様からお声がけいただいて、参加させていただきました。

またこれに合わせて香港教区では12月6日の夜に聖歌隊フェズティバルを計画し、普遍教会の一致をシンボライズするために、関係のある世界各地から聖歌隊を招聘されました。参加したのは香港、台北、サンホセ(米国)、ウランバートル、大邱、マカオの聖歌隊で、加えて東京からも、麹町聖イグナチオ教会の聖歌隊選抜が東京を代表して参加してくださいました。

当初の計画では、これに北京の聖歌隊も加わることが考えられていましたが、残念ながら諸般の事由からこの計画は実現しませんでした。

また先日、大埔区超高層マンション「宏福苑」の火災があったことから、その犠牲者のためにも祈りが捧げられました。

なお当日の演奏会の模様は、2時間ほどになりますが、こちらのリンクからYoutubeでご覧いただけます。日本の聖歌隊は、40分あたりから登場します。

わたしは、12月6日は関口教会の125周年記念ミサがあったため、香港には行けませんでしたが、翌日に東京を発ち、12月8日の夕刻の無原罪の聖母の祝日ミサにご一緒させていただきました。

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このミサは、司式は周枢機卿様、そして補佐司教の夏司教様、それから引退されている湯枢機卿様と陳枢機卿様も参加されました。陳日君枢機卿様はまもなく年が明けると94歳ですが、いつも通り大変にお元気でした。

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ミサにはさらに、香港教区の長年のパートナー教区であるドイツのエッセン教区からOverbeck司教様、カリフォルニアのサンホセのCantu司教様、台北の趙補佐司教、マカオの李司教とわたしが共同司式で参加。その他大勢の司祭・修道者・信徒の方々が参加されました。ミサ前には、今年金祝や銀祝を祝っている司祭と修道者がひとり一人、周枢機卿様からお祝いを頂くなど、お祝いムード満点でした。

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ミサ前の日中には、他の海外の司教様方と一緒に、聖フランシスコ大学を見学に。大学に到着すると、壁面にはカリタスのロゴが。そして構内の至る所にカリタスのロゴがあります。と言うのも、この学校は元々カリタス香港が運営していた高等専門学校が発展したもので、その発展と現在の大学へと進化させたのが、前教区司教のミカエル楊司教です。2019年に72歳で帰天されています。

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わたしが、前回香港を訪れたのは、この楊司教様の司教叙階式でした。2014年の8月。というのも楊司教様は、長年にわたってカリタス香港の責任者を務め、教育や社会福祉事業に取り組む現在のカリタス香港という巨大な組織を造り上げた方で、一緒にアジアのカリタスの仕事をした仲間でした。

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今回、聖フランシスコ大学の図書館を訪れたところ、楊司教を顕彰するコーナーが設けられ、大学生説に彼が果たした役割が明記されていました。早逝されてしまいましたが、偉大な司教様でした。後者の至る所に、彼の存在を感じさせるように、カリタスのロゴが記されていました。

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12月7日は香港の議会にあたる立法会の選挙の日でもあり、夜11時頃まで投票所が開いていましたが、投票率は低調だったと聞いています。確かに街の至る所で、候補者の写真を掲げて投票を促している方々が、その日は大勢おられました。

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今回の北京の聖歌隊の不参加の件もそうですが、常に中国本土との関係の中で緊張を強いられるのが香港です。今後とも、香港の教会のために祈りたいと思いますし、特にその教育や社会福祉の事業がよりふさわしい実を結ぶように、協力しその実りから学んでていきたいと思います。

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香港教区の使徒職活動の豊かさには驚かされます。その中でもカリタス香港を中心とした様々な活動には70年の長い歴史もあり、社会の中でもしっかりと認知され、さらには何千人もの人を雇用する巨大組織でもあります。

日本に帰国する直前にその本部を訪れ、お話を伺い機会を頂いたことに感謝します。学ぶところは多々あると実感いたしました。

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2025年4月19日 (土)

