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2024年1月 1日 (月)

新年明けましておめでとうございます

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皆さま、新年明けましておめでとうございます。

新しい年の始まりにあたり、皆さまの上に神様の豊かな祝福があるように、お祈りいたします。神の民の一員として、歩みを共にしてくださる皆さま、お一人お一人の上に、聖霊の導きと護り、祝福が豊かにありますように。

どうかこの一年も、シノドスの道を歩み続ける教会にあってそれぞれの場で福音をあかしされ、また教会のため、教皇様のため、教区のため、そして司教や司祭のために、お祈り続けてくださいますようにお願い申し上げます。同時に、一人でも多くの司祭や修道者が生み出されるように、召命のための祈りもどうかお願いいたします。

東京教区では、昨年12月16日にアンドレア補佐司教が誕生しました。アンドレア司教様には12月18日付けで、司教総代理に就任していただきました。今後、アンドレア司教様には総代理として、司祭団との窓口や小教区との窓口として、様々な役割を果たしていただきます。

これまで司教総代理を務められ教区のために司教を支え補佐してくださった稲川保明神父様に心から感謝いたします。稲川神父様には今後も、教区の法務代理として、また司教顧問のひとりとして、務めをお願いしています。

それでは2024年が、神の平和の実現する祝福に満ちた一年となりますように、祈り続けましょう。

以下、東京教区ニュースの新年号の冒頭に掲載してあります、年頭の司牧書簡の原稿を掲載いたします。

大司教司牧書簡
「つながり」の教会のために
2024年1月1日
東京大司教
タルチシオ 菊地 功

はじめに
2017年12月に東京教区の司教として着座して以来、今年で7年目を迎えました。この間、様々な出来事がありましたが、わたしが牧者としての務めを果たすことができたのは、みなさんのお祈り、ご協力、そしてご支援のおかげです。東京教区の信徒のみなさん、修道者のみなさん、そして司祭団が、ともに歩んでくださったことを、こころから感謝しています。

この7年間、わたしは「つながり」、あるいは「交わり」を大切にしようとしてきました。それは11年前の2015年に発表された教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』に触発されてのことです。

教皇様はこの文書で、いわゆる環境問題についての具体的な行動を求め、とりわけ「エコロジカルな回心」を求めておられます。しかし、よく読んでみると「つながっている」という表現が何度も登場します。「すべての被造物はつながっている」(42項)、「あらゆるものはつながっている」(117項)などです。

「関連」、「結びつき」、「つながり」、「統合的」といった、あるものとあるものを結びつけ、その関わりあいを示す言葉が回勅のキーワードとなっています。ですから回勅『ラウダート・シ』は環境問題に関する教会のメッセージにとどまるのではなく、現代社会が忘れている「つながり」をもう一度回復しようではないかという、信仰におけるメッセージともなっています。

わたしたちが洗礼の時にいただいた恵みをさらに豊かにするためには、「つながり」という視点からわたしたちの生き方と生活を見直す必要があります。

宣教司牧方針
2020年に『東京教区宣教司牧方針』を策定しました。これを策定するためには時間をかけ、広く皆さんから意見や活動の様子を教えていただきました。どの小教区共同体でも、それぞれの状況に応じて活動を工夫し、抱えている課題や困難に挑んでいる様子がよく分かりました。

わたしは、こういった教会の生きている姿を、教区全体で分かち合いたいと考えました。また、同じような方向性を持っている活動や取り組みの「つながり」を作りたいとも考えました。一つひとつの行動は小さなものであっても、「つながり」を作ることで大きく、堅固なものになると信じているからです。また、教区全体の「つながり」の中で、皆でこころを一つにして祈ることは大切だと思ったからです。

そこで「つながり」を念頭に置いて、この『東京教区宣教司牧方針』を書きあげました。例えば、教区内のさまざまなグループがおこなっている「愛のわざ」が教区全体として統合できるようにと「教区カリタス」としてカリタス東京の設立を優先課題に盛り込みました。また、教区内の多くの外国籍の信徒の皆さんの「つながり」を強固なものとすることも記しました。孤立しがちなひとたち、とりわけ社会的弱者、社会的マイノリティーとの連携ができる小教区共同体となることを呼びかけました。さらには、長年の姉妹教会であり、現在も紛争の中で苦しんでいるミヤンマーの兄弟姉妹への援助もお願いしました。

すべては「つながり」という視点からです。教会においては、誰も一人で孤立して活動することはあり得ません。時間と空間を超えてつながっているのが、教会共同体です。2020年は新型コロナウイルス感染症の蔓延による、いわゆる「コロナ禍」が始まった年でした。パンデミックに影響され「つながり」が薄らぎつつある社会にあって、わたしたちの教区は神と人と、人と人の「つながり」を大切にするようにと努めてきました。『東京教区宣教司牧方針』をもう一度見直してみると、三分の二以上の項目において、この四年間で何らかの進展が見られます。特に、カリタス東京と教区カテキスタ制度の活動は目覚ましいものがあります。ここに関わってくださった方々に改めてお礼を申し上げます。

現代社会と教会
現代社会は「無関心」、「使い捨て」、「対立の文化」が顕著に見られます。個人を重視するあまり、逆に隣人への「無関心」が生まれます。自分の生活に精一杯で、他人に対してこころを砕くことが忘れられています。大量消費が経済の基調となっていますから「使い捨て」は当然なことです。使い捨てて、新しいものを購入するからです。物事の評価は役に立つか否かが基準となりますから、人間ですらも使い捨てられるようになります。人の集まりは分断されて「対立の文化」が生じます。生活の格差、経済の格差が生じて、格差の上にいる人々と下にいる人々は決して交わることはありません。

このような現代社会にあっては、「わたしたち」という共同体の意識は生まれてきません。なぜなら「わたし」が世界の中心だからです。当然、「ともに」という思いも生まれません。「つながり」がないからです。

いつの間にか、こういった社会の風潮に教会も流されているように感じます。人と人との「つながり」が希薄になるということは、わたしたちキリスト信者の神との「つながり」にも影響をおよぼします。もしわたしたちが神との親密さを生きれば、当然、隣人との親密さも生きるようになるはずです。なぜならば、聖霊は「つながり」において働かれるからです。すなわち「つながり」は愛の働きなのです。神との交わりを生きようとするとき、当然、人との交わりはないがしろにはできません。どちらも愛の介在があるからです。

しかし、毎週のように主日のミサに通いながらも、普段の生活では「無関心」、「使い捨て」、「対立の文化」を生きているのであれば、それは主イエスのみ心を生きたことにはならないでしょう。