2025年の復活祭にあたって

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2025年復活祭メッセージ
2025年4月20日

皆様、御復活おめでとうございます。

そしてこの復活祭、または復活節に洗礼を受けられるみなさん、おめでとうございます。教会共同体に心からの喜びを持ってお迎えいたします。

十字架における受難と死を通じて新しいいのちへと復活された主は、わたしたちが同じ新しいいのちのうちに生きるようにと招きながら、ともに歩んでくださいます。復活された主イエスは、わたし達の希望であるキリストです。

2020年に直面した世界的ないのちの危機以来、わたし達は混乱の暗闇の中をさまよい続けています。その間に勃発した各地の戦争や紛争はやむことなく、今日もまた、いのちの危機に直面し、絶望のうちに取り残されている人たちが、世界には多くおられます。

そのような状況は多くの人の心に不安を生み出し、世界全体が身を守ろうとして寛容さを失い、利己的な価値観が横行しています。異質な存在を受け入れることに後ろ向きであったり、暴力を持って排除しようとする事例さえ見受けられます。

人はそのいのちを、「互いに助けるもの」となるように神から与えられたと旧約聖書の創世記は教えています。ですから互いに助け合わないことは、わたし達のいのちの否定に繋がります。いのちの否定は、それを賜物として与えてくださった神の否定に繋がります。

互いに助け合わない世界は、神が望まれた世界ではありません。互いに助け合わない世界は、絶望を生み出す世界です。

いま必要なのは、いのちを生きる希望を、すべての人の心に生み出すことであります。

教会は今年、25年に一度の特別な聖なる年、聖年の道を歩んでいます。希望の巡礼者がそのテーマです。わたし達は、絶望が支配する世界に希望をもたらす者として、人生の旅路を歩み続けます。一人で希望を生み出すことはできません。信仰における共同体の中で生かされることを通じて、希望が生み出されます。その希望の源は、復活され、わたしたちとともに歩み続ける主イエス・キリストです。

先般、東京教区の姉妹教会であるミャンマーで大きな地震が発生し、わたし達が特に力を入れて支援してきたマンダレー周辺で大きな被害が出ています。ただでさえクーデター以降不安定な状況が続き、平和を求める教会に対する攻撃も続いている中での災害です。被災者救援のための募金も始まっています。被災され絶望に打ちひしがれている方々に希望が生み出されるように、わたし達はできる限りのことをしたいと思います。まず、ミャンマーの方々のために、その平和のために、祈りを捧げましょう。祈りには力があります。いのちを生きる希望を生み出す信仰の絆です。

復活祭にあたり、互いに支え合い、ともに歩む中で絆を深め、希望を生み出しそれをあかしする者となる決意を新たに致しましょう。

終わりに、病気療養中の教皇フランシスコのために、どうぞともに祈りをお捧げください。

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2025年1月 1日 (水)

「平和のために、ともに希望の旅路を」(2025年年頭の司牧書簡、教区ニュース1/2月号掲載済み)

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主の降誕と新年のお喜びを申し上げます。

昨年末の枢機卿叙任にあたっては、多くの方のお祝いの言葉とお祈りをいただきましたこと、心より感謝申し上げます。教皇さまから与えられたこの務めを果たすために十分な能力がわたしにあるものでもなく、また霊的な深さを持ち合わせているわけでもありません。求められていることを忠実に果たしていくことができるように、みなさまの変わらぬお祈りによる支えを心からお願い申し上げます。

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さて、昨年10月にはシノドスの第二会期がバチカンで開催され、わたしも日本の司教団を代表して参加してきました。この開催を持って、2021年から続いた世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会は閉幕となりました。

 これまでの慣例であれば、総会の最終文書を受け取られた教皇さまは、それに基づいて使徒的勧告を執筆され、教会全体への教えとされます。しかし今回、シノドス総会の最終日に出席された教皇さまは、参加者の投票によって最終文書が採択された直後に、その文書をご自分の文書とされることと、使徒的勧告をあらためて執筆しないと発表されました。すなわち、今回のシノドスの最終文書は、教皇さまご自身の文書となりました。