ですから、わたしたちには『ラウダート・シ』が示すように統合的な回心が必要になります。生活のあり方、生き方のすべてを見直す回心が必要です

ケアする教会
ここで「ケア」という言葉に思いをはせてください。もともとは「お世話する」という意味ですが、現在、いろいろな分野で使われるようになりました。そして、教皇の文書でもよく使われています。「お世話」、「気づかい」、「配慮」、「他者への寄り添い」、「関わり」などと言い換えることができます。社会科学の分野では、この言葉の翻訳の難しさが指摘されています。そのため日本語に直さずに「ケア」とそのまま使うようになりました。

「ケア」は人と人との「つながり」を表す言葉です。そして、「ケア」する者とされる者という上下関係の意味はありません。むしろ兄弟姉妹として、お世話し、気づかい、配慮し、寄り添うのが「ケア」です。

「ケア」はお互いを大切にし、お互いに耳を傾け、向き合い、対話することを目指します。言い換えれば「ともに歩む」ことです。

教会はケアの場所です。人と人との「つながり」を大切にするからです。誰も排除されず、相手の言葉を聞きとり、違う立場の人と向き合い、対話を重ねていきます。そして、神から造られたものであることを、ともに喜び、感謝します。

ケアする教会の中心には、いつも聖体祭儀、すなわちミサがあります。ご聖体のイエスは、わたしたちのお世話のため、わたしたちに気づかうため、わたしたちに寄り添うために、小さなホスチアの形になってわたしたちのこころに来てくださるからです。ご聖体のあるところには、「ケア」する主ご自身が、いつも共におられます。

いくつかの勧め
『東京教区宣教司牧方針』を実行するために、そして、「つながり」を大切にするために、わたしは東京教区の牧者として、次の四つの点を呼びかけます。

1. ミサを大切にしましょう。
ミサは「ともに祝うキリストの過越の記念」です。近年の個人主義的な生き方が尊ばれる風潮にあっても、教会はともに集うことを大切にします。ミサを通じて神さまと出会い、人と出会うのです。ミサなしの教会は考えられません。

キリスト信者としての生活にミサ、とりわけ主日のミサを中心に据えることを重要視しないことは考えられません。主日にはできるだけミサに参加してください。できるだけ定期的にミサに参加してください。

御聖体の神秘は、わたしたちの想像をはるかに超えるものです。できるだけ頻繁にミサに参加して、神との「つながり」、隣人との「つながり」を深く味わっていただきたいものです。

残念なことに司祭の高齢化と召命の減少のため、小教区の中には司祭が兼任となるところも増えつつあります。教区としてはできる限りミサが行えるように、小教区司牧以外の使徒職に携わる司祭の応援も得て、ミサが継続できるように努力をして参ります。

2. お互いに受け入れましょう。
ケアする教会では誰も排斥されてはなりません。幼児、子ども、青年、大人、高齢者、障碍者、外国籍の人、社会の中で異質と見なされる存在などなど。共同体から退けられる可能性はだれにでもあります。大多数にとって異質だと見なされたとき、排除や排斥が正当化されてしまいがちです。異なる存在に目をふさぎ、自分たちだけの都合のよい集いになってはなりません。

教会は、貧しい者のための教会です。低迷するいまの日本の社会にとって、貧しい者とはわたしたち一人ひとりのことをも指しているのかもしれません。教会にある豊かな「つながり」のおかげでわたしたちは貧しくとも、ともに歩んでいけるのです。この豊かな「つながり」に、一人でも多くの人を招き入れましょう。

3. 「分かちあい」を目指しましょう。
ケアする教会は、ともに歩む教会です。それは、聞く教会であり、分かち合う教会でもあります。一人ひとりが考えたこと、感じたことを分かち合う時、大きな実りを共同体にもたらすはずです。

少数の人の声に従っていくのではなく、互いに耳を傾け合い、互いの声を聞きながら、多数決での結論を急がずに、ともに祈って聖霊の導きを見いだしながら、共同体のために何かを決定していく姿は教会ならではのものです。それこそが「シノドス的な教会」と言えるでしょう。

4. 宣教する教会となりましょう。
「ケア」は人との「つながり」を表します。家庭で、地域で、職場で、わたしたちは隣人との関わりを生きます。十字架上で「自分のいのちをささげるまでにケア」なさったイエスのように生きたとき、人々はそこに神の姿を見いだすのです。わたしたちは「ケア」を通じて、福音宣教をしているのです。自分のために生きるのではなく、惜しみなく隣人に自分自身を与え尽くすような生き方を目指していきましょう。

おわりに
昨年の終わりに、わたしたちの教区に新しい補佐司教が誕生しました。みなさんのお祈りのおかげで、主は、新しい牧者をわたしたちのもとに送ってくださいました。アンドレア・レンボ補佐司教が主から委ねられた牧者の務めを力強く果たすことができるようにと、これからもお祈りください。

東京教区の牧者として着座して6年、多くの方々に支えられて過ごせたことに感謝しています。教区の長い歴史の中に、わたしもつながっていることに感謝しています。またその責務の重大さに、いつもこころを震わせています。しかし、帰天された先輩の司教さま方と司祭の方々が天国から見守ってくださっているおかげで、主から課せられた牧者の務めを果たすことができています。

社会の厳しい現実にみなさんと一緒に向き合い、担い合えるのは大きな喜びです。このように共同で責任を担うことで、将来に向けた歩みを少しずつ進めることが可能になります。これこそが、カトリック教会が求めている「ともに歩む」教会の姿です。みなさんと一緒に、聖霊がわたしたちの教区に求めている道を祈りの中で識別していきましょう。

 

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2023年8月 4日 (金)

2023年平和旬間、東京教区呼びかけ

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2023年07月19日

東京大司教区の皆様

2023年平和旬間にあたって

 

暴力が生み出す負の力が世界に蔓延し、いのちが危機に直面する中で、わたしたちは平和が夢であるかのような時代を生きています。日本の教会は、今年も8月6日から15日までを平和旬間と定め、平和を想い、平和を願い、平和の実現のために行動するように呼びかけています。

3年にも及ぶ感染症によるいのちの危機に直面してきた世界は、いのちを守ることの大切さを経験から学んだでしょうか。残念ながら、平和の実現が夢物語であるように、いのちを守るための世界的な連帯も未だ実現する見込みはありません。それどころか、ウクライナでの戦争状態は終わりを見通すこともできず、東京教区にとっての姉妹教会であるミャンマーの状況も変化することなく、平和とはほど遠い状況が続く中で、時間だけが過ぎていきます。

今年の平和旬間でも、平和のための様々なテーマが取り上げられますが、東京教区では特に姉妹教会であるミャンマーの教会を忘れることなく、平和を祈り続けたいと思います。

ご存じのように、2021年2月1日に発生したクーデター以降、ミャンマーの国情は安定せず、人々とともに平和を求めて立ち上がったカトリック教会に対して、暴力的な攻撃も行われています。ミャンマー司教協議会会長であるチャールズ・ボ枢機卿の平和への呼びかけに応え、聖霊の導きのもとに、政府や軍の関係者が平和のために賢明な判断が出来るように、弱い立場に置かれた人々、特にミャンマーでの数多の少数民族の方々のいのちが守られるように、信仰の自由が守られるように、この平和旬間にともに祈りましょう。