その上で教皇さまは、「わたしたちは世界のあらゆる地域から集まっています。その中には、暴力や貧困や無関心がはびこっている地域があります。一緒になって、失望させることのない希望を掲げ、心にある神の愛によって結ばれて、平和を夢見るだけでなく全力を尽くして、平和が実現するよう取り組みましょう。平和は耳を傾け合うこと、対話、そして和解によって実現します。シノドス的教会は、ここで分かち合われた言葉に具体的な行動を付け加えることが必要です。使命を果たしに出かけましょう。これがわたしたちの旅路です」と呼びかけられました。

今回のシノドスは、教会のシノドス性そのものを話し合うシノドスでした。特に第二会期では、「宣教するシノドス的教会」であるために、何が求められているのかを、参加者はともに識別しました。教会がシノドス的であるということの意味は、教皇様においては、すべて神の平和の構築に繋がっており、それこそが教会の使命であることが、この言葉からも明確に識ることができます。平和の構築こそは、教皇フランシスコが考える教会にとっての最優先課題です。

そう考えるとき、今の時代ほどその願いの実現からほど遠い世界はありません。

この数年間、世界は歴史に残るようないのちの危機に直面してきました。暗闇が深まった結果は何でしょうか。それは自分の身を守りたいという欲求に基づく利己主義の蔓延と、先行きが見通せない絶望の広まりであって、絶望は世界から希望を奪い去りました。加えて、ミャンマーのクーデターやウクライナでの戦争、そしてガザでの紛争をはじめとして世界の闇がさらに深まるような暴力的な出来事が続き、絶望が世界を支配しています。あまりにも暴力的な状況が蔓延しているがために、世界には暴力に対抗するためには暴力を用いることが当たり前であるかのような雰囲気さえ漂っています。

いま世界で、様々な形の暴力がわたしたちの命に襲いかかっています。神が与えてくださった賜物である命は、その始まりから終わりまで、例外なく、守られなくてはなりません。命を奪う暴力は、どのような形であれ許されてはなりません。

教皇様は、「希望の巡礼者」をテーマとする聖年の開催を告知する大勅書「希望は欺かない」に、「すべての人にとって聖年が、救いの門である主イエスとの、生き生きとした個人的な出会いの時となりますように」と記し、その上で、「教会は、主イエスをわたしたちの希望として、いつでも、どこでも、すべての人に宣べ伝える使命を持って」いると指摘されます。

いま世界は希望を必要としています。絶望に彩られた世界には、希望が必要です。

希望は、どこからか持ってこられるような類いのものではなく、心の中から生み出されるものです。心の中から希望を生み出すための触媒は、共同体における交わりです。互いに支え合い、ともに歩むことによって生まれる交わりです。少ない中からも、互いに自らが持っているものを分かち合おうとする心こそは、交わりの共同体の中に希望を生み出す力となります。希望の巡礼者こそは、今の時代が必要としている存在です。

2025年は第二次世界大戦が終わりを告げて80年の節目の年になります。人類の歴史に大きな傷跡を残した戦争を体験してもなお、人類は闘いをやめようとしません。1981年と2019年、お二人の教皇さまが日本を訪れ、広島と長崎から平和を訴えられました。あらためてお二人の教皇さまの呼びかけの言葉を読み返し、2025年を、神が求められる平和の確立を呼びかける年にしたいと思います。聖年は希望を生み出す巡礼者となることをわたしたちに求めます。神の平和の確立こそは、希望を生み出す源です。争いを解決し、神がわたしたちに賜物として与えられた命の尊厳が守られる世界を実現するために、祈りのうちに行動する一年と致しましょう。

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教皇さまの文書となったことで、シノドスの最終文書はイタリア語原文からの英訳などに時間がかかり、12月に入ってからやっと英語公式訳が公開されました。現在これに基づいて日本語訳が進められていますが、この公式訳には、シノドス総会で投票した際には存在しなかった教皇さまご自身のはじめの言葉が付け加えられています。