具体的な行動として、今年は久しく中断していた「平和を願うミサ」が、8月12日(土)11:00からカテドラルで捧げられます。このミサの献金は、東京教区のミャンマー委員会(担当司祭、レオ・シューマカ師)を通じてミャンマーの避難民の子どもの教育プロジェクト「希望の種」に預けられます。また、8月13日の各小教区の主日ミサは「ミャンマーの子どもたちのため」の意向で献げてくださるようお願いいたします。

ともに一つの地球に生きている兄弟姉妹であるにもかかわらず、わたしたちは未だに支え合い助け合うことができていません。その相互不信が争いを引き起こし、その中で実際に戦争が起こり、また各国を取り巻く地域情勢も緊張が続いています。そのような不安定な状況が続くとき、どうしてもわたしたちの心は、暴力を制して平和を確立するために暴力を用いることを良しとする思いに駆られてしまいます。しかし暴力は、真の平和を生み出すことはありません。人間の尊厳は、暴力によって守られるべきものではありません。それは、いのちを創造された神への畏敬の念のうちに、互いに謙遜に耳を傾け合い、支え合う連帯によってのみ守られるものです。

加えて、カテキズムにも記されている通り、目的が手段を正当化することはありません(カテキズム1753)。暴力の支配が当たり前の日常になる中で、戦争のような暴力を平和の確立のための手段として肯定することはできません。「戦争は死です」(ヨハネ・パウロ二世、広島平和メッセージ)。

教皇フランシスコは、2019年に訪れた長崎で、国際的な平和と安定は、「現在と未来の人類家族全体が、相互依存と共同責任によって築く未来に奉仕する、連帯と協働の世界的な倫理によってのみ実現可能」であると述べられました。

その上で教皇は、「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられているにもかかわらず、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは天に対する絶え間のないテロ行為です」と指摘され、軍備拡張競争に反対の声を上げ続けるようにと励まされました。

いのちの危機にさらされ、困難の中で希望を見失っている人たちへの無関心が広がる世界では、異なるものを排除することで安心を得ようとする傾向が強まり、暴力的な力を持って、異質な存在を排除し排斥する動きが顕在化しています。

平和を語ることは、戦争につながる様々な動きに抗う姿勢をとり続けることでもあり、同時に人間の尊厳を危機にさらし、いのちを暴力的に奪おうとするすべての行動に抗うことでもあります。

平和旬間にあたり、いのちの創造主が愛といつくしみそのものであることに思いを馳せ、わたしたちもその愛といつくしみを社会の中に実現することができるように、祈り、行動していきましょう。

カトリック東京大司教区 大司教
菊地功

今年の東京教区平和旬間行事については、こちらをご覧ください

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2023年7月13日 (木)

来るシノドスでの歴史的出来事について

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教皇庁からは、毎日ローマ時間のお昼に様々な公示が発表されます。教皇様による様々なメッセージや、各省庁からのメッセージなどですが、中でも人事の発表には注目が集まります。

7月7日には、10月に開催される通常シノドス第16回総会の参加者名簿が公表されました。参加者名簿はこちらからご覧いただけます

そして7月9日のお昼には、恒例の教皇様によるアンジェルスの祈りに続いて、教皇様ご自身から、9月30日に枢機卿会を開催して、新しい枢機卿を親任するとの発表がありました。

まずはシノドスですが、すでに各国・地域の司教協議会は、そのサイズ(司教の人数)に応じて、代表の司教を選挙で選んでありました。ちなみに日本の司教団は代表が1名で、すでに以前の総会でわたしが選出されていました。これらの司教協議会代表に関しては、今年の5月頃に教皇様の裁可があり、内示がありました。

それ以外に、教皇様は各大陸(7つ)からそれぞれ10名ずつの司祭・修道者・信徒の代表を選ぶことを決められ、各大陸の組織(アジアではFABC)に、20名の候補者を出すようにとの通知がありました。これに加えて、教皇様がご自身で選ばれた参加者や、専門家など、今回初めて司教や枢機卿以外でも投票権を持って参加することになった多くの方の選出がかなりの時間を要したようで、参加者の発表は7月7日までずれ込みました。

日本に関係する参加者は4名です。一人は、以前上智大学で教えていたイエズス会のオロリッシュ枢機卿。現在ルクセンブルグの大司教であるオロリッシュ枢機卿は、リストではかなり最初の方のGENERAL RAPPORTEURという役目です。全体報告者とでも訳すのでしょうか。今回のシノドスを、シノドス事務局長のグレック枢機卿とともにはじめの頃から企画し推進してきた方ですので、総会でも重要な立場におられます。

もう一人は、専門家にリストアップされているシスター弘田。メルセス会のシスター弘田は、ローマで働かれたこともあり、以前のシノドスにも専門家として参加された経験があります。また今回のシノドスの企画運営の委員会の唯一の女性委員でもあります。

そして、日本代表のわたし。

そして、直後に枢機卿親任の発表があったのであまり注目されていませんが、歴史的な快挙である西村桃子さんの任命です。何が歴史的かというと、彼女の役割は、「議長代理(President delegates)」という役目の一人です。

シノドスの議長(President)は教皇様ご自身ですから、毎日の議事運営を実際に担ってシノドスを回していくのが議長代理の役目です。つまり西村さんは、教皇様の代理を務めるように任命されました。これ、実は、ものすごいことです。歴史的快挙です。

これまでのシノドスでは、この役割はほぼ枢機卿たちが独占して任命されてきました。教皇様の代理ですから、それが当たり前であったのでしょう。それを教皇フランシスコは今回、9名を任命されて、その中に枢機卿はひとりのみ。それに司教が4人、司祭がひとり、そして奉献生活者の女性が二人。そのうちの一人が西村桃子さんです。

西村桃子さん、歴史的快挙です。

西村さんはセルヴィ・エバンジェリーという宣教者の会の会員で、横浜教区で青年司牧活動に従事されています。フィリピンでの経験や、アルゼンチンでの経験が豊かにあり、英語とスペイン語に堪能です。

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実は、今年の初め、アジアの大陸別シノドスを準備するにあたり、FABCの事務局ではアジア各地から、司祭だけに限らず様々な専門家に参加していただいて、事前の準備をしたり、文書を作成したり、実際の運営にあたるグループを立ち上げました。ところが東アジアからの代表がなかなか見つからない。東アジアは、「英語で文書が書ける女性」が条件だったため、なかなか候補者が見つかりません。すでに準備作業がはじまっていましたが、ある日ふと気がついて、東京教区で青年司牧にあたっておられるセルヴィ・エバンジェリーの会員を通じて西村さんにコンタクトをとったところ快諾。加えて、オロリッシュ枢機卿とも知り合いであることもわかり、早速チームに加わっていただきました。(上の写真がそのFABCのアジア大陸別シノドス文書作成チーム。西村さんは左から2番目。FABC会長のチャールズ・ボ枢機卿の隣り)

アジア各国からの司祭や信徒の神学者からなるチームの中で、西村さんは素晴らしい活躍を見せ、チームメンバーからも高い評価を得ていました。今回、議長代理に選出されたのも、アジアの大陸シノドスでの活躍が評価されてのことだと思います。FABCの事務局に関わるものとして、大変名誉な任命であると思います。(下の写真は、アジアの大陸別シノドスに参加した日本代表団とオロリッシュ枢機卿)

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シノドスの準備は進んでいるようですが、教皇様が9月30日に枢機卿会を開催すると突然発表されたので、現場は大混乱している様子が伝わってきます。宿泊場所の確保が何やらエラいことになっているようです。

シノドスの投票権を持つ参加者(メンバー)は、いまのところ378名。そのほかに83名が招待されています。記者資料によればその中に女性は85名で、そのうちの56名が投票権を持っているメンバーです。アジアからは、総勢で44名が参加する予定です。

9月30日の枢機卿会から始まり、10月29日まで続くシノドスが、どうか聖霊に導かれて進むべき道を見いだすことができるように、お祈りください。

なおシノドスの討議要綱は、現在中央協議会で翻訳中で、まもなく公表されます。討議要綱は、すべての方にも読んでいただきたい文書で、それに基づいた分かち合いを、それぞれの場で進めていただきたい文書です。中央協で公表されましたら、分かち合いなどの呼びかけを改めていたします。

 

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2023年7月 5日 (水)

7月2日は木更津教会で堅信式でした

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先日、7月2日の日曜日は、千葉県の木更津教会に出かけ、堅信式ミサを行いました。6名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。この6名のうち3名は木更津教会の所属で、3名は木更津教会の主任司祭である加藤英雄神父様が兼任されている館山教会の所属の方でした。この日のミサは午前10時からでしたが、昼食後に加藤英雄神父様は、車で館山教会の午後のミサのために出かけて行かれました。

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残念ながら、この日は教区からの撮影がなかったので、ミサ中の写真はありませんが、木更津教会の雰囲気を当日撮影した写真です。聖堂内陣の左手には、保護の聖人である聖コールマンの像が。横長の聖堂です。教会裏手には結婚式場があり、写真にあるように、立派な十字架がそびえています。(教会の緑の屋根の向こうに、結婚式場の十字架が見えます)

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教区のホームページにはこう記されています。

「木更津教会の基盤となる精神的歴史は、遥か遠く明治17年頃パリ外国宣教会伝道師ビイーグルース神父、カディヤック神父の房総伝道に遡る。川崎から帆船で木更津に上陸し、馬車と徒歩で房総を伝道された先哲の師のご苦労と、強靭なまでの信仰の深さによってその基盤が作られた。戦後の混乱期、木更津では進駐軍の蒲鉾兵舎が聖堂の時期もあった 。昭和26年(1951年)東京湾隣接地区埋め立て計画によりできた、木更津海岸埋め立て地に敷地が購入され、小さな仮の教会が建てられた。これが東京教区カトリック木更津教会の始まりである。 翌昭和27年(1952年)には、現在のマリア館に聖堂が作られた。その後 、赴任した司祭と信者たちの信仰と努力と、アイルランドの兄弟の暖かい寄付により、昭和30年(1955年)に、現在の聖堂が献堂された」

千葉県内の教会の多くには、海外、特にフィリピンにルーツを持つ信徒の方が大勢おられます。特にフィリピンの信徒の方に関しては司牧的なケアのためにコロンバン会のフィリップ神父様が岡田大司教様の命を受けて、グループを組織し、これまで精力的に様々な活動を行ってこられました。フィリップ神父様には、さらにその司牧活動を豊かにしていただくために、今年の人事で都内の大森教会の主任司祭に異動していただきましたが、これまでの千葉県内におけるフィリピン出身信徒の方々への司牧的配慮の活動に精力的に取り組んでいただき、心から感謝しています。現在は司牧方針を少し転換しようとしています。これまで培われたつながりを大切にしながら、同時にそれぞれの主任司祭を中心にした小教区ベースの活動にシフトを始めようとしています。

これについて東京教区では、2021年3月に、外国籍信徒の方々の司牧方針を発表しています。こちらのリンクから一度ご覧ください。最後の方にまとめがあります。まとめの部分は以下に引用しておきます。基本的には言語別のグループを作るよりも、小教区共同体に包摂する形での司牧的配慮を目指すものです。

なおこれらについては、英語ですが、「Pastoral Orientations on Intercultural Migrant Ministry」という聖座の指針が、2022年の3月に発表されています。聖座の指針はこちらのリンクから各国語版をダウンロードして読むことができます(残念ながら日本語版はありません)。

以下、東京教区の指針のまとめの部分です。

4. 司牧方針のまとめと今後の方向性
以上の分析と考察を踏まえて、外国籍の方々への司牧方針を次のようにまとめます。

● 東京大司教区は、人種、国籍、言語、文化の違いを乗り越えて一つの信仰の共同体を教区のレベルでも小教区共同体のレベルでも実現することを目指します。
●東京大司教区は、すべての信徒が、小教区共同体に所属し、共に責任を担いあって育て運営する信仰の共同体を目指します。
●東京大司教区は、人種、国籍、言語が異なるという多様性の中で、誰一人として孤立することのないように、信仰における固い決意と互いの尊敬のうちに支え合う信仰の共同体を目指します。
●東京大司教区は、それぞれの小教区共同体での違いを乗り越える取り組みを支援するために、CTICを核とした社会司牧の組織を創設し、支援体制を整えます。
●なお、この方針に記した内容や、それに基づいて行った取り組みについては三年後を目途にふり返りと評価を行い、必要に応じた修正をします。
●さらに、このふり返りと評価は、教区の宣教司牧評議会が中心となって実施しますが、可能な限り多くの方々の意見を伺うつもりですので、教区内の皆さまの協力をお願いします。

 

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2023年6月 4日 (日)

三位一体の主日堅信式ミサ@下井草教会

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三位一体の主日の今日、午前9時半から、都内、下井草教会で堅信式を行い、22名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

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下井草教会は、サレジオ会が司牧を担当しており、現在の主任司祭は並木神父様。22名の方々には、中学生や高校生、一家総出、年長の方など、様々な年代層の方がおられました。記録によれば、下井草教会を前回訪問したのは2018年7月で、その際には14名の方が堅信を受けられました。その後、感染症の拡大などもあり、5年ぶりの訪問となってしまいました。