そこで教皇さまは、「各地方教会・・・は、教会法と本文書自体に規定されている識別と意思決定のプロセスを通して、文書に含まれている権威ある指摘を、様々な文脈で適用するよう、いま求められています」と記し、さらに、「シノドス第16回通常総会が終了したからといって、シノドスの歩みに終止符が打たれるわけではありません」と述べています。

これからは、わたしたちがこの呼びかけに応える番です。今回のシノドスが求めているのは、いわゆる議会民主制を教会に持ち込むことでは、もちろんありません。司教協議会に例えば教会の教えを決めるような権威を持たせるようなものでもありません。今すぐ教会の伝統的な諸制度を改革しようと呼びかけるものでもありません。それよりも、互いの声に耳を傾けあい、祈りをともにしながら、一緒になって聖霊の導く方向を識別し、その方向に向かってよりふさわしく進む道を見いだすようにと求めているものです。そうすることによって、初めて教会は、宣教するシノドス的な教会になることが可能となります。

東京教区においても、様々なレベルで、シノドス的な識別を取り入れる可能性を探っていかなくてはなりません。そのためには、単に組織構造を変えることが最優先ではありません。まず最初に、霊的識別の道を学ぶことが、はじめの一歩となります。そのための研修などを開催することを、現在検討中です。

同時に、今すぐこの道をたどりながら取り組めることがあります。

2020年に東京教区の宣教司牧方針をお示ししました。これはそれに先だって、多くの共同体からの意見をいただいて集約する中でまとめられた方針で、10年をめどとして達成するべき宣教司牧の優先課題を記したものです。同指針には「今後10年を目途に実施のための取り組みを行い、10年後に評価と反省を試みて、教会のさらなる発展に寄与していきたいと考えています」と記しました。

しかし10年はそれなりに長い時間でもあり、教会が置かれた社会の現実にも変化がありますから、中間となる5年目で一度見直しをすることがふさわしいと判断いたしました。

現在、教区の宣教司牧評議会において、その見直し作業に着手していますが、これを教区全体で行いたいと思います。その見直しにあたって、シノドス的な霊的識別の方法をできる限り取り入れて行くようにしたいと思います。

具体的な見直しについては別途お知らせいたしますが、基本的には次のように考えています。

東京大司教区の宣教司牧方針の三つの柱、①「宣教する共同体をめざして」、②「交わりの共同体をめざして」、③「すべてのいのちを大切にする共同体をめざして」は、変更せずに堅持したいと思います。それに付随する具体的な取り組みについて、これまでの取り組みとこれからの可能性、そしていまの社会の現実の中で必要となってきた取り組み課題などについて、できる限り多くの方の声をいただければと思います。

最初に宣教司牧方針を作成したときのように、個人のお考えではなくて、共同体の声を伺います。共同体における声の集約には、霊における会話の手法などを活用して、聖霊がわたしたち東京教区をどのような道に導いているのか、その方向性を見極める作業に取り組んでいただければと思います。

具体的な方法や、霊における会話の方法、さらにその声を集約する方法などについては、復活節中には、みなさまに具体的にお知らせするように致します。見直しのための小冊子を用意しますので、それぞれの共同体で祈りのうちに、宣教司牧方針の見直しの作業に取り組んでください。この見直しの作業は、一年程度の期間を見込んでいます。

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教会が宣教するシノドス的な教会であることを求められる教皇フランシスコは、ともに支え合い、助け合いながら、力を合わせて祈り続けることで、聖霊の導きをともに識別し、進むべき方向性を見いだす必要性をしばしば強調されています。教皇様の貧しい人や困難に直面する人への配慮は、単に個人的に優しい人だからという性格の問題ではなくて、教会が神の愛といつくしみを具体的に体現する存在であるからに他なりません。従って、教会がともに歩む教会であるのであれば、それは当然、神の愛といつくしみを具体的に示しながらともに歩む教会であって、そこに排除や差別、そして利己主義や無関心が入り込む余地はありません。広く心の目を開き、教会がいま進むべき方向性を、ともに見極めることができれば幸いです。一緒になって教会を広く大きく育てていきましょう。福音を告げていきましょう。新しい働き手を見いだしていきましょう。ともに祈りを捧げましょう。