なお、バチカンからの発表によると、教皇様は、今年の8月31日から9月4日まで、モンゴルを訪問されることを決定されました。詳細なプログラムはこれからですが、モンゴルは、すぐ近くの国ですし、またその隣の中国との関係も難しい問題がありますが、教皇様の使徒的訪問が無事に行われるよう、お祈りいたしましょう。

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以下、本日の下井草教会堅信式ミサの説教の概要です。

私たちは、「主イエスキリストのめぐみ、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に」という言葉で、ミサを始めます。この言葉は、先ほど朗読されたパウロのコリントの教会への第二の手紙を、締めくくっている言葉です。コリントの教会に宛てて、パウロは愛に満ちた教えの書簡をしたためます。そこにはパウロが伝えたいことが凝縮されています。そのすべてを背負ってまとめるのが、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」という言葉です。

ですから教会は、共に集まってミサを捧げるとき、パウロが締めくくった言葉からミサを始めます。つまりパウロが伝えようとした主イエスの福音をすべて背負った言葉から、私たちの祈りを始めます。私たちは、パウロが伝えたかったイエスの恵み、神の愛、聖霊の交わりをすべて自分たちの心に受け止めて、そこから信仰生活を始めます。私たち教会共同体は、どれほど時を経たとしても、この言葉によって、常にパウロの時代の教会と繋がっています。いや教会は、使徒言行録に記された五旬祭のあの日、聖霊が降ってきて弟子たちを満たし、福音がすべての人に告げられるようになったあの日から、連綿と続くときの流れの中を、常に前進しながら歩み続ける、交わりの教会です。

教会ではよく当たり前のように、「交わり」という言葉を使います。いまも、「聖霊の交わり」というパウロの言葉を引用しました。そもそも「交わり」ってどういう意味で使っているのでしょう。教会は人が集まるところだから、いろんな人と交わって仲良くなること、ではないのです。教会共同体というのは、仲の良い人の集まりのことではありません。教会が語る「交わり」とは、「共有する」ことだったり、「分かち合う」ことだったり、「あずかる」ことを意味しています。パウロのコリントの教会への手紙に、「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか」という言葉があります。その「あずかる」が、すなわち「交わり」のことです。

わたしたちの信仰は、ひとつのキリストの体である共同体を通じて、ひとつのキリストの体にあずかり、その中でいのちを分かち合い、互いに愛を共有する「交わり」のなかで、生きている信仰です。私たちは、一つのキリストの体を作り上げるために、それぞれが自分に与えられた使命を生きることで、その目的に貢献します。勝手に働くのではなくて、体のほかの部分と協力し協調しなければ、体はバラバラになります。皆が一つのキリストの体に与るのですから、互いに思いを一つにし、支え合い、励まし合い、協力しながら、私たちはキリストの体をこの世界に目に見える形で実現していきます。それが交わりの共同体です。

そこで一人一人の体における役割は何かを見極めていかなくてはなりません。それぞれの与えられたたまものがあるでしょう。それぞれの能力があるでしょう。できることできないこと。自分の役割に忠実であることは、自己実現ではなくて、キリストの一つの体を実現するための務めです。それが交わりの共同体です。

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教会は、聖体の秘跡によって一つに結び合わされています。私たちは数は多くても、一つのイエスの体に与ります。聖体を受けるものは、共同体の交わりへと招かれています。教会は常に聖霊の交わりの中にいます。つまりキリストの一つの体を作り上げるための私たちの務めは、聖霊によって導かれています。

堅信の秘跡は、キリスト教入信の過程の完成です。洗礼に始まり、御聖体を受け、そして堅信で聖霊の恵みをいただくことで、私たちは大人の信仰者として自立します。福音のためにすべてをかけ、交わりの共同体にあって、一つのキリストの体の部分としての役割を果たす責任を与えられます。今日から務めを果たしていきましょう。与えられた責任にふさわしくいきましょう。

とはいえ、私たちは弱い存在であるので、熱意はあっても、それを実現することは容易ではありません。だからこそ聖霊の助力があるのです。聖霊は、私たちの前向きな思いを後押ししてくれる神の力、神の息吹です。自らの務めを果たそうと決意するその思いを、後ろから吹き付ける聖霊の息吹が後押ししてくださいます。身を任せましょう。風がどこからどこへ吹くのか、私たちは誰も知りません。信頼を持って聖霊に身を委ね、後押ししてくれる方向へと勇気を持って踏み出しましょう。

 

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2023年5月20日 (土)

国際カリタスの総裁に選出されました

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すでにお聞き及びのこととは思いますが、5月11日から16日までローマで開催されていた国際カリタスの総会で、総裁(会長)に選出されました。任期は今回の総会の終了時から次の総会、すなわち4年後の2027年の総会終了時までです。

ローマのコンフェレンスセンターで開催された国際カリタスの総会には、カリタスジャパンの二人(成井司教様、瀬戸神父様)を含め400人を超える代表が参加し、5月13日夕方、今年で二期8年の任期を満了したタグレ枢機卿の後任総裁(会長)を選出する選挙が、5人の候補者で行われました。

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またその前日、5月12日の夕方には、5人の候補者がそれぞれ10分の持ち時間で、総会参加者にスピーチをする時間もありました。

また5月15日には、二人の候補者から事務局長を選出する選挙が行われ、イギリス出身で現在はスコットランドのカリタスであるSCIAFの責任者を務めるAlistair Dutton氏(わたしの向かって右隣り)が同じく4年の任期で選出されました。また、新しい評議員会において副会長と会計の選挙も行われ、副会長にはこのポジションで初めての女性となるカリタスオーストラリアの責任者Kirsty Robertson氏(わたしの向かってすぐ左隣り)、会計にはカリタスヨーロッパの会計責任者でもあるベルギー出身のPatrick Debucquois氏(左端)が選出され、これから4年間の新しい指導部が決定しました。

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国際カリタスは世界各国・地域の司教協議会によって認められている「カリタス(愛)」の活動を行う団体による連盟組織です。国際社会では国際赤十字に次ぐ世界で第二の規模を持つ人道支援NGO組織と言われています。日本からは、司教協議会の委員会である「カリタスジャパン」が、国際カリタスの連盟に参加してきました。現時点では世界各地から160を超えるカリタスが連盟に参加し、教皇庁の総合人間開発省のもと、バチカンに本部事務局を置いています。

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四年に一度開催される総会では、連盟全体の活動計画や予算計画と共に、総裁(会長)、事務局長、会計が選出され、同時にその後4年間の役員会のメンバーも承認されます。毎年の会費を納入していないと選挙における投票権がありませんので、アフリカなどのいくつかの国が総会に参加したものの投票することができませんでした。それでも、わたしが選出された総裁選挙では、投票総数は143票でした。

なお、事務局長はローマ本部で有給の契約職員として常勤となりますが、総裁(会長)、副総裁と会計は無給の非常勤です。したがって、今回わたしは総裁(会長)に選出されましたが、ローマに引っ越すわけではなく、必要に応じてローマなどに出かけることになりますので、東京を離れるわけではありません。

事前に「司教の日記」にも書きましたが、わたしは本当に選出されるとは思っていませんでしたので、心の底から驚き、多少怖じ気づいています。なんといっても昨年11月、教皇様は国際カリタスの本部事務局の運営に問題があるとして、総裁であるタグレ枢機卿以下、当時の事務局長や評議員などすべてを解任し、外部のコンサルタントに一時運営を任せていました。その間、コンサルタントと、バチカンの担当部署である総合的人間開発省のチェルニー枢機卿などが、国際カリタスの規約を書き直し、教皇様がそれを認可したばかりです。ですから、この新しい指導部にとっては、ゼロからの立て直しがまず第一の務めとなります。そしてそれは、かなり困難を極めるものと思います。

総裁選挙は立候補制ではなく、連盟に加盟する団体からの推薦(ノミネート)を受けてカリタス内部の候補者委員会が審査し、その後、バチカンの国務省の審査を通過して初めて候補者と認定されます。わたしはカリタス台湾がノミネートしてくださったと伺いました。

事前の複数のソースからの情報では、ほかのある方が本命であると聞いていました。わたしもよく存じ上げている方でしたので、間違いがないと思っていました。ですからわたしは準備もそこそこに、総会が始まってから12日の朝にローマ到着。11日には教皇謁見もあったそうですので、結局教皇様には会わずじまいに。用意したスピーチも、10分と言われたところに5分分しかテキストを用意していなくて、ちょっと前振りをアドリブで入れて、それでも7分もかかりませんでした。ほかの方々は、持ち時間がカウントダウンされますので、後一秒のところまでギリギリお話しなさっておられました。

どういういきさつなのか、総裁選挙の投票は3回目の上位二名の決選投票までもつれ込み、最終的にわたしが選出されることになりましたが、その本命候補の方とわたしとの票差はたったの1票。つまりちょうど過半数の72票です。

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選出されてからが大変でした。予定では土曜に落選して、そのまま日曜には会場を離れて修道会の本部へ移り、二日ばかりローマの休日として帰国するつもりでした。ところが当選したため、日曜の午後には最初の評議員会があり、さらにその翌日までに、総裁は副総裁の候補者を指名して、月曜の評議員会で信任投票を行う規則になっているので、たった一日で、20人ほどの評議員から一人を選ばなくてはなりません。その晩から、様々な方面からのメール攻勢と、月曜朝にはなんと朝5時半に、朝食時に話したいので朝6時に食堂でとリクエストが来る始末。それから午後の評議員会まで、ああでもないこうでもないと思い巡らして、最終的に決めたのがオーストラリアのKirsty Robertson女史。国際カリタスには、これまで一期だけ女性の事務局長はいましたが、女性の副総裁は初めてとなりました。満場一致で評議員会では可決。

しかもその日には、たまたまですが、スマホに入れていた海外用のesimの調子が悪くなってあわててesimを買い直したり、PCのWIFIが不調になってアダプターの再インストールになったり、すさまじくパニック状態の一日となってしまいました。

事務局長は、以前からよく知っている人物で、かなり前に国際カリタスの本部事務局でも人道支援の責任者として働いていた方なので、彼が選ばれたことはわたしにとっては良かったと思います。ただイギリス人の事務局長とオーストラリア人の副総裁が、二人でやり合っている英語は、かなり理解が難しい・・・。

翌火曜日の午前中には、バチカンの広報へこのチーム4人で出かけていき、記者会見もありました。それぞれ少しづつ集まった20人ほどの記者の前で話しましたが、その後は個別インタビューとなり、ほとんど事務局長が引き受けて、見事に話しておられました。

カリタスは普遍教会の本質的な役割の一つである愛の業を率先して実行し、神の愛を目に見える形であかしする存在として、教会全体の福音宣教と存在そのものにとって大きな意味を持つ組織です。今回多くの加盟団体の支持をいただいて総裁(会長)に選出されましたので、教皇様の意向に従い、教会の愛の業を深めていくために、自分にできる限り力を尽くしたいと思います。

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東京教区の皆様には、わたしがまた役目を一つ増やしてしまいましたので、今後、予定の変更など大きな迷惑をおかけすることになるかと思います。大変申し訳ありません。宣教地の司教任命の担当者である福音宣教省のタグレ枢機卿様には、直接、東京教区に補佐司教を任命することを優先してほしいとお願いしましたが、こればかりは簡単にはいきません。もちろんわたしの第一の務めは東京の大司教ですので、その務めをおろそかにしないように全力を尽くします。

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2023年3月10日 (金)

四旬節第二金曜日は「性虐待被害者のための祈りと償いの日」です。

本日、四旬節第二金曜日は、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」です。また次の日曜日、教皇様の意向にあわせて、関口教会で10時の主日ミサを、わたしが司式します。

以下、二つの呼びかけ文を掲載します。すでに東京教区、ならびに中央協議会のホームページで、それぞれ公表されています。まず、今年の祈りと償いの日のためのに、2023年03月06日に発表した、東京教区の皆様へのわたしからの呼びかけ文です。

カトリック東京大司教区の皆様

2023年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって

四旬節第二金曜日は、教皇様の意向に従って、日本の教会における「性虐待被害者のための祈りと償いの日」と定められています。今年は今週の金曜日、3月10日がこの日にあたります。東京教区では例年通り、この日に、または直後の四旬節第三主日に、教皇様の意向に合わせて祈りを捧げます。

コロナ禍の闇からやっと抜け出そうとしている今、世界はこの3年間で実質的にも精神的にも荒廃してしまったと感じます。神から与えられた賜物であるいのちを徹底的に守り、その尊厳を守り高める務めがわたしたちにはあります。世界各地でいのちに対する暴力はやむことなく、特にウクライナのような紛争地帯や長く内戦が続く地域では、今も多くのいのちが危機に直面しています。いのちの福音をのべ伝える教会は、社会の中で率先していのちの大切さを説き、目に見える形でいのちの尊厳を高めていかなくてはなりません。

それにもかかわらず、教会がその使命を果たすことなく、あまつさえ先頭に立つべき聖職者や霊的指導者が、その使命を放棄したかのように、いのちに対する暴力を働き、人間の尊厳をないがしろにした事例が、過去にさかのぼって、世界各地で多数報告されています。

教会はいのちを守るために発言し行動してきました。人間の尊厳を守り高めるために発言し行動してきました。その尊い行動の意味を失わせるような選択をした聖職者や霊的指導者の存在を、残念に思います。いのちの尊厳を説くのであれば、わたしたちは人間の尊厳を真っ先に大切にして守り高めるものでなくてはなりません。