新しい一年、福音をさらに多くの人に伝えることができるように、ともに歩んで参りましょう。みなさまの上に、またみなさまのご家族の上で、神様の豊かな祝福をお祈りいたします。

2025年1月1日

カトリック東京大司教区 大司教

枢機卿 菊地功

 

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2024年12月24日 (火)

主の降誕、おめでとうございます。

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クリスマスおめでとうございます。

闇に輝く小さな光、人となられた神の御言葉は、わたしたちの心に希望を生み出す源です。

いのちに対する暴力が吹き荒れ、闇が深まる中で、わたしたちは希望を見いだすことに困難を感じ、そんな中で、絶望に襲われている人も少なくありません。特に、暴力によっていのちが奪われることが毎日の現実としてあるウクライナやガザを初め、東京教区の姉妹教会であるミャンマーや、その他多くの国に生きている方々に思いを馳せます。

神のみことばの受肉による誕生で、光が闇に輝きました。飼い葉桶に寝かされた小さな光です。でも闇が深ければ深いほど、小さな光でも希望の光となります。わたしたちも、その光を受け継ぎ、それぞれの心に希望を生み出し、そしてその希望を多くの人に伝えていきたいと思います。ひとり一人にできることは小さくても、この深い闇の中では、希望の光として輝きます。

どうか良いクリスマスをお迎えください。そして祝福に満ちた年末と年始を過ごされますように。

「みことばの光と聖霊の恵みによって、罪の暗闇と不信仰の夜は消え失せ、イエスの御心がすべての人の心の内に生きますように」

2024年12月24日夜

カトリック東京大司教区 大司教

菊地功枢機卿

 

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2024年12月14日 (土)

今週の週刊大司教はお休みです。

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お待ちいただいている皆様には申し訳ありません。枢機卿会などの出張が重なり撮影が間に合わなかったため、本日12月14日の週刊大司教はお休みとさせてください。

来週12月21日は、午前11時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、枢機卿叙任の感謝ミサを捧げる予定です。また週刊大司教も再開するようにいたします。お待ちください。

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12月7日夕方の枢機卿会では、教皇様の前に順番に進み出て。ビレッタ(儀式用の帽子)と指輪をいただきました。デザインは写真の通りですが、前田枢機卿様も同じ指輪でしたので、共通の指輪かと思います。ペトロとパウロの姿が刻まれています。事前に制作している工房でサイズ合わせをしました。

これらをいただいた後に白い筒をいただきました。この中には教皇様からの枢機卿親任の書簡と、その中に。名義教会名が記されています。前回も記しましたが、ローマ教区の小教区でSan Giovanni Leonardiと言う教会です。現在、来年の着座式の日程を調整中です。

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これらをいただいた後に、出席してくださった先輩の枢機卿様の全員とあいさつを交わしました。一人一人を回りましたので、かなりの時間を要しました。私にとっては、司教枢機卿として一番前の列におられたタグレ枢機卿様やタクソン枢機卿様にはお世話になってきたので、お祝いしていただいたのは感謝の一言でした。それ以外にも、これまでのカリタスでの務めを通じて存じ上げている枢機卿様がたくさんおられたので、あいさつ回りは感動の連続でした。(写真は、タグレ枢機卿とあいさつのハグをしているところ)

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また、枢機卿会後には、バチカン美術館内のギャラリーに場所を移して、一人一人の新しい枢機卿がブースを設け、おいでいただいた方々のお祝いを受けるという儀式もありました。ここにも多くの方に来ていただき、感謝です。今回は21名も新しい枢機卿が誕生したために、この会場に入る入口は大混乱であったと後からうかがいました。

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12月9日の月曜には、駐バチカン日本大使公邸をお借りして、レセプションを開いていただきました。日本大使公邸の準備される和食には定評があり、多くの外交関係者が集まると聞いていましたが、その通りでした。多くの国の大使の皆様に来ていただきました。バチカンからも、外交をつかさどる国務次官のギャラガー大司教をはじめ、典礼秘跡省長官のローチェ枢機卿、福音宣教省のタグレ枢機卿、そして海外出張に出かけるために空港に向かう途中によってくださったタクソン枢機卿、昨年のシノドスでお世話になった外交官養成所アカデミアの校長ペナッキオ大司教、神言会の総本部の皆さん、ローマ在住のカトリック日本人会の皆さん、国際カリタスの本部事務局の皆さんなど、多くの方に来ていただき、さらには多くのメディア関係者も来てくださり感謝でした。前田枢機卿様は、お得意の一句を披露されながら、乾杯の音頭を取ってくださいました。ありがとうございます。

水曜日の昼に、前田枢機卿様とともに帰国し、そのまま夕方は麹町教会で司教団主催の教皇訪日5周年記念感謝ミサをささげ、その翌日は臨時司教総会でした。そのようなわけで、新しい枢機卿の服に変わってから、週刊大司教を撮影する時間をとれませんでした。

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皆様のお祈りとお祝いの言葉に、心から感謝申し上げます。今後とも、お祈りを持って支えてくださるようにお願い申し上げます。

 

 

 

 

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2024年12月 9日 (月)

皆様のお祈りに感謝いたします。

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昨日、12月7日の夕刻、サンピエトロ大聖堂で行われた枢機卿会において、教皇様から枢機卿へ叙任していただきました。

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与えられた務めに対して、わたしの力は十分ではありません。皆様のこれまでのお祈りに心から感謝すると同時に、これからもさらなるお祈りをお願い申し上げます。

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本日12月8日、教皇様の司式で、感謝ミサも捧げ、その後、日本から来られた60名を超える巡礼団の皆様とバチカン近くで感謝の昼食会を行い、その後、神言会の総本部を訪れることもできました。

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水曜日には帰国いたしますが、あらためて今回の一連の行事について報告させていただきます。

なお昨日の枢機卿叙任に当たり、枢機卿としての名義教会を頂きました。ローマ教区の小教区でSan Giovanni Leonardiと言う教会です。今後、小教区や儀典室と調整しながら、来年には着座式のために訪れたいと思います。

皆様に心から感謝申し上げます。

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2024年9月20日 (金)

この20年に感謝します

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2004年9月20日。いまからちょうど20年前に、わたしは岡田大司教様の按手によって司教に叙階していただきました。

この20年間、新潟の司教としての13年間と、その間に札幌教区の使徒座管理者を4年間、それに続けて東京の大司教と、司教としての務めをなんとか果たすことができたのは、いつくしみ深い神様のあわれみと、それをもたらしてくださったみなさまの祈りと支えのおかげです。みなさまお一人お一人に、心から感謝申し上げます。みなさまのお祈りと支えなくして、司教職は成り立ちません。これからも謙遜に耳を傾け、共に歩む司教でありたいと思いますが、人間は弱い存在です。常に傲慢さが心の内に頭をもたげます。どうか祈りのうちに支えてくださることを、あらためてお願いいたします。

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20年前の9月20日の新潟は、非常に暑い日でした。新潟市郊外にある新潟清心高校の体育館に一杯の皆さんが集まってくださり、祈りと感謝の時を一緒にしてくださいました。

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ちょうど、手術後から体調を崩されていた前任者の佐藤敬一司教様も、車椅子を使って会場に駆けつけてくださり、写真にあるとおり、前任者としてしっかりと按手をしてくださいました。

あれから20年。当時の新潟教区の司祭団のメンバーから、すでに何名も御父の元へと旅立って行かれました。2020年9月24日からわたしを継いで新潟の司教に叙階された成井大介司教様には、様々な困難があることと思います。特に新潟教区において、司祭や修道者の召命が極めて少ないことは大きな挑戦であると思います。新潟教区のために、また成井司教様のためにもお祈りください。