性虐待という人間の尊厳を辱め蹂躙し、被害者の方々に長期にわたる深い苦しみを生み出した聖職者や霊的指導者の行為を、心から謝罪いたします。

東京教区でも日本の司教団が定めているガイドラインを遵守し、こうした行為の報告があった時にはそれぞれの直接の上長が責任を持って対応するように努めまた指導し、さらに聖職者をはじめ教区全体で啓発活動にも努めていきたいと思います。

あらためて、無関心や隠蔽も含め、わたしたち教会の罪を心から謝罪いたします。神のいつくしみの手による癒やしによって被害を受けられた方々が包まれますように、心から祈ります。同時に、わたしたち聖職者のためにもお祈りくださるようにお願いいたします。

カトリック東京大司教区
大司教 菊地功

つぎに、2023年2月17日に発表した、司教協議会会長としての、日本のカトリック信者の皆様にあてた、わたしの呼びかけ文です。

日本のカトリック信者の皆様

2023年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって

いのちに対する暴力が荒れ狂う世界にあって、神がいのちを、わたしたちに賜物として与えてくださったと信じるキリスト者には、いのちを守り、人間の尊厳を守る務めがあります。教会にとって「イエスをのべ伝えるとは、いのちをのべ伝えることにほか」ならないからです(ヨハネ・パウロ2世「いのちの福音」80)。

その教会にあって、率先していのちを守り、人間の尊厳を守るはずの聖職者や霊的な指導者が、いのちに対する暴力を働き、人間の尊厳をないがしろにする行為を働いた事例が、近年相次いで報告されています。性虐待という人間の尊厳を辱め蹂躙する聖職者や霊的指導者の行為によって深く傷つけられた方々が、長い時間の苦しみと葛藤を経て、ようやくその心の思いを吐露された結果であると思います。そのように長期にわたる深い苦しみを生み出した聖職者や霊的指導者の行為を、心から謝罪いたします。

なかでも保護を必要とする未成年者に対する性虐待という、きわめて卑劣な行為を行った聖職者の存在や、司教をはじめとした教会の責任者が、聖職者の加害行為を隠蔽した事例が、過去にさかのぼって世界各地で報告されています。

教皇フランシスコは、この問題に教会全体が真摯に取り組み、その罪を認め、ゆるしを請い、また被害にあった方々の尊厳の回復のために尽くすよう求め、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を設けるようにと指示されました。日本の教会では、四旬節・第二金曜日を、この祈りと償いの日と定めました。2023年にあっては、来る3月10日(金)がこの日にあたります。

日本の司教団は、2002年以来、ガイドラインの制定や、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」の設置など、対応にあたってきました。2021年2月の司教総会で、「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」を決議し、教会に求められているいのちを守るための行動に積極的に取り組む体制を整えてきました。昨年には、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」が啓発活動にさらに取り組むよう、司教協議会会長直属の部門としてガイドライン運用促進部門を別途設置し、責任をもって対応する態勢を整えつつあります。もちろんいのちを守り、人間の尊厳を守るための務めに終わりはありません。聖職者をはじめ教会全体の意識改革などすべきことは多々あり、教会の取り組みもまだ十分ではありません。ふさわしい制度とするため、見直しと整備の努力を続けてまいります。

あらためて、無関心や隠蔽も含め、教会の罪を心から謝罪いたします。神のいつくしみの手による癒やしによって被害を受けられた方々が包まれますように、心から祈ります。同時に、わたしたち聖職者がふさわしく務めを果たすことができるように、お祈りくださいますようお願いいたします。

どうぞ、四旬節第二金曜日に、またはその近くの主日に、教皇様の意向に合わせ、司教団とともに、祈りをささげてくださいますようにお願いいたします。

2023年2月17日

日本カトリック司教協議会 会長
菊地 功

なお呼びかけ文でも触れている、日本の教会の「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」は、こちらにあります

 

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2023年2月22日 (水)

四旬節のはじめにあたり

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本日は灰の水曜日となり、関口のカテドラルでは朝のミサに加えて夜7時からのミサを大司教司式のミサとしてささげます。なおこの夜7時の灰の水曜日のミサは、関口教会のYoutubeチャンネルから、ご覧いただくこともできます。また同チャンネルでは、過去の関口教会ミサ映像も見ていただくことができます

四旬節のはじめにあたって、メッセージをビデオで公開しております。以下、メッセージ本文です。

2023年 四旬節の始まりにあたって

四旬節が始まりました。毎日の時間はあっという間に過ぎ去り、様々なことに翻弄される生活の中で、教会は典礼の暦を用意して、立ち止まり、神とともに時間を過ごすことを勧めています。

生活の現実の中で様々な決断を繰り返し行動する中で、神に向かってまっすぐ歩みを進めるはずの道からそれ、あらぬ方向を向いてしまっている私たちの心の軌道修正の時が四旬節です。

毎年、四旬節は灰の水曜日で始まります。灰を頭に受け、人間という存在が神の前でいかに小さなものなのか、神の偉大な力の前でどれほど謙遜に生きていかなくてはならないものなのか、心に刻みたいと思います。

司祭は、「回心して福音を信じなさい」、または「あなたはちりでありちりに帰っていくのです」と唱えます。前者は、四旬節の持っている意味、つまりあらためて自分たちの信仰の原点を見つめ直し、神に向かってまっすぐに進めるように軌道修正をするということを明示しています。後者は、神の前で人間がいかに権勢を誇ろうとも、小さなむなしい存在であることを自覚して謙遜に生きるようにと諭す言葉です。

世界は今、人間の傲慢さにあふれかえっています。すべてを決定するのは人間だと思い込んでいます。しかしそれは幻想です。私たちは賜物である命を与えられたものとして、神の前に謙遜になり、神の導きを識別しながら歩み続けなくてはなりません。神の前での謙遜さは、同じ命を与えられた隣人の存在を尊重し、互いに支え合いながら歩むことを私たちに求めます。世界を今支配する暴力による敵対の誘惑を乗り越え、ともに助け合いながら道を歩みたいと思います。互いのいのちの尊厳を尊重しないところに、神の正義はありません。

四旬節はまた、信仰の原点に立ち返る時として、洗礼を志願する人たちも歩みをともにし、復活祭に洗礼を受ける準備をするように勧められています。このことから四旬節第一主日には、その年の復活祭に洗礼を受けるために準備をしてきた方々の洗礼志願式が、多くの小教区で行われます。四旬節は、自らの信仰を見つめ直すとともに、洗礼への準備をする方々を心に留めて祈りをささげましょう。