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幸いにこの20周年の記念にあわせるかのように、次の日曜日には秋田の聖体奉仕会を訪れ秋田の聖母の日のミサを司式する機会をいただきました。聖母マリアの取り次ぎによって、多くの方がその子である主イエスの元に導かれるように、日本の社会において福音をあかしして生きる決意を新たにしたいと思います。

みなさまに、感謝を込めて。

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2024年6月 4日 (火)

八王子方面から二つの慶事

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八王子方面からの出来事を二つ。二つの場所は、中央高速の八王子インターから圏央道のあきる野インターに至る新滝山街道を挟んで、北と南のすぐ近くにあります。

5月31日の朝、新滝山街道のすぐ北側に位置する東京純心女子中学高校が、創立60周年を迎えました。純心女子中学高校については、こちらのリンクを

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長崎にルーツを持つ、純心聖母会が経営母体となる学校です。長崎と鹿児島と東京に、それぞれ教育機関を設置しています。純心聖母会自体も、この6月で、創立90年を迎えると聞いています。同会のホームページによれば、次のようにその経緯が記されています。

『1934(昭和9)年6月9日に、日本人最初の司教、長崎教区長ヤヌワリオ早坂久之助きゅうのすけ司教によって、「日本二十六聖殉教者天主堂」(大浦天主堂)のサンタ・マリアの祭壇前で創立されました。奇しくもこの日は、日本の教会の保護者である「聖母マリアのいと潔いさぎよきみ心」(現「聖母のみ心」)の祝日でした。聖母マリアに対する崇敬と感謝の念を抱いていた創立者は、本会を「聖母のいと潔きみ心」に奉献して、「純心聖母会」と命名しました。創立者が本会を創立するにあたって受けたインスピレーション(「創立者のカリスマ」)は、「与え尽くす十字架上のキリスト」です。
 初代会長シスターマリア・マダレナ江角えずみヤスは、共同創立者として創立者に協力し、聖母マリアのみ心に倣いながら、「与え尽くす十字架上のキリスト」の愛を多くの人々に宣教して生涯を全うしました。「マリア様、いやなことは 私がよろこんで」はシスター江角自身が生き、純心の学園や福祉施設、修道会において純心精神を物語る標語として、大切に受け継がれています』

東京に設置された中学高校のホームページに記された校長先生による、学校創立の経緯によれば、その修道会の創立者ご自身が、この地を見いだされたのだそうです。こう記されています。

『創立者 Sr.江角ヤス先生は、東京純心を建てる地をこの滝山に見つけました。そして、この地を歩きながらここで育っていく生徒たちについて思いめぐらし、その熱い思いを校歌に託しました」

 なお隣接地には東京純心大学もあります。こちらは看護学科とこども文化学科。大学は1967年に短期大学として始まり、1996年に四年制大学になっています。

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創立者の名を冠した江角講堂で、聖母訪問の祝日のミサを、創立感謝ミサとして、全校生徒、教職員、そして理事長や校長を始め純心聖母会のシスター方も一緒に、捧げました。ミサ終了後には、同じく講堂で、国際カリタスのお話を中心に、『なぜ教会は人を助けるのか』というテーマで、50分ほど講演もさせていただきました。東京純心女子中学高校の皆さん、おめでとうございます。

そして二日後、キリストの聖体の主日に、再び朝から八王子へ向かいました。今度はピエタのシスターとして知られている師イエズス修道女会の、誓願金祝と銀祝の感謝ミサのために、一昨日の純心の反対側、新滝山街道の南側に位置する同修道女会の日本管区本部へ向かいました。

ところが、目の前の丘に修道院が見えるのに、どこから入ったらいいのか分からない。運転してくれた小田神父様が、慌てて修道院へ電話してみると、我々がいる新滝山街道を乗り越える橋があり、そちらは旧滝山街道へ回って入れるとわかり、再び周囲をぐるりと回ることに。危うく、ミサ開始の時間に遅れるところでした。

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お祝いのために、全国各地にある同修道女会共同体から代表が参加。東京カテドラル構内にも関口修道院があるので、このメンバーは全員が参加。創立者を同じくする、パウロ会、女子パウロ会の代表や、シスター方が台所を担当しているイエズス会の神学院の代表など、多くの方が参加されていました。

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誓願宣立50周年はシスター平松千枝子、シスター村上ヨウ子、シスター梶野芳子、そして誓願25周年はシスター寺田奈美江。おめでとうございます。ミサ後の昼食会では、すべての共同体からのお祝いの言葉や歌もあり、和やかな一時でした。

どちらの修道女会もお祝いでしたが、同時に、与えられた使命の後を継ぐ若い召命が、どちらの修道会も少ないと言う悩みの再確認でもありました。もちろん召命は人間が生み出すものではなく、神様から与えられるものですが、同時に神様の呼びかけがふさわしい人の心に到達し、それに前向きに応えるためには、人間の努力による貢献が不可欠です。その意味で、神様からの呼びかけだからと、何もしなくて良いわけではなく、修道者や司祭だけに限らず、すべてのキリスト者に与えられている召命にどう答えるのかと言う視点を、日頃から深めていく努力は重要です。信徒だから修道者や司祭とは違う、のではなくて、すべてのキリスト者にはそれぞれユニークな召命があると、改めて心に刻みたいと思います。

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奉献生活に生きることは、ともすれば個人的なこと、つまり修道者ひとり一人が、どのように三つの誓願、清貧・貞潔・従順を守り、福音的勧告に従って生きるのかという、個人的な霊的生活のレベルだけで考えられがちです。しかし教会には、信仰それ自体が、ベネディクト16世がしばしば指摘したように、イエスとの個人的な出会いの体験が必要であるけれど、同時にわたしたちの信仰は共同体に基づいている、共同体としての信仰であることを心に留めたいと思います。いつまでも共にいると約束された主が残されご聖体の秘跡は、わたし個人と主との交わりであり、同時に共同体を主との交わりに導く秘跡であります。教会は、常に個人的側面と共同体的側面のバランスをとろうと努めています。教会憲章にあるとおり、教会はこの世の組織でありつつ、天上の善に飾られた存在でもあり、現実的側面と霊的側面が共存するように、共同体的側面と個人的側面も共存します。

奉献生活に生きる人の存在は、奉献生活者個人にとって重要な意味を持っていますが、同時に教会にとって、まさしく福音に基づいた連帯や支えあいが、希望や喜びを生み出すのだというあかしをする存在として重要な意味を持っています。

教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「奉献生活」にこう記されています。
「他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々も必要です。(104)」

教会の本質である三つの務め、すなわち福音のあかし、祈りと典礼、そして愛の奉仕。それを具体的に目に見える形で現す人の存在は、しかも必死になってそれに生きようとする姿は、現代に生きる多くの人の希望の光です。第二バチカン公会議の教会憲章は、修道生活の偉大さを指摘しながら、次のように記しています。

「修道者は、あるいは山上で観想するキリスト、あるいは群衆に神の国を告げるキリスト、あるいは病人や負傷者をいやし罪人を実りある生活に立ち帰らせるキリスト、あるいは子どもたちを祝福し、すべての人に恵みをもたらすキリスト、自分を派遣した父のみ心につねに従うキリストを人々に示さなければならない。(46)」

この困難で不確実な状況の中にあるからこそ、教会はいのちの希望の光を高く掲げたいと思いますし、修道生活を営む皆さんには、率先してキリストの希望の光を掲げる存在であってほしいと思います。そのためにも、日々の生活の中で、主イエスの愛といつくしみを自らのものとして実践し、おごり高ぶることなく謙遜に、そして聖なるものとして人生を歩んで行くことが出来るよう、聖霊の豊かな祝福と導きがありますように祈り続けたいと思います。

 

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