ウクライナの地を戦争という暴力が支配して一年となります。姉妹教会であるミャンマーの状況の不安定なままです。いのちが守られるように、平和を祈りましょう。四旬節にあたり、自分が信じている福音に従って生きるとはどういうことなのか、イエスの呼びかけに従って生きるとはどういうことなのか、祈りと黙想のうちに考えるときにしたいと思います。

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2023年2月 4日 (土)

週刊大司教第112回:年間第五主日A

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2月5日、年間第五主日の週刊大司教です。

2月5日は日本26聖殉教者の祝日でもあります。当日は、墨田区の本所教会で、殉教祭のミサを捧げることになっていますが、これについてはまた記載します。

なお来週2月11日の午後2時からは、世界病者の日のミサがカリタス東京の主催で、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われます。

ミャンマーでクーデターが発生してから、今月でもう2年です。軍事政権から民主化されたとか、平和が回復したという声は聞こえてきません。ボー枢機卿様はじめミャンマーの司教団は、対話による平和の確立を、繰り返し呼びかけておられますが、平和を叫ぶ宗教者への弾圧も続いています。ミャンマーのためにお祈りください。

以下、本日午後6時配信の週刊大司教第112回、年間第5主日のメッセージ原稿です

年間第5主日A
週刊大司教第112回
2023年2月5日

マタイ福音は、「地の塩、世の光」としてよく知られているたとえ話を記しています。

食物に味をつけたり腐敗を防いだり、塩には様々な役割があり古代から貴重な存在とされていますが、塩が貴重な理由はその存在それ自体ではなくて果たす役割にある事が指摘されています。同様なことが光についても指摘され、光それ自体の存在が貴重なのではなく、その果たす役割によって存在の重要性が与えられていることをイエスは語ります。その上でイエスは、ご自分に従う弟子の心づもりに触れています。

「あなた方の立派な行いを見て」褒め称えられるべきは、その行いを実行する者ではなく、「あなた方の天の父をあがめる」ためだと述べるイエスは、弟子が与えられた務めを忠実に果たしているかどうかを問いかけています。果たしてわたしたちはどうでしょうか。わたしたちが果たすべき役割に忠実であることによって、わたしたちにいのちを与え、救いへと招いてくださる主ご自身がたたえられるような、そういう弟子でありたいと思います。

2月5日は日本二十六聖人殉教者の祝日でもあります。聖パウロ三木をはじめ26人のキリスト者は、1597年2月5日、長崎の西坂で主イエスの死と復活を証ししながら殉教して行かれました。殉教者こそは自分の栄誉のためではなく、自らの存在と自らの受難と死を通じて、主イエスを証しするための道具となる道を選んだ人たちです。

教皇ベネディクト十六世は、回勅「希望による救い」のなかで、 「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。これこそが人間であることの根本的な構成要素です。このことを放棄するなら、人は自分自身を滅ぼすことになります(「希望による救い」39)」と苦しみの意味を記しています。

苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値に生きるために、不可欠な要素です。苦しみは、神がわたしたちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神がわたしたちを愛して、この世で苦しむわたしたちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。

「殉教者の血は教会の種である」と、二世紀の教父テルトゥリアヌスは言葉を残しました。

教会は殉教者たちが流した血を礎として成り立っていますが、それは悲惨な死を嘆き悲しむためではなく、むしろ聖霊の勝利、すなわち神の計らいの現実における勝利を、世にある教会が証しし続けていくという意味においてであります。わたしたちには、同じ信仰の証しを続ける責務があります。

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2023年1月 1日 (日)

名誉教皇ベネディクト十六世帰天

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名誉教皇ベネディクト十六世が、12月31日に帰天されました。95歳でした。ベネディクト十六世の御父のもとでの永遠の安息のために、ともに祈りましょう。

バチカンでの葬儀ミサは、ベネディクト十六世の生前のご意向に従い、簡素な形で、1月5日に行われます。この模様は、バチカンユースなどを通じて、配信されるものと思います。

日本における追悼ミサも、司教協議会と教皇庁大使館の共催で行われます。現在日程を調整中ですが、1月の早い段階で、関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行われる予定です。

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以下、今朝ほど東京教区のホームページに掲載した大司教談話です。司教協議会会長の談話は昨晩のうちに、中央協議会のホームページのこちらのリンクに掲載されています。

名誉教皇ベネディクト十六世の逝去にあたって

去る12月31日、名誉教皇ベネディクト16世が、95年にわたる人生を終え、帰天されました。長年にわたる教会への奉仕と導きに感謝しながら、御父の御許において永遠の安息があるように祈ります。

ベネディクト16世は、すでに第二バチカン公会議の時代に、新進気鋭の神学者として注目され、その後はミュンヘンの大司教を経て教皇庁の教理省長官に任命され、長きにわたって現代社会を旅する教会の神学的支柱として大きな影響を与えました。

教皇に就任された2005年、すでに78歳と高齢でしたので、限られた時間の制約の中で優先順位を明確にして普遍教会の司牧にあたられました。

世俗化が激しく進み教会離れが顕著な欧米のキリスト教国における信仰の見直しは、ベネディクト16世にとって最重要課題であったと思います。しかしそれをひとり欧米の課題にとどめることなく、普遍教会全体の課題として取り上げられ、「新福音宣教」を掲げてシノドスを開催し評議会を設立されました。2013年2月28日の退位は、歴史に残る決断でした。聖霊の導きに全幅の信頼を置く信仰者としての決断の模範を、明確にあかしされる行動でありました。

教皇就任以前に教理省長官として活躍された印象が強く残っていますが、わたしにとっては、「愛(カリタス)」を語る教皇でありました。それは、最初の回勅が「神は愛」であることに象徴されますが、ベネディクト16世は、教会における愛(カリタス)の業を重要視され、それが単に人間の優しさに基づくのではなく、信仰者にとって不可欠な行動であり、教会を形作る重要な要素の一つであることを明確にされました。当時、国際カリタスの理事会に関わっていたわたしにとっては、ベネディクト16世が、この分野に大きな関心を寄せられ発言されたことから、力強い励ましをいただきました。わたしはベネディクト16世は後代の歴史家から、「愛(カリタス)の教皇」と呼ばれるのではないかと期待しています。

2011年の東日本大震災の折りには被災された方々へ心を寄せ、被災地にサラ枢機卿をご自分の特使として派遣されました。その年の5月にローマでの国際カリタス総会の際に謁見があり、帰り際にわたしの席へ歩み寄ってくださり、被災者への慰めの言葉をいただいたことは忘れません。流布されるイメージとは異なり、優しさに満ちあふれた「愛(カリタス)」の教皇でありました。

名誉教皇ベネディクト16世の逝去にあたり、これまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、御父の懐にあって豊かな報いをうけられますように、永遠の安息を共にお祈りいたしましょう。

2023年1月1日
カトリック東京大司教区 大司教
菊地功

 

 

